大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 昭和33年(ワ)305号 判決 1959年4月20日

原告 森川新太郎

被告 森信嗣

主文

被告は原告に対し別紙目録記載の家屋を、原告より本件口頭弁論終結の日から三ケ月内に金四十万円の現実の提供を受けることを条件として、右提供の日から三ケ月を経過したときに明渡せ。

被告は原告に対し前項の明渡期限到来の翌日から右明渡ずみに至るまで月金四千二百円の割合による金員を支払え。

原告其の余の請求を棄却する。

訴訟費用は之を平分し各その一をそれぞれ原告及び被告の負担とする。

此の判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。但し被告に於て金十三万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

原告訴訟代理人は被告は原告に対し別紙目録記載の家屋を明渡し、かつ、昭和三十三年四月一日以降右明渡ずみに至るまで月金四千二百円の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、請求の原因として、別紙目録記載の家屋は原告の所有であつて昭和十六年頃被告に対し貸座敷営業のために賃貸したものであるが、同営業は法令により昭和三十三年三月三十一日限り禁止され以後之を営むことは不能となつたので右賃貸借は同日を以て終了した。よつて原告は被告に対し右家屋の明渡及び賃貸借終了の日の翌日である昭和三十三年四月一日以降右明渡ずみに至るまで家賃金相当の損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだと陳べ、なお予備的主張として、原告方はたいして広くもない家に原告夫婦の外、長男夫婦とその子原告の次男(二十四才)三男(二十二才)四男(二十才)及び十六才の長女が同居しており、その上原告は府会議員の外幾多組合の役員を兼ね来訪客が多く、家族一同手狭な日常生活に著しい不便を感じているのみならず、次男の結婚も住家がないばかりに実現しかねている状況である。しかるに被告方は比較的少人数で本件家屋のような広大な家は不用なので原告は昭和三十二年十月更に念の為翌三十三年三月十日の二回に被告に対しそれぞれ右理由を附して本件賃貸借解約の申入をし、なお移転料として金四十万円を提供する旨申添えた。

右理由にもとづいても本件賃貸借は昭和三十三年四月末日又は同年九月十日を以て終了していると陳べ立証として甲第一号証を提出し証人高倉謙三及び原告本人の各尋問を求め乙第一号証の一、二の成立を認めた。

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決及び敗訴の場合に於ける仮執行免脱の宣言を求め答弁として被告が原告所有の本件家屋を昭和十六年より賃借していることは之を認めるが右賃貸借が貸座敷業を経営するためのものであつたことは否認する。被告は昭和六年四月頃から本件家屋の表通りにある別の原告所有家屋を賃借していたところ昭和十六年に本件家屋に移居を強いられ爾来これに居住して貸座敷業を営んできたのであるが賃貸借契約そのものには家屋の使用方法に関する何等の制限乃至特約もなかつた。被告としては従来賃借人としての義務履行になんら違背したことなく貸座敷業の廃止にともない新たな生活方途を講じなければならない上からしても本件家屋を確保しておくことが必要であり、またそれは当然の権利である。その他原告主張事実はすべて之を争うと述べ立証として乙第一号証の一、二を提出し証人南谷宗次郎及び被告本人の各尋問を求め甲第一号証の成立を認めた。

理由

第一(無条件明渡請求の当否)

本件家屋が原告の所有であり被告が之を昭和六年中より期間の定めなく賃借して貸座敷業をいとなんでいたことは当事者間争ない。

原告は右賃貸借は貸座敷業の禁止により昭和三十三年三月三十一日限り終了したと主張するが本件賃貸借が貸座敷業の経営を要件とした旨の証拠もないので右主張は採用することができない。原告は更に本件賃貸借は正常事由にもとづく解約申入により終了したと主張するので此の点に付審究する。

証人高倉謙三、南谷宗次郎の各証言及び原、被告各本人尋問の結果を綜合すれば原告方家屋は一階に煙草小売店舗、玄関、台所等の外四坪半の応接室、六帖の仏間及び八帖の部屋二間がある外二階に八帖の部屋一間があつて相当な構えではあるが、原告夫婦の外原告主張の如き六人の家族が同居しており、且つ原告は現在煙草小売業をいとなんでいるものであるところ京都府会議員、各種組合の役員等を兼職しているため来訪客も多く家族一同手狭な日常生活に少なからぬ不便を感じており次男の縁談も成立したが差当つて適当な居宅がないので挙式を延期している状況であること。そこで原告は昭和三十三年三、四月頃訴外高倉謙三を介して被告に「立退料として金四十万円提供するから本件家屋を明渡してもらいたい」旨交渉したが被告は「明渡に付ては全然考慮の余地なくむしろ本件家屋を代金四十万円但し割賦払の約で買受け、所有権移転後之を他に担保に入れその借受金で右代金を支払うこととしたい」旨回答して原告の申出を拒絶したので本訴を提起するに至つたものであること。他面被告方の居室は八帖一間、六帖二間及び四帖半一間あり二階も六帖一間、四帖半一間及び三帖四間で家庭は現在無職の原告夫婦の外山科でアパートの一室を借り写真現像等の店をだしている長男、某企業組合に勤務している長女及び長男の店の手伝をしている次女及び中学生の次男のみであるので居宅としては本件家屋のような広さ及び間数は必要ではないが貯えとしては殆どなく移転費用の調達すら困難な状況であることが認められる。

よつて案ずるに本件明渡請求に付原告側に相当の理由があることは否めないけれども、さりとて被告も本件家屋を失つては差当つて居住の場所を見付けることも容易でなく少なからぬ犠牲をはらうこととなるので、結局本件無条件明渡請求はその正当理由を具備しないものといわなければならない。とすれば現状に於ける原、被告両家の住宅事情の懸隔は賃貸借関係が適法に成立している以上やむを得ないこととし殊に原告は二次的にも何等の申立をしていないことでもあるので本訴請求は全部之を理由なしとして棄却すべきものであろうか。(自己使用を理由とする解約申入は本質上居住場所の提供を求めるものであるから一部明渡を認容することも理論的には可能であるが本件に於ては弁論の全趣旨に徴し適切でない。)結論を急ぐ前にしばらく借家法第一条の二の規定の趣旨を再検討してみよう。

第二(借家法の趣旨)

一、同条文は「建物の賃貸人は自ら使用することを必要とする場合其の他正当の事由ある場合に非ざれば(中略)解約の申入を為すことを得ず」とのみ規定し右正当の事由に付ては自己使用の必要以外何等の例示をもしていない。このことは右解約申入についての法的規整は不安的且つ錯雑した個人的社会的諸要因を背景とし徴視的観察を特に必要とする紛争がその対象となつているところから、法自体先行的な規範決定はすこぶる困難な事項であるとし裁判所の訴訟手続を通じてする判断の集積及びその結実に多分に期待していることを示すものに外ならない。(すなわちこの種の事件は形式上は勿論訴訟事件であるとはいえ判例が未だ成熟していない現在に於ては内実非訟事件的性格を少なからず保有しているものというべきである。)とすればみぎ「法の実務に対する信頼」にこたえるため先ず裁判の基準となるべきは法の許す範囲で出来るかぎり相衝突する諸利害の円満な調和の実現を企図することであるといつて差支えあるまい。

二、ところで借家法第一条の二に所謂正当の事由とは賃貸人側に於ける自己使用の必要又は之に準ずる程度の解約申入を相当ならしめる事情と解すべきである。(以下説明の簡略を期するため右事情ならびにより広く正当事由の有無判定に付賃貸人側に於ける同人の利益に斟酌せらるべき一切の事情をいずれも相当事情と仮称する。)然し同条を含む借家法全体の規定の趣旨及び体裁からして賃借人側に右賃貸人側の相当事情に対抗する阻却事由(個人的又は社会的見地に於ける)が認められるときは解約申入は結局正当事由(通常使用せられる意味に於ての)ないものとしてその効果を否定せらるべきものであるが、前述したとおり借家法は正当事由の有無に関し単に以上の判定基準を示すのみであるから如何なる事実が右阻却事由に該当するかに付ては裁判所みずから認定基準を樹立すべきところ、裁判所としてはこれと同時に反対基準(再阻却事由認定基準)設定の当否をも考究すべきことはおよそ規範決定に至るまでの当然な思考径路であるのみならず前記借家法の具体的妥当性を殊の外重視する趣旨にそうものといわなければならない。

三、上述の意味に於て当裁判所は右反対基準の一つとして次の如きものも衡平の原則に適合し且つ法理的に矛盾しないものと考える。すなわち

「賃貸人側の全相当事情が賃借人側の阻却事由に対抗せられて正当事由として認めるには僅かに足らないとき、右相当事情に附随し且つこれを補足する事実が口頭弁論終結後六月内に実現すると予見せられる場合は右相当事情を正当事由とみなす。この場合解約の効果は申入後六月を経過し且つ右事実が実現したときに生ずる。」

ところで右基準を正当なものとして承認する以上ここに所謂「相当事情に附随し且つこれを補足する事実」から賃貸人の反対給付を除外すべき合理的根拠はない。問題は原告たる賃貸人が請求の趣旨中反対給付の提供を申立てゝいない場合に関し生ずるが、たとい右申立がなくとも右相当事情に該当すると主張せられる諸事実その他弁論の全趣旨からして賃貸人は家屋明渡を実現するため判決に明示せられた反対給付を実践することが十分推認され、しかも右反対給付が賃借人側の阻却事由を相当事情の水準下に低減するに足るものであるときは右「相当事情に附随し且つこれを補足する事実が実現すると認められる」他の場合と本質的に何等択ぶところはないのである。(もつとも弁論の全趣旨に照らし右反対給付の内容を正当事由を補足するにつき必要且つ十分なものと認めて差支えない場合であることを要するが、この要件にも適合する事案は実務上相当多いのではないかと考えられる。)したがつてこのような場合には裁判所は右基準に則り正当事由の存在を肯認した上主文に於て右「事実の実現」と解約効果発生との牽連関係を明確にすべきである。而して右は一種の法規適用作用に外ならないからこれを以て裁判所による権利の創設とする非難はあたらない。

なお独乙民事訴訟法第七百二十一条に規定せられる如き明渡期間は右基準の適用としては六ケ月間を超えないものであるかぎり被告たる賃借人の申立を前提とせずむしろ逆に賃貸人の利益のために、単独又は前記賃貸人の給付行為と結合して補足事由を構成し得るものである。

第三(結論)

さて本件に立帰つて考究するに原、被告両家の生活状態を勘案すれば被告側の明渡請求拒否の理由として相当視せられるのは結局適当な移転先を見付けること及び移転に伴う諸支出の負担の困難にあるというべきところ原告は本訴提起の直前昭和三十三年三、四月頃被告に対し立退料として金四十万円を提供することを申出たのであるが、右金額は被告が「本件家屋を金四十万円の割賦払で買入れること以外考慮の余地ない」旨回答し、更に被告本人尋問の結果により明らかな本訴係属中原告代理人が被告に対し裁判外に於て交渉し右売買代金を六十万円と提案した際も資力ないの故を以て之を拒絶した事実などに徴しても立退料としては十分な金額であることが看取されるので、仮に右立退料の提供が早期の明渡を要件とせず且つ移転準備費用として相当額の内金を事前に支払うことを申出たものであつたとすれば本件解約の申入は正当事由を具備していたものと認め得られ、したがつて原告家の住宅事情は右金員の提供と相俟つて前項にいわゆる「賃貸人側の全相当事情が正当事由を構成するには僅かに足らないとき」に該当するものというべく、他面、弁論の全趣旨により明らかな被告が原告家の困窮を知りつゝ右原告の申出に誠意を以て交渉せず移転先を見付ける努力をもしなかつたことをとらえ反射的に被告の不信行為を云為し解約申入に正当事由ありとすることも論理にそぐわず、報復的措置に類する嫌いすらあるので、本件は正に当事者一方の織牲に於て他方の全面的勝訴をもたらすところの二者択一的措置に染まずむしろ前記基準適用の当否(前記以外の要件充足の有無)に付て審案せらるべき案件であるといわねばならない。

而して前記認定の諸事情及び弁論の全趣旨によれば、原告が被告に対し移転の前後を通じて入用と認められる費用にあてるため金四十万円を現実に提供し且つ三ケ月の移転準備期間をおくことを以て被告の移転のための困難は除去され、且つ、このことは原告に対し決して過重な負担といえず結局に於て原告の意思に適合するものであることが容易に推認できるので、当裁判所は歴算上右金員の提供が本件口頭弁論終結(当審に於ては昭和三十四年四月六日)後三ケ月内に為されることを条件として本件明渡請求を認容しなお右による明渡期限到来の日から明渡ずみに至るまで被告は原告に対し賃料相当の損害金を支払うべきものとし原告その余の請求に付ては之を棄却するのを相当と認め、訴訟費用の負担並びに仮執行及びその免脱の各宣言に付民事訴訟法第九十二条前段第百九十六条第一項第二項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤孝之)

目録(明渡家屋の表示)

京都市伏見区撞木町千百三十一番地

宅地 六十六坪五勺

右地上

一、木造瓦葺二階建 貸座敷

建坪 二十六坪

外二階坪 二十七坪四合

一、木造瓦葺平家建 居宅

建坪 四坪八合

一、木造瓦葺平家建 居宅

建坪 一坪二合

一、木造瓦葺平家建 物置

建坪 三坪

一、木造瓦葺平家建 便所

建坪 一坪

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例