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京都地方裁判所 平成25年(わ)707号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第1本件公訴事実

被告人は,平成24年11月9日午後8時25分頃から同日午後10時51分頃までの間,滋賀県内,三重県内,京都府内又はその周辺において,殺意をもって,内縁の妻であるA(当時47歳)の頸部にタオルを巻いて絞め付け,よって,その頃,同所において,絞頸による窒息により死亡させて殺害したものである。

第2争点

本件の争点は,Aが死亡した原因が,被告人による他殺であったか,自殺であったかである。

当裁判所は,Aが自殺した可能性を否定するに足りる証拠はなく,被告人がAを殺害したと認めるには合理的な疑いが残ると判断したので,以下,その理由を説明する。

第3前提となる事実

関係証拠によれば,以下の事実が認められ,当事者間にも特に争いはない。

1  被告人とAの関係等

(1)  被告人とAは,平成7年頃から内縁の夫婦として同居していたが,平成9年頃からAが近隣住民の生活音等をひどく気にするようになったため,安心して暮らせる環境を求めて転居を繰り返し,平成23年3月頃から,京都府相楽郡a村にある本件当時の被告人方に住み始めた(被告人質問)。

(2)  Aは,平成22年頃から精神科に通院を始め,B医師に強迫神経症と診断されて,眠剤や気分安定剤等の処方を受けていた(弁8)。平成24年9月から10月頃,Aの症状は特に悪化し,被告人や上記B医師に対し,不安や体調不良に加え,「もう消えたい。楽になりたい。」などとも訴えるようになった(弁8,証人B)。

2  平成24年11月9日(以下「事件当日」という。)の経緯

(1)  被告人は,事件当日の夕方から,Aと二人でドライブに出かけた。午後8時25分頃,被告人とAが乗り込んだ車両が滋賀県甲賀市内のコンビニエンスストア駐車場から出発する様子が同店の防犯カメラに映っている(甲32)。

(2)  午後10時51分,被告人は自宅から119番通報し,Aが自殺しているとして救助を求めた。午後11時7分,救急隊が被告人方に到着した際,Aは,被告人所有の乗用車(ステーションワゴン。以下「本件車両」という。)の助手席に座った状態で,上半身をやや右側にひねった姿勢であり,下半身は正面を向いてあぐらをかいていた。Aの頸部の下あたりには,タオル(平成27年押第7号符号1。長さ約82㎝,幅約32㎝。以下「本件タオル」という。)がかけられていた(甲33,37,弁3)。

(3)  事件当日,午後8時25分頃から午後11時7分頃までの間に,Aと一緒にいたのは被告人のみであった。

第4法医学的,物理的見地からみて自殺した可能性があるか

1  当事者の主張

(1)  弁護人は,自殺している被害者を発見した状況として被告人が述べる内容から推測される「タオルを用いて首をヘッドレストに固定し,自ら身体を前に倒す方法」であれば,本件車両内で本件タオルを用いて自殺することが可能であると主張している。

(2)  他方,検察官は,弁護人の主張する方法では,タオルが緩み,また,Aが意識を喪失した後に頸部を圧迫する力が喪失するため,自殺することは物理的に不可能であり,Aの遺体所見とも矛盾する旨主張する。さらに,検察官は,弁護人が主張する以外の方法による自殺とも認められない,Aの遺体には他殺と考えれば合理的に説明できる痕跡があるなどとも主張し,Aが自殺した可能性を排除できると主張している。

2  弁護人が主張する自殺方法について

(1)  物理的に自殺が可能であるか

ア タオルが緩むか

C大学D研究所准教授Eが弁護人の依頼により行った,上記1(1)の方法による自殺状況を再現する実験(以下「E実験」という。)の結果によれば,本件タオルと同等の大きさのタオルでマネキンの頸部と自動車シートのヘッドレスト支柱の両方を結ぶことが可能であり,かつ,その状態でマネキンの上半身を前方に引っ張り,頸部に相当の力をかけても,タオルが容易にほどけないことが認められた。E実験の結果のうち上記の点は,その後,本件車両内で女性警察官により行われた頸部圧迫試験とも矛盾しない(甲29,34,証人F)。したがって,結び方によっては,一定の力を加えても本件タオルが緩むとは限らないということができる。

イ 意識喪失後に圧迫する力が存続するか

Aが弁護人主張の方法で自殺を試みたとしても,意識を喪失した後には,Aが意図的に身体を前に倒す力は失われるから,意識喪失後にも頸部を圧迫する何らかの力が存続しなければ死に至ることはないと考えられる。

Aの解剖執刀医である法医学者Gの証言によれば,頸部圧迫により死に至るには,少なくとも,総頸動脈の血流を遮断する3.5kg ないし5kg の力がかかる必要があることが認められる。

また,法医学者であるHは,意識喪失後に頭部の重さだけで総頸動脈の血流が遮断されるのに十分な力がかかり続けるのかは疑問があると証言している。

しかしながら,前記第3の2(2)のとおり,救急隊が到着した際,Aは,上半身をやや右側にひねった姿勢で助手席に座っていたことに加え,被告人が,発見した際のAは助手席左側のドア寄りに寄っていたと供述していること(甲18・写真42参照)を前提とすれば,意識喪失時のAの上半身は,右に傾いていたことになる。そのような体勢であれば,助手席のシートが多少後方に傾いていたと見られること(甲37)や,ヘッドレスト支柱と頸部とを結ぶタオルの長さにそれほど余裕がないことを踏まえても,頭部だけではなく,上半身の重さも一定程度頸部にかかる可能性があると推測できる。

もっとも,E実験の結果によれば,意識喪失後に頭部のみの重さがかかるという前提では,頸部にかかる力は3.5kg 重より少なかったことがうかがわれる。しかし,E実験で計測された力では頸部圧迫による窒息死が不可能であるという証拠関係は存在しない上,前記のとおり,頭部のみではなく上半身の重さが頸部にかかる可能性があることも考慮すると,上記E実験の結果をもって,意識喪失後に頸部圧迫により死亡するに至る力が存続しないと認める根拠ともならない。

そうすると,結局,意識喪失後にも窒息死に必要な力が頸部にかかり続ける可能性を排除することはできない。

(2)  遺体所見と矛盾するか

ア 前提となる遺体所見

G医師の証言によれば,Aの遺体は,頸部より上だけに血液がうっ滞(うっ血)して赤くなっており,頸部に認められる赤い部分と白い部分(蒼白帯)の境界線は水平方向で,前頸部,左頸部では明瞭,右頸部ではやや不明瞭であり,後頸部ではあまりはっきりしていなかった。また,頸部の前後左右にそれぞれ赤い表皮剥脱が認められ,左頸部の表皮剥脱に近接する位置(左胸鎖乳突筋付近)には筋肉内出血が認められた。

イ 検討

検察官は,弁護人が主張する自殺方法では,首に接した状態でタオルが首を1周せず,遺体の後頸部に表皮剥脱を生じないので,遺体所見と矛盾すると主張している。

しかしながら,弁護人主張の方法で自殺を試みた場合,身体を倒す前に,頸部にタオルを結んで相当強く締め付けて,あるいは,あらかじめ頸部をタオルで結んだ上で後ろを向いてヘッドレスト支柱をタオルで結び,さらに前に向き直るなどの準備作業をする必要がある(証人E,同F)。そのような準備作業によっても,頸部は相当の力でタオルにこすられると考えられるし,その力が,他人が頸部をタオルで絞めた場合に比べて明らかに弱いとも認められない。そうすると,弁護人主張の自殺方法によって右後頸部の表皮剥脱が付いたという可能性を排除できない。

そして,その他の部位の表皮剥脱,筋肉内出血等の遺体所見が,弁護人主張の自殺方法と明らかに矛盾するとはいえず,結局,弁護人主張の自殺方法と遺体所見が矛盾するとは認められない。

3  検察官のその他の主張について

検察官は,Aの遺体には他殺と考えれば合理的に説明できる痕跡があるとも主張する。しかし,Aの遺体所見が弁護人主張の自殺方法と必ずしも矛盾するものではないことは前記のとおりである上,弁護人請求の法医学者Iのみならず,G医師,H医師も,Aの遺体の痕跡から自殺の可能性を完全には排除できないと証言しているのであって,単に他殺と考えれば合理的に説明できる痕跡があることだけで,自殺の可能性を排除することはできない。

第5被告人がAを殺害したことをうかがわせるその他の事情について

次に,検察官が,被告人がAを殺害した犯人であることの根拠として挙げるその他の事情についても検討する。

1  犯行前後の被告人の行動の不自然さ

検察官は,被告人が,事件当日,①午後8時25分にコンビニエンスストアの駐車場を出発してから午後10時40分以降に被告人方に帰宅するまでの間,合計約54分ないし58分間,人気のない場所等に車を乗り入れて駐停車した,②移動途中でカーナビの電源を切って自己の行動の記録を中止した,③病院でAの死亡が確認された際など,警察官のいる場面でのみ悲しみを表す言動を殊更に強調していたなどとして,被告人の行動が不自然であると主張する。

しかしながら,そもそも被告人の帰宅時間が午後10時40分以降であると確定できないことは後記のとおりである上,被告人は,①,②について,事件当日,衝動的に車道に飛び出して車に飛び込もうとするなどしたAと,人気のない場所に車を停めて話をしていた,その際,Aがまぶしくないようにカーナビの電源を切ったなどと説明している。そして,前記第3の1のとおりの被告人とAの関係やAの病状,さらにAが車道に飛び出すような行動を取ったという点についてはコンビニエンスストアの防犯カメラ映像によって裏付けられていることに照らせば,被告人の説明が格別不自然とはいえない。また,③については,Aの死亡確認後,内縁の夫である被告人が悲しみを表すことはむしろごく自然である。したがって,①ないし③のいずれの点も,被告人がAを殺害したことをうかがわせるような不自然な行動とはいえない。

2  動機の存在

検察官は,神経症に罹患し,「もう消えたい。」などと繰り返していたAを看護していた被告人が,事件当日も,車道に飛び出そうとするAを制止するなどして振り回され,精神的に追い詰められた状態にあり,被告人にはAを殺害する動機があった旨主張する。

確かに,平成9年頃から長年にわたって病気のAに配慮した生活をしてきた被告人が,Aの症状の更なる悪化に疲弊し,精神的に追い詰められたと考えることも可能ではある。

しかし,一方で,被告人はこれほど長年にわたってAと生活を共にし,度重なる転居を余儀なくされた際もこれを受け入れてきたのであるから,事件の一,二か月前頃からAの病状が特に悪化し,また,事件当日にAが車に飛び込もうとするなど突発的な行動をしたとしても,それによって直ちにAの殺害を決心するほど精神的に追い詰められるとは考えにくいともいえる。結局,被告人がAを看護してきたことなどは,被告人がAを殺害したと仮定した場合にその動機を説明し得るものではあっても,被告人がAを殺害したことを積極的に根拠付けるとはいえない。

3  被告人の供述の不自然さ

(1)  検察官は,被告人の供述を前提とすると,Aが自殺した状況が不自然であると主張する。確かに,自動車内で座席に座ったまま首をタオルで圧迫するというのは,自殺方法として容易に思い浮かべられる一般的なものではなく,また,確実に死ねるかどうかも分からないという点で,不自然かつ不合理なものであることは否めない。

しかし,自殺の直前にどれほど合理的な思考をすることができるかは人それぞれであると考えられるし,前記第4で検討したとおり,本件車両の助手席で本件タオルを用いて自殺することは必ずしも不可能ではない。これらを踏まえると,自殺したとするとその状況が一般的ではないことは,Aが殺されたことを推認させるとしても,それほど強く推認させる事情には当たらない。

(2)  検察官は,Aの発見時の姿勢やタオルの結び方,事件当日の帰宅時間について,被告人の供述が不自然に変遷しているとも主張する。

ア 発見時の姿勢について

検察官は,被告人が,平成25年6月6日に,発見時のAの姿勢につき「助手席シートからおしりが前方向へずり落ちた感じでうつむくように座っていた」旨供述したが,同月25日には「Aが助手席のドア側,つまり左寄りに座っていた」旨供述したことをもって,被告人の供述に変遷があると主張している。

しかし,被告人は,同月6日には,「発見時のAの姿勢は平成24年12月15日に行った再現のとおりである」旨も述べている。そして,その再現の際には,A役の警察官は,助手席ドア寄りに座っているのであり(甲18写真42参照),被告人がその後数回の取調べにおいて供述したAの姿勢は,結局,この再現の状況を異なる表現で説明したにすぎないと思われ,被告人の供述に変遷があったとまではいえない。

イ タオルの結び方について

検察官は,被告人が,Aの頸部とヘッドレストを結んでいた本件タオルにつき,前記再現の際には「8の字になっていた」と説明したが(甲18・右上2555),その4日後には「タオルの一端がAの首に,他の一端がヘッドレストの支柱に結ばれ,首側の結び目がネクタイのような感じでスライドした」旨供述を変遷させたこと(弁24)が不自然であると主張している。

確かに,被告人の供述経過は前記のとおりであるが,被告人が後に供述したような結び方が,一見「8の字」に見えたとしても不可思議とまではいえないし,当初結び方をよく覚えていなかったが,再現を行ったのを機に詳しい記憶がよみがえるということもあり得ないではない。したがって,前記の本件タオルの結び方に関する供述の変遷が不自然・不合理であるとはいえない。

ウ 帰宅時間について

検察官は,被告人が,平成25年6月6日の警察署における取調べにおいて,「名阪国道上で車内の時計が午後10時18分であるのを見たので,帰宅時間は早くても午後10時40分以降である」旨供述したが,その後,時計を見た場所は覚えておらず,帰宅時間も定かではない旨の供述をするに至ったことをもって,被告人が証拠の有無を探りながら供述を変遷させたものであり,このような態度は被告人がAを殺害した犯人であることを示している旨主張する。

しかしながら,被告人は,取調時に警察官が時計を見たのは名阪国道上であったという前提で話していたので,警察は何らかの証拠に基づいて言っているのだと思い,これに沿った供述をした旨公判廷で述べており,そのような心境も理解できないものではない。また,被告人は当初,午後9時30分より前に帰宅し,自殺しているAを発見するまでの間に寝室でしばらく眠ったと供述していたが,Aの葬儀の数日後に,警察官に電話をかけ,事件当日の帰宅途中に午後10時18分の時計表示を見た旨報告したことが認められる。被告人にとっては,帰宅時間が遅くなればなるほど119番通報までの時間が短くなり,Aが自殺する時間がなかったことになるから,仮に被告人が犯人であったとすれば,自己に不利益な,午後10時18分にまだ帰宅していなかったという供述をする理由が見当たらない。にもかかわらず,警察官に自分から電話をかけてまでそのような供述をしたことは,むしろ被告人が犯人であることと相反する事情であるように思われる。

そうすると,午後10時18分の時計を見たという供述全体の経過は,被告人が犯人であることを推認させるようなものであるとは到底いえない。

第6総合評価

以上みてきたとおり,法医学的,物理的な見地からみて,Aが本件タオルを用いて本件車両の助手席で自殺した可能性を排除することができない一方で,その他,被告人がAを殺害したことを有意に推認させる事情も認められない。そうすると,結局,神経症の症状が悪化し,自殺を企図するような言動もしていたAが,自殺ではなく,被告人によって殺害されたと認めるにはなお合理的な疑いが残るといわざるを得ない。

第7結論

以上によれば,本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するから,刑事訴訟法336条により被告人に無罪の言渡しをする。

(求刑 懲役7年,本件タオルの没収)

(裁判長裁判官 後藤眞知子 裁判官 渡辺美紀子 裁判官 合田顕宏)

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