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京都地方裁判所 平成24年(行ウ)13号 判決

原告

同訴訟代理人弁護士

渡辺輝人

被告

同代表者法務大臣

処分行政庁

京都下労働基準監督署長 B

被告指定代理人

C〈他9名〉

主文

1  処分行政庁が、原告に対して、平成21年11月25日付けで行った労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

2  処分行政庁が、原告に対して、平成22年11月8日付けで行った労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

⑧事実及び理由

第1請求

主文同旨

第2事案の概要

本件は、ゴボウの袋詰めのための機械(以下「本件機械」という。)の操作を伴う業務に従事していた原告が、同操作中に、本件機械の切断歯に左示指をはさまれ、これを切断したことに起因して心的外傷後ストレス障害(以下「PTSD」という。)に罹患したとして、処分行政庁に対し、療養補償給付及び休業補償給付の各請求をしたが、これに対し、処分行政庁が、これらを支給しない旨の各決定を行ったため、原告が、これを不服として、同各決定の取消しを求める事案である。

1  前提事実(顕著な事実及び争いのない事実)

(1)  原告は、昭和23年○月○日生まれの女性であり、後記の本件事故当時60歳であった。

原告は、株式会社a(以下「本件会社」という。)に雇用されて、本件機械の操作を伴う業務に従事していたところ、平成21年1月12日、本件機械の操作中に、本件機械の切断歯に指を挟まれ、左示指を切断した(以下、この事故のことを「本件事故」という。)。

(2)  原告は、平成21年1月12日、医療法人b会c病院(以下「c病院」という。)に入院して左示指の切断指再接着術(以下「本件切断指再接着術」という。)を受けたが、切断した左示指が生着しなかったため、同月23日、c病院において左示指の断端形成術(以下「本件断端形成術」という。)を受けた。原告の症状は、同年2月19日に固定し、原告には左示指切断の障害(以下「本件左示指切断」という。)が残った。

原告は、同年2月7日、c病院を退院した。

(3)  原告は、平成21年3月11日、本件左示指切断につき、療養補償給付及び休業補償給付の各支給決定(休業期間は同年1月12日から同年2月19日まで)を受けた。また、原告は、同年12月2日、本件左示指切断につき、障害等級12級の認定を受け、障害補償一時金の支給決定を受けた。

(4)  原告は、前記(2)の切断再接着術を受けた後、不眠や異常な発汗の症状が出現し、精神的に不安定な状態になったとして、同年2月17日、医療法人d医院(以下「d医院」という。)を受診し、D医師(以下「D医師」という。)からPTSDとの診断を受けた。

(5)ア(ア) 原告は、平成21年11月19日、処分行政庁に対し、前記(4)のPTSDの発症が業務に起因するものであるとして、d医院における診療費用について、療養補償給付の請求をした。

(イ) 前記(ア)の請求を受けて、処分行政庁は、原告に対し、平成21年11月25日、PTSDが「業務による強い心理的負荷によって発症したものとは認められない」として、これを不支給とする旨の決定(以下「本件処分1」という。)をした。

イ(ア) 原告は、平成22年10月21日、処分行政庁に対し、前記ア(ア)と同様の理由によって、休業期間を平成21年2月20日から平成22年8月19日までとする休業補償給付の請求をした。

(イ) 前記(ア)の請求を受けて、処分行政庁は、平成22年11月8日、前記ア(イ)と同様の理由によって、これを不支給とする旨の決定(以下「本件処分2」といい、本件処分1と併せて「本件各処分」という。)をした。

ウ 原告は、京都労働者災害補償保険審査官に対し、平成22年1月19日、本件処分1を不服として、審査請求をしたが、同審査官は、同年9月9日、これを棄却する旨の裁決をした。

エ 原告は、京都労働者災害補償保険審査官に対し、平成22年12月17日、本件処分2を不服として、審査請求をしたが、同審査官は、平成23年2月8日、これを棄却する旨の裁決をした。

オ 原告は、労働保険審査会に対し、平成22年10月28日、前記ウの裁決を不服として、再審査請求をし、さらに、平成23年3月4日、前記エの裁決を不服として、再審査請求をした。

カ 労働保険審査会は、前記オの各再審査請求を併合し、平成23年11月7日、これらの請求をそれぞれ棄却する旨の裁決をした。

(6)  原告は、平成24年4月25日、本件各処分の取消しを求めて、本件訴えを提起した。

2  業務災害に係る保険給付に関する関係法令の定め等

労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)7条1項1号は、同法による保険給付の1つとして、労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡(以下「業務災害」という。)に関する保険給付を定め、同法12条の8第1項1号及び2号は、同法7条1項1号の業務災害に関する保険給付として、療養補償給付及び休業補償給付を定める。そして、同法12条の8第2項は、同条1項の保険給付は、労働基準法(以下「労基法」という。)75条等に規定する災害補償の事由が生じた場合に、補償を受けるべき労働者等に対し、その請求に基づいて行う旨定める。

労基法75条2項は、業務上の疾病及び療養の範囲は、厚生労働省令で定める旨規定し、これを受けた平成22年厚生労働省令第69号による改正前の労働基準法施行規則(以下「平成22年改正前の労基則」といい、労働基準法施行規則を「労基則」という。)35条別表第1の2第9号は、上記疾病の1つとして、「その他業務に起因することの明らかな疾病」を定める。

処分行政庁は、後記3のとおり、従前は、ある精神疾患が「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かを判断するに当たり、「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」(以下、平成21年4月6日改正の前後を通じて「判断指針」という。証拠〈省略〉)に依拠していた。なお、平成22年厚生労働省令第69号により、労基則35条別表第1の2第9号は、「人の生命にかかわる事故への遭遇その他心理的に過度の負担を与える事象を伴う業務による精神及び行動の障害又はこれに付随する疾病」と改正されており、処分行政庁は、後記3のとおり、現在は、ある精神疾患が同号に該当するか否かを判断するに当たり、平成23年12月26日に発出された「心理的負荷による精神障害の認定基準」(以下「認定基準」という。証拠〈省略〉)に依拠している。

3  判断指針及び認定基準の定め等

(1)  判断指針について(証拠〈省略〉)

ア 判断指針の策定及び制定経緯

判断指針は、精神医学、心理学及び法学の専門家によって構成された「精神障害等の労災認定に係る専門検討会」が平成11年7月29日に取りまとめた報告書(以下「平成11年報告書」という。証拠〈省略〉)を踏まえ、労働省労働基準局長が、平成11年9月14日基発第544号(証拠〈省略〉)として発出したものである。

その後、厚生労働省労働基準局長は、平成21年4月6日基発第0406001号「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」を発出し、判断指針別表1及び判断指針別表2について、具体的出来事の追加又は修正等の改正を行うとともに、併せて、判断指針本文についても必要な修正を行った(証拠〈省略〉。以下、「判断指針別表1」及び「判断指針別表2」は、いずれも上記改正後のものを指す。なお。判断指針別表1の内容は、別紙1〈省略〉のとおりである。)。

イ 判断指針の要旨

(ア) 基本的考え方

心理的負荷による精神障害の業務上外の判断に当たっては、当該精神障害の発症に関与したと認められる業務による心理的負荷の強度の評価が重要である。その際、労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)の制度の性格上、本人がその心理的負荷の原因となった出来事をどのように受け止めたかではなく、多くの人々が一般的にはどう受け止めるかという客観的な基準によって評価する必要がある。また、業務以外の心理的負荷及び個体側要因(精神障害の既往歴、社会適応状況、アルコール等依存状況、性格傾向等の心理面の反応性、脆弱性)についても同様に評価されなければならない。

以上のことから、心理的負荷による精神障害の業務上外の判断に当たっては、まず、精神障害の発症の有無等を明らかにした上で、業務による心理的負荷、業務以外の心理的負荷及び個体側要因の各事項について具体的に検討し、それらと当該労働者に発症した精神障害との関連性について総合的に判断することになる。

(イ) 対象疾病

判断指針で対象とする疾病は、世界保健機関の作成に係る国際疾病分類第10回修正(以下「ICD-10」という。)第Ⅴ章「精神および行動の障害」において分類されている精神障害とする。

このうち、主として業務に関連して発症する可能性のある精神障害は、上記分類においてF0ないしF4(F0:症状性を含む器質性精神障害、F1:精神作用物質使用による精神および行動の障害、F2:統合失調症、統合失調型障害および妄想性障害、F3:気分(感情)障害、F4:神経症性障害、ストレス関連障害および身体表現性障害)として記載されている精神障害である。上記F4の精神障害の中には、PTSD及び適応障害が含まれている。(証拠〈省略〉)

(ウ) 判断要件

次の①ないし③のいずれの要件をも満たす精神障害は、平成22年改正前の労基則別表第1の2第9号に該当する疾病として取り扱うものとしている。

① 対象疾病に該当する精神障害を発症していること

② 対象疾病の発症前おおむね6か月の間に、客観的に当該精神障害を発症させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められること

③ 業務以外の心理的負荷及び個体側要因により当該精神障害を発症したとは認められないこと

(エ) 業務による心理的負荷の強度の評価に係る判断要件の運用

当該心理的負荷の原因となった出来事及びその出来事後の状況が持続する程度(出来事に続く問題の持続又は変化等の状況)について、判断指針別表1を指標にして総合的に判断する。

業務による心理的負荷の強度を検討するに当たっては、本人がその出来事及び出来事後の状況が持続する程度を主観的にどう受け止めたかではなく、同種の労働者(職種、職場における立場や経験等が類似する者)が、一般的にどう受け止めるかという観点から検討されなければならない。

また、判断指針別表1は、出来事及びその出来事後の状況が持続する程度をより具体的かつ客観的に評価するため、①当該精神障害の発症に関与したと認められる出来事が、一般的にはどの程度の強さの心理的負荷と受け止められるかを判断する「平均的な心理的負荷の強度」欄(以下「判断指針別表1(1)欄」という。)、②出来事の個別の状況を斟酌し、その出来事の内容等に即して心理的負荷の強度を修正するための「心理的負荷の強度を修正する視点」欄(以下「判断指針別表1(2)欄」という。)、③出来事後の状況が、その後どの程度持続、拡大あるいは改善したかについて評価するための「(1)の出来事後の状況が持続する程度を検討する視点(「総合評価」を行う際の視点)」欄(以下「判断指針別表1(3)欄」という。)から構成されている。また、心理的負荷の強度についてはこれを3段階に区分し、「Ⅰ」を「日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の心理的負荷」、「Ⅲ」を「人生の中でまれに経験することもある強い心理的負荷」、「Ⅱ」を「その中間に位置する心理的負荷」と定義している。

そして、業務による心理的負荷の強度の評価は、まず判断指針別表1(1)及び(2)欄により、当該精神障害の発症に関与したと認められる出来事の強度が「Ⅰ」、「Ⅱ」、「Ⅲ」のいずれに該当するかを評価し、次に、判断指針別表1(3)欄によりその出来事後の状況が持続する程度による心理的負荷がどの程度過重であったかを評価する。その上で出来事の心理的負荷の強度及びその出来事後の状況が持続する程度による心理的負荷の過重性を併せて総合評価し、「弱」、「中」、「強」のいずれに該当するかを評価する。

(オ) 業務上外の総合判断

判断指針別表1の総合評価が「強」と認められないときには、その余の点を判断するまでもなく、業務起因性は認められない。これに対して、判断指針別表1の総合評価が「強」と認められる場合であっても、業務以外の心理的負荷が極端に強度な場合や、個体側要因に顕著な問題が認められる場合には、業務が有力な原因となっているか否かを総合判断する。

(2)  認定基準について(証拠〈省略〉)

ア 認定基準の策定経緯及び判断指針との共通点

厚生労働省は、労災認定業務の効率化、迅速化を図るため、医学及び法学の専門家等によって構成された「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会」を設置し、同検討会は、平成23年11月8日、「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書」(証拠〈省略〉)を取りまとめた。厚生労働省労働基準局長は、上記報告書を踏まえ、業務起因性に関する新たな基準である認定基準を策定し、平成23年12月26日基発第1226第1号として発出した。これ以後は、認定基準に基づき業務起因性が判断されることとなった。

なお、認定基準においても、①「対象となる精神障害」について、ICD-10第Ⅴ章「精神および行動の障害」に記載された各精神障害とする点、②精神障害の成因について、「ストレス-脆弱性」理論に依拠するという点、③業務起因性を判断するに当たり、業務による強い心理的負荷が認められ、業務以外の強い心理的負荷や個体側要因が認められない場合には業務起因性を肯定し、業務による強い心理的負荷が認められない場合や、明らかに業務以外の心理的負荷や個体側要因によって発症したと認められる場合には、業務起因性を否定するという点、及び業務による心理的負荷の程度の判断は、同種の労働者が一般的にどう受け止めるかという観点から行うという点等については、判断指針の基礎となった平成11年報告書における考え方が維持されている。

イ 認定基準の内容

(ア) 対象疾病

認定基準の対象疾病は、ICD-10第Ⅴ章「精神および行動の障害」において分類されている精神障害のうち、器質性のもの及び有害物質に起因するものを除いたものである。対象疾病のうち業務に関連して発症する可能性のある精神障害は、主として上記分類においてF2ないしF4に分類されている精神障害である。

(イ) 認定要件

以下の①ないし③のいずれの要件も満たす対象疾病は、労基則別表第1の2第9号に該当する業務上の疾病として取り扱う。

① 対象疾病を発症していること

② 対象疾病の発症前約6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること

③ 業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発症したとは認められないこと

(ウ) 認定要件該当性の具体的判断①(精神障害の発症の有無等の判断)

対象疾病の発症の有無、発症時期及び疾患名は、「臨床記述と診断ガイドライン」に基づき、主治医の意見書、診療録等の関係資料並びに請求人及び関係者からの聴取内容等から認められる事実関係に基づき、医学的に判断される。

(エ) 認定要件該当性の具体的判断②(業務による心理的負荷の強度の判断)

業務による心理的負荷の強度の判断に当たっては、精神障害発症前約6か月の間に、対象疾病の発症に関与したと考えられる業務によるどのような出来事があり、また、その後の状況がどのようなものであったのかを具体的に把握し、それらによる心理的負荷の強度はどの程度であるかについて、認定基準別表1(その内容は、別紙2〈省略〉のとおりである。)を指標として「強」、「中」、「弱」の三段階に区分する。なお、認定基準別表1においては、業務による強い心理的負荷が認められるものを心理的負荷の総合評価が「強」と表記し、業務による強い心理的負荷が認められないものを「中」又は「弱」と表記している。「弱」は日常的に経験するものであって一般的に弱い心理的負荷しか認められないもの、「中」は経験の頻度は様々であって「弱」よりは心理的負荷があるものの強い心理的負荷とは認められないものをいう。

(オ) 認定要件該当性の具体的判断③(業務以外の心理的負荷及び個体側要因の判断)

前記(イ)の認定要件のうち、③の「業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発症したとは認められないこと」とは、業務以外の心理的負荷及び個体側要因が認められない場合又は業務以外の心理的負荷又は個体側要因は認められるものの、業務以外の心理的負荷又は個体側要因によって発症したことが医学的に明らかであると判断できない場合をいう。

4  「ストレス-脆弱性」理論について(証拠〈省略〉)

(1)  今日の精神医学、心理学では、環境由来のストレス(業務による心理的負荷及び業務以外による心理的負荷)と個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が生じるという考え方、すなわち、ストレスが非常に強ければ、個体側の反応性、脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に、個体側の反応性、脆弱性が大きければ、ストレスが小さくても精神的破綻が生じると考える「ストレス-脆弱性」理論が広く受け入れられるようになった。同理論によれば、精神医学的にみて、あるストレスが精神障害を発症させる可能性があるほどに強いものであれば、その精神障害は当該ストレスが主因となって発症したものと理解され、当該ストレスがそれほどまでには強いものでないと評価できるものであれば、その精神障害は個体側の反応性、脆弱性が主因となって発症したものと理解されることになる。

(2)  精神障害に業務起因性が認められるか否かを判断する際には、業務によるストレス、業務以外のストレス及び個体側の反応性、脆弱性の各要因をそれぞれ評価して総合的な判断を行う必要がある。

(3)  「ストレス-脆弱性」理論は、精神障害等の労災認定に係る専門検討会及び精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会においても是認されている。

5  争点及び争点に関する当事者の主張

(1)  争点(1)(原告が罹患した精神障害がPTSDか適応障害か)

(原告の主張)

ア(ア) 本件事故は、原告にとって予測不可能な事故であり、その態様も機械によって指が切断される状況を自分自身が目撃していたというものであるから、強い衝撃を与えるものであって、ほとんどの人に大きな苦悩をもたらす悲惨なものというべきである。

(イ) 原告は、本件事故後、第1回目の手術の前後で、「とにかく恐ろしい」「恐ろしさで記憶の外に行った」「怖くて寝られない」「起きている間も背中に大量の汗をかく」「不安と恐怖とで苦しくつらく」「担当医師の先生が廊下を歩く足音も怖かった」という症状に見舞われており、このような事故直後の症状は急性ストレス反応の発症である。

急性ストレス反応を発症した者の多くは、その後PTSDを発症しており、原告が急性ストレス反応を発症したこと自体が、PTSDを発症したことの有力な根拠である。

(ウ) 原告は、平成21年2月7日の退院後、外傷体験の反復的、侵入的な回想が続き、「外に出るのが怖く、人に会うのも怖く、急に鳴り出す電話の音すら怖くて電話に出られない状態」であり、また、「包丁やハサミを扱うこともできず」「エレベーターのドアが閉まるところや爪切りなど、怖いものが沢山ある」など、切断につながるような刺激への恐怖心が強く、刺激への回避傾向が認められる。

こうした症状はその後も続き、原告は、本件事故から相当程度時間がたった後でも、切断事故の報道に対して強烈な恐怖反応を示し、平成23年7月22日には「指を食いちぎられる夢」を見て飛び起きたなど、原告が外傷体験の侵入的想起で苦しんでいる状況が認められる。さらに、本件事故後、原告とその友人との交流は乏しくなり、他者との健康な情動交流が制限されている。

これらの症状はPTSDの典型的な症状であって、適応障害の症状ではない。ICD-10の「適応障害」の症状の多くは、原告に当てはまらない。

(エ) 以上より、原告が本件事故により罹患したのは、PTSDである。

イ なお、ICD-10を解釈するに当たっては、①ICD-10は、現に武力紛争やテロが起きている国でも使用されることが前提となっているから、日本社会を念頭に置いて作られているわけではないこと、②ICD-10の出来事の例示は制限的列挙ではないし、例示の「激しい事故」も「重大な事故」が正しい訳語であることに留意すべきである。

ウ E医師(以下「E医師」という。)は、原告と面談しないまま、原告の本件事故直後の様子を冷静であったと判断するが、原告は切断された指を自ら元どおりにしようと試みるなど、不自然な行動をとっており、動揺していたことは明らかである。原告は、「感情と認知の切り離し」がその一例である解離反応を引き起こしていたのである。

(被告の主張)

ア 労災認定においては、対象疾病の診断は、原則としてICD-10に基づいて行うこととされているところ、ICD-10によってPTSDと診断するためには、「ほとんど誰にでも大きな苦悩を引き起こすような、例外的に著しく脅威を与えたり破局的な性質を持った、ストレス性の多い出来事あるいは状況(すなわち、自然災害または人工災害、激しい事故、他人の変死の目撃、あるいは拷問、テロリズム、強姦あるいは他の犯罪の犠牲になること)」に相当する「例外的に強い外傷的出来事」の存在が必要とされている。

しかしながら、本件事故の態様は、自ら手を入れた本件機械の回転歯によって示指の一部が切断されたという短時間の出来事にすぎないこと、原告において、本件機械の回転歯部分に手を入れれば、本件事故のような指の切断が起きることは予測できたこと、原告は本件事故直後冷静な対応をとっていること、原告の後遺障害は障害等級12級の9に該当する程度であることなどの諸事情に照らせば、本件事故が「例外的に強い外傷的出来事」に相当する出来事であると評価することはできない。

むしろ、原告は、ICD-10における「適応障害」(主観的な苦悩と情緒障害の状態であり、通常社会的な機能と行為を妨げ、重大な生活の変化に対して、あるいはストレス性の生活上の出来事(重篤な身体疾患の存在あるいはその可能性を含む。)の結果によって順応が生ずる時期に発生する。)を発症したというべきである。

イ ICD-10に列挙された出来事は、制限列挙である。

ウ 本件において、精神科医員3名で組織された精神障害等専門部会は、送付された調査票、聴取書、本件事故現場の実地調査及び医療機関から入手した資料等を検討した上で、判断をしているのであり、その判断の前提とした事実に誤りはなく、その判断過程や内容に不合理な点はない。

(2)  争点(2)(原告が罹患した精神障害につき、業務起因性が認められるか)

(原告の主張)

ア 業務起因性判断における相当因果関係の意義等

(ア) 労働者の疾病に業務起因性が認められるためには、当該疾病と当該業務との間に相当因果関係があることを要する。

(イ) 相当因果関係の立証については、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るという高度の蓋然性で足りるのであり、一点の疑義も許さない自然科学的証明までは必要ない。

(ウ) そして、労災保険制度は、労働災害によって生活の危機にさらされる労働者本人とその家族に対して生活保障を行うことを目的とする制度である。

上記制度趣旨に照らせば、業務と結果発生との間に相当因果関係が認められるためには、当該業務の他に競合(共働)する原因があり、それが当該業務と同じく相対的な有力原因であったとしても、相当因果関係の成立は否定されないと解するべきである(共働原因説)。特に精神障害は、①業務による心理的負荷、②業務以外の心理的負荷及び③個体側要因が競合(共働)しており、これら3つの要因を切り離していずれが有力かを判断することは不可能であるから、共働原因説によって業務起因性が判断されるべきである。

(エ) 仮に共働原因説によるのでないとしても、業務と精神障害の間の相当因果関係の有無を判断するに当たっては、医学的知見を踏まえて、発症前の業務内容及び生活状況、これらが労働者に与える心理的負荷の有無や程度並びに当該労働者の基礎疾患等の身体的要因及び精神障害に親和的な性格等の個体側の要因等を具体的かつ総合的に検討し、社会通念に照らして判断するのが相当である。

(オ) 平均的労働者はそれ自体が不明確な概念である上、本件のように、精神障害の発症が特定の事故による身体的な障害に起因する場合、比較すべき平均的労働者など存在しない。また、男性よりも女性においてPTSDの発症が相対的に多いことからしても、平均的労働基準説は妥当ではない。本人基準説又は平均的労働者最下限基準説によるべきである。

(カ) 判断指針及び認定基準は、公平で画一的な処理並びに審査の迅速化及び効率化を目的としたものであって、裁判所は、このような行政基準には拘束されない。

イ 原告の精神障害について業務起因性が認められること

(ア) 原告には精神障害を患ったという経歴はなく、その家族にも精神障害を有する者はいない。本件事故までの社会適応も良く、過去の精神的な問題も認められないから、原告本人に精神障害を発症すべき個体側要因はない。

また、業務以外の環境要因についても、家庭内は円満であり、親族関係及び近隣住民との関係に問題はなく、経済的な問題もない。その他の環境的要因も何もないから、業務以外の環境要因もない。

そうである以上、原告の精神障害については業務起因性が認められるべきである。

(イ) なお、仮に認定基準によるとしても、本件事故は、認定基準別表1にいう「心理的負荷が極度のもの」と認められるべきであるし、そうでないとしても同「出来事の類型」①の「(重度の)病気やケガをした」及び「悲惨な事故や災害の体験、目撃をした」の両方の項目で「強」と認められるべきである。また、原告には反応性、脆弱性が認められず、仮に何らかの個体側の要因があったとしても、それにより原告に精神障害が発症したとはいえない。したがって、本件事故と原告の精神障害発症との間には相当因果関係が認められるというべきである。

(被告の主張)

ア 業務起因性の意義

(ア) 業務起因性を肯定するためには、業務と当該結果との間に相当因果関係を要し、具体的には、当該傷病等の結果が、当該業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として発生したこと(「危険性の要件」及び「現実化の要件」)が認められなければならず、業務が当該結果に対し他の原因と比較して相対的に有力な原因でなければならない。

そして、精神障害の業務起因性については、今日の精神医学及び心理学で広く受け入れられている「ストレス-脆弱性」理論に依拠して判断することが合理的である。また、ストレスの強度は、多くの人々が一般的にどう受け止めるかという見地から、客観的に評価されなければならず、相当因果関係の要件(特に「危険性の要件」)は、平均的な労働者(日常業務を支障なく遂行できる労働者)を基準として判断することが相当である(平均的労働基準説)。そして、上記の帰結として、環境由来のストレスが客観的にみて精神障害を発症させる程度に強いと認められない場合、精神障害発症の原因は、個体側の反応性、脆弱性に求められる。

(イ) 判断基準及び認定基準は、いずれも、精神医学、心理学等の専門家による、それぞれの策定時における最新の医学的知見に基づいて策定されたものであり、その内容は、「ストレス-脆弱性」理論に依拠して客観的な判断基準を打ち出したものであるから、十分に合理的なものである。

イ 判断指針によれば、原告が発症した精神障害に業務起因性は認められないこと

(ア) 原告が罹患した精神障害

前記(1)の(被告の主張)欄記載のとおり、原告が罹患したのは適応障害である。

(イ) 心理的負荷の強度

原告の精神障害の発症時期は、平成21年1月下旬頃であるから、業務起因性の検討対象期間は、その発症前おおむね6か月である平成20年7月下旬頃から平成21年1月下旬頃となる。上記検討対象期間において検討を要する出来事としては、本件事故のみである。

判断指針別表1によれば、本件事故の平均的な心理的負荷の強度はⅢとみられるが、心理的負荷の強度を修正する視点である原告の被災の程度、後遺障害の程度、社会復帰の困難性に照らすと、原告の心理的負荷の強度はⅡである。総合評価を行う視点である出来事後の状況の持続の程度からも、本件事故の心理的負荷が「相当程度過重」であると評価することはできない。そうすると、原告が業務によって受けた心理的負荷の総合評価は「中」と判断されるべきである。

(ウ) 以上のとおり、適応障害の発症前約6か月に原告が受けた本件事故による心理的負荷は「中」であり、適応障害を発症させるおそれのある程度の業務に伴う心理的負荷であったとは認められない。

したがって、原告の適応障害に業務起因性は認められない。

ウ 認定基準によれば、原告が発症した精神障害に業務起因性が認められないこと

(ア) 心理的負荷の強度

認定基準別表1の「具体的出来事」によれば、本件事故の平均的な心理的負荷の強度はⅢとなる。

そして、心理的負荷の総合評価の視点である原告のケガの程度、後遺障害の程度、社会復帰の困難性等本件事故は、心理的負荷の強度が「強」であると判断される程度の心理的負荷の出来事であるとは認められない。

したがって、原告の上記負傷の程度や後遺障害の程度等に照らせば、本件事故の心理的負荷の強度は、「中」であると判断される。

(イ) 個体側の要因について

原告は美意識が高く、繊細、怖がりという性格傾向を有していたといえ、身体欠損というストレスに対して過剰に反応する傾向にあり、その精神障害が遷延化しており、原告自身の脆弱性を示しているというべきである。

(ウ) 以上によれば、原告が発症した適応障害は、認定基準の対象疾病に該当するが、対象疾病の発症前約6か月の間に、業務による強い心理的負荷は認められず、また、原告自身には脆弱性も認められるから、認定の要件を充足しない。

よって、原告の適応障害の発症について業務起因性は認められない。

第3当裁判所の判断

1  認定事実

前記第2の1の事実、括弧内の各証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の各事実が認められる。

(1)  原告の経歴、生活状況等

ア 原告は、昭和23年○月○日生まれ(本件事故当時60歳)の女性である。原告は、平成18年9月頃から、青果物加工を業とする株式会社eにパートタイマー従業員として採用されて、青果の包装等を行う工場(以下「本件工場」という。)で勤務し、平成20年5月頃に、同社から分社独立した本件会社に異動した。

原告は、本件事故以降、本件会社に出勤していない。

(以上、前記第2の1(1)、弁論の全趣旨)

イ 原告には、夫と長男、長女、次女、孫がおり、平成21年当時、夫と京都市内の自宅で生活していた。

原告は、本件事故当時、家族関係において悩みは全くなく、複数の友人と海外旅行に行くなどして余暇を過ごしていた。

(以上、証拠〈省略〉、原告本人)

ウ 原告及びその同僚は、原告の性格につき、しっかりしており、真面目で責任感が強く、怖がりであると感じていた(証拠〈省略〉)。

エ 原告の飲酒状況は、夕食の時にコップに一杯のビールか赤ワインを飲む程度であった(証拠〈省略〉)。

オ 原告の本件事故前における既往症は、腸ポリープ(昭和54年頃に診断)、高血圧症(平成20年12月3日に診断)、喘息(診断時期不明)があった。

なお、原告は、本件事故後の平成21年1月26日から、上気道炎の治療を受けている。

他方、原告は、本件事故発生まで、精神疾患に罹患したことはなかった。原告の両親及び兄弟についても、精神疾患を患ったことがある者はいない。

(以上、証拠〈省略〉)

(2)  本件会社における原告の業務内容及び労働時間

ア 原告は、青果の包装等を行う本件工場において、①野菜を手作業で袋詰めして、袋の口をテープで止める作業や、②手作業で、野菜をトレイに入れてパックする作業を担当し、平成19年頃からは、③ネギやゴボウを機械で包装する作業に従事するようになり、本件事故当時、グループリーダーも務めていた(証拠〈省略〉)。

イ 前記ア③の作業に使用されるピロー包装機(本件機械)は、ベルトコンベアにフィルムを施して青果が入る程度の空間(チューブ状の筒)を作り、そこにベルトコンベア上を流れてくる青果を装填して、回転歯でフィルムを切断すると同時に、カッターに装着されたヒーターの熱によってフィルムを接着して商品を密閉する機械である(証拠〈省略〉、弁論の全趣旨)。

ウ 本件機械を使用したゴボウの包装作業は、6人で行うこととなっており、3人が既に切断されたゴボウを計り、1人が当該ゴボウを本件機械のベルトコンベアに載せ、2人が、本件機械の操作及び包装されたゴボウを受けて箱に詰める作業を行っていた。なお、本件機械の機械操作は、ある程度作業に慣れた従業員が担当することとなっていた。

原告は、ゴボウの包装作業を行う際、本件機械の操作及びゴボウを受けて箱に詰める作業を担当していた。

(以上、証拠〈省略〉)

エ 本件機械には、包装された青果が排出される部分の上部等にカバーがあり、そこに「巻込危険」と記載されたシールが貼付されていたほか、その操作盤の前にも「高温切断危険」と記載されたシールが貼付されていた(証拠〈省略〉、弁論の全趣旨)。

オ 原告の総労働時間数は、平成20年7月31日から同年8月29日までにおいては95時間43分、同月30日から同年9月28日までにおいては132時間54分、同月29日から同年10月28日までにおいては117時間40分、同月29日から同年11月27日までにおいては106時間29分、同月28日から同年12月27日までにおいては109時間33分、同月28日から平成21年1月26日までにおいては35時間08分であった。時間外労働時間数(1週間当たり40時間を超えて労働した時間数)については、平成20年12月28日から平成21年1月16日までにおいて17分あったが、平成20年7月31日から同年12月27日までにおいては、0分であった。(証拠〈省略〉、弁論の全趣旨)

(3)  本件事故の状況等

原告は、平成21年1月12日午前9時50分、本件工場内で本件機械を使用してゴボウの袋詰め作業に従事していたところ、ゴボウを包装するフィルムが回転歯に引っ掛かったので、それを取り除くため、機械を止めないまま回転部に手を入れ、左手示指の一部を回転歯によって切断した。

原告の同僚が他の従業員に救急車を呼ぶように要請したが、原告は、「とれた。」と言って左手示指を噛み、切断された部分を自ら合わせ、止血するため、手を上げていた。

原告は、「この指がとれたら仕事ができなくなるかな。」などと同僚に話し、出血量は多くなかった。

(以上、証拠〈省略〉)

(4)  本件左示指切断に係る治療経過等

ア c病院での治療経過

(ア) 本件事故後、5分ないし10分程度で救急車が本件工場に到着し、原告は、その約5分後には、救急車でc病院に搬送され、入院した。

c病院においては、レントゲン検査等によって、原告の左手示指は、左示指近位関節より遠位で、中節骨を9mm残して切断された状態であると診断された。原告の左示指は、その近位指節間関節について全く屈曲しない状態であり、原告は、左示指に疼痛及び痺れを感じていた。

原告は、本件事故当日の夜は、就寝しても約2時間おきに目が覚めていた。

(イ) 主治医は、原告に対し、左示指が切断の状態になる可能性が高い旨の説明をしたが、原告の強い希望により、平成21年1月12日、本件切断指再接着術を実施した。

しかし、本件切断指再接着術によっても原告の左示指は生着しなかったため、主治医は、原告に対して、同月20日、示指の断端形成術を実施する必要がある旨を説明した上で、同月23日、本件断端形成術を実施した。本件断端形成術により、原告の左示指は、本件事故前よりも約3cm短くなった。

(ウ) 原告は、平成21年1月13日から同年2月2日にかけて、精神的に落ち着いた状態と、手術に対する不安及び創部に対する恐怖心等を感じる状態とを繰り返しており、深夜に夢を見て起きたり、本件事故の状況がフラッシュバックしたりすることもあった。

原告は、同年2月7日にc病院を退院したが、外出したり、人に会うことができる状態ではなく、包丁やはさみ等の刃物も使うことができなかった。また、不意に鳴る電話の音、車のブレーキ音、踏切りの音やエレベータの扉、自転車等に恐怖を感じていた。

(以上、証拠〈省略〉、原告本人)

イ fクリニックの受診

原告は、平成21年2月17日、fクリニックを受診し、本件左示指切断につき、「目をつぶるとそのときの光景がパーっと出る。」、「エレベーターの開け閉めが怖い。」、「何につけて怖い。」、「受け入れていない。」、「いつも怖い。」等と訴えた(証拠〈省略〉)。

ウ d医院における治療経過

原告は、平成21年2月17日、d医院を受診した。原告は、同日時点においても、眠りが浅いことがあり、不安等を感じていた。

原告は、同年11月14日の時点でも。フラッシュバックを経験しており、機械に対する恐怖心を感じていた。

原告は、同年6月までは月に約2回、同年7月から平成22年11月18日までは月に約1回、同医院を受診し、カウンセリングや向精神薬の投薬治療を受けた。

(以上、証拠〈省略〉)

エ g診療所における療養経過

原告は、平成22年11月15日、公益社団法人京都保健会京都民医連g診療所を受診した。原告は、同日時点でも、フラッシュバックを経験することがあった。

原告は、同日から平成24年8月17日までの間、1か月に1回程度の割合で同診療所を受診している。この間、原告の母親は、腎臓がんを患って療養中であり、その見舞い等で疲労を感じていた。原告は、平成23年3月21日に母親が亡くなった後、「ひょっとした拍子に、ぽろぽろと涙がこぼれます。」等と述べていた。

(以上、証拠〈省略〉)

オ なお、本件左示指切断については、平成21年2月19日に症状が固定したと診断されている(証拠〈省略〉)。

カ 原告は、現在でも、エスカレータの階段が収納されていく様子に恐怖を感じており、フラッシュバックも経験している(原告本人)。

2  争点(1)(原告が罹患した精神障害がPTSDか適応障害か)について

(1)  各医師の意見の要旨

ア F医師の意見の要旨(証拠〈省略〉)

F医師は、原告の精神障害につき、主に原告の自覚症状に関する陳述(証拠〈省略〉)に基づき、ICD-10に照らして判断をし、本件事故をきっかけとして急性ストレス反応を発症し、その後平成21年2月下旬からPTSDを発症したとしている。

また、ICD-10におけるPTSDをもたらす「例外的に強い外傷的出来事」の本質的な要素は、「ほとんど誰にでも大きな苦悩を引き起こす」ことであり、その例示は政情不安定な地域を想定して記載されたものであるとした上で、常識的な感覚からいえば、本件事故は、ほとんどの人に大きな苦悩をもたらすものであるから、原告の精神障害をPTSDであるとする。

イ D医師の意見の要旨(証拠〈省略〉)

D医師は、原告の精神障害に係る症状の発現時期を平成21年1月20日頃とした上で、米国精神医学会編集に係る「精神障害の診断・統計マニュアル」の第4版に照らして判断すると、原告が初診時より一貫して訴えている具体的症状は、原告の精神障害がPTSDであることと矛盾しないとする。

ウ E医師の意見の要旨(証拠〈省略〉)

E医師は、PTSDか否かの診断に当たっては、「ストレス-脆弱性」理論に基づき、患者の訴えや症状から判断するのではなく、患者に発生した外傷的出来事によるストレスの強度を客観的に評価してこれを行うべきとの基本的な考え方に立脚し、本件事故は、ICD-10及び「精神障害の診断・統計マニュアル」の第4版の改訂版(以下「DSM-Ⅳ-TR」という。)の各診断基準に照らし、PTSDを発症させるに足りる外傷的出来事とはいえないとする。そして、ICD-10及びDSM-Ⅳ-TRの診断基準に従い、原告の症状や本件事故の状況等に照らすと、原告の精神障害は、適応障害と解されるとする。

(2)  検討

ア 原告が罹患した精神障害が何かを判断するに当たり、ICD-10やDSM-Ⅳ-TRに依拠することにつき、当事者双方はこれを争わず、また、ICD-10及びDSM-Ⅳ-TRの各診断基準が不合理であることをうかがわせる事情はないから、当裁判所も同各診断基準等によりつつ、原告が罹患した精神障害が何かを判断することとする。

イ 証拠〈省略〉によれば、ICD-10及びDSM-Ⅳ-TRは、いずれも、PTSDを発症したと認めるためには、当該患者に生じている一定の反応や症状のほか、一定の外傷的出来事の存在を必要としている点で共通していること、ICD-10は、PTSDの発症に必要な外傷的出来事の内容につき、①「ほとんど誰にでも大きな苦悩を引き起こすような、例外的に著しく脅威を与えたり破局的な性質をもった、ストレス性の出来事あるいは状況(短時間もしくは長時間持続するもの)」、②「すなわち、自然災害または人工災害、激しい事故、他人の変死の目撃、あるいは拷問、テロリズム、強姦あるいは他の犯罪の犠牲になること」としていること、DSM-Ⅳ-TRは、PTSDの発症に必要な上記出来事の内容を③「実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を、1度または数度、あるいは自分または他人の身体の保全に迫る危険を、その人が体験し、目撃し、または直面した」としていることが認められる。また、証拠〈省略〉によれば、ICD-10においては、適応障害は、「主観的な苦悩と情緒障害の状態であり、通常社会的な機能と行為を妨げ、重大な生活の変化に対して、あるいはストレス性の生活上の出来事(重篤な身体疾患の存在あるいはその可能性を含む)の結果に対して順応が生ずる時期に発生する」ものであり、その「症状は多彩であり、抑うつ気分、不安、心配(あるいはこれらの混合)、現状の中で対処し、計画したりし続けることができないという感じ、及び日課の遂行が少なからず障害されることが含まれる。」とされていることが認められる。

ウ まず、ICD-10のPTSD発症に必要な出来事の定義についてみると、上記②の各事項が仮に例示列挙だとしても、その体裁からして、上記①にいう「出来事あるいは状況」に該当するというためには、上記②の各事項と同等の強度のストレスを与える出来事である必要があるというべきである。

次に、DSM-Ⅳ-TRのPTSD発症に必要な出来事の定義についても、「実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事」という記載ぶりからして、「重傷を負うような出来事」とは、一般に死の危険を感じるような傷害をいうと解すべきである。

エ 本件事故の状況(前記1(3))、本件左示指切断の状況(前記1(4)ア(ア))、本件事故後の治療経過(前記1(4))からすれば、左示指の切断という傷害は、激しい痛みを伴い、自らの指を失うという衝撃的な出来事であることは疑うべくもないが、他方で、「自然災害または人工災害、激しい事故、他人の変死の目撃、あるいは拷問、テロリズム、強姦あるいは他の犯罪の犠牲になること」に比肩すべき強いストレスを与えるものでないことも、一般に死の危険を感じるような傷害でないことも明らかである。

オ 他方、E医師作成に係る意見書(証拠〈省略〉)においては、原告が罹患した精神障害が適応障害である旨の判断が、ICD-10及びDSM-Ⅳ-TRの各診断基準に従い、かつ、具体的な事実関係に基づきされており、その判断内容に格別不合理な点は見当たらない。

カ そうすると、原告がPTSDに罹患したとは認められないというべきである。

キ 他方で、原告が何らかの精神障害を発症していることは当事者間に争いがなく、かつ、被告は、当該精神障害が適応障害であることを自認していることからすれば、原告が患った精神障害は適応障害であると認めるのが相当である。

(3)  原告の主張について

ア 原告は、本件事故直後に急性ストレス反応に罹患していたことを前提として、急性ストレス反応に罹患した者の多くがPTSDを発症するという医学的知見に照らせば、原告は、急性ストレス反応に罹患した後、PTSDを発症したものと認めるべきである旨主張する。

しかしながら、急性ストレス反応の発症原因となるストレスは、例外的に強い身体的、精神的ストレスであって、患者本人等の安全あるいは身体的健康に対する重大な脅威(例えば、自然災害、事故、戦闘、暴行、強姦)を含む圧倒的な外傷体験や肉親との死別の重複、自宅の火災のような患者の社会的立場や人間関係の非常に突然かつ驚異的な変化によるストレスとされているところ(証拠〈省略〉)、前記1(3)で認定した本件事故の状況によれば、本件事故が原告の「身体的健康に対する重大な脅威を含む圧倒的な外傷体験」であるとまでいうことはできず、原告が急性ストレス反応に罹患したと認めることはできないから、原告の上記主張はその前提を欠く。

イ 原告は、本件事故後に原告に生じた症状がPTSDの症状と一致する一方で、適応障害の症状には一致しない旨主張する。

しかしながら、PTSDである旨の診断は、患者の反応や症状のみによって行うことはできないことは前記(2)イのとおりであり、また、前記(2)イ及び前記1(4)アないしウのとおり、適応障害の症状には、本人が不安や心配を感じることが含まれており、原告も本件事故後不安や心配を断続的に感じていたことが認められるから、原告の上記主張には理由がない。

3  争点(2)(原告が罹患した精神障害につき、業務起因性が認められるか)について

(1)ア  労基法及び労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の疾病について行われるところ、業務上疾病にかかった場合とは、労働者が業務に起因して疾病にかかった場合をいい、業務と疾病との間には、条件関係が存在するのみならず、相当因果関係があることが必要であると解される(最高裁昭和51年11月12日第二小法廷判決・集民119号189頁参照)。

そして、労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度は、使用者が労働者を自己の支配下に置いて労務を提供させるという労働関係の特質を考慮し、業務に内在する各種の危険が現実化して労働者が疾病にかかった場合には、使用者に無過失の補償責任を負担させるのが相当であるという危険責任の法理に基づくものであるから、業務と疾病との間の相当因果関係の有無は、その疾病が当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである(最高裁平成8年1月23日第三小法廷判決・集民178号83頁、最高裁平成8年3月5日第三小法廷判決・集民178号621頁参照)。

また、前記第2の4のとおり、今日の精神医学、心理学的の領域においては、「ストレス-脆弱性」理論が広く受け入れられているところ、上記労災保険の危険責任の法理及び前記第2の4の「ストレス-脆弱性」理論の内容に照らせば、業務の危険性の判断は、当該労働者と同種の平均的な労働者、すなわち、当該労働者と職種、職場における立場、経験等の点で同種の者であって、何らかの個体側の脆弱性を有しながらも特段の勤務軽減まで必要とせずに通常業務を遂行することができる者を基準とすべきである。このような意味での平均的労働者にとって、当該労働者の置かれた具体的状況における心理的負荷が一般に精神障害を発病させる危険性を有しているといえ、特段の業務以外の心理的負荷及び個体側の要因のない場合には、業務と精神障害の発生との間に相当因果関係が認められると解するのが相当である。

イ  ところで、判断指針及び認定基準は、いずれも精神医学的、心理学的知見を踏まえて作成されており、かつ、労災保険の危険責任の法理にもかなうものであり、その作成経緯及び内容等に照らして不合理なものであるとはいえない。

したがって、基本的には判断指針及び認定基準を踏まえつつ、当該労働者に関する精神障害発病に至るまでの具体的事情を総合的に斟酌して、業務と精神障害発病との間の相当因果関係を判断するのが相当である。

なお、認定基準は、本件各処分時には存在しなかったものであるが、判断指針及び認定基準がいずれも裁判所の判断を拘束するものではないこと、認定基準は、より新しい医学的知見を踏まえたものであることから、当裁判所は、主に認定基準に示された事項を考慮しつつ、総合的に本件各処分の違法性を検討するものとする。

(2)ア  認定基準によれば、業務起因性の判断において検討の対象とすべき期間は、当該疾病の発症前約6か月である。そして、証拠〈省略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告の精神障害の発症時期は、平成21年1月下旬頃であることが認められる。

そうすると、本件で検討の対象とすべき期間は、平成20年7月下旬頃から平成21年1月下旬頃までの間であるところ、この期間に原告に発生した外傷的出来事は、本件事故以外には見当たらない。

イ(ア)  本件事故は、その態様及び治療経過(前記1(3)及び(4))に照らせば、認定基準別表1の「具体的出来事」のうち「(重度の)病気やケガをした」に該当するというべきであり、その「心理的負荷の強度」は「Ⅲ」である。

(イ) 前記(ア)の認定に引き続き、認定基準別表1に記載された、「病気やケガの程度」及び「後遺障害の程度、社会復帰の困難性等」といった「心理的負荷の総合評価の視点」についてみる。

本件事故の状況は、前記1(3)のとおりであるところ、自らの指が機械の回転歯によって切断されるという体験は、激しい痛みを伴う衝撃的なものであることは容易に推察されるところであり、一生のうちに何度も体験する出来事ではないと解される。また、前記1(4)のとおり、原告の左示指については、切断指再接着術によっても生着しせず、断端形成術によってその長さを約3cm短くしなければならなかったというのであり、その後遺症の程度は軽くはない。さらに、前記1(4)のとおり、原告は、本件事故後、約3年半にわたって、精神障害の治療のために医療機関を受診する間、断続的にフラッシュバックや不安感、恐怖感、浅眠等に苦しめられており、フラッシュバックや恐怖感については、現在でも止んでいない。加えて、原告は、本件事故により、本件工場での仕事がおよそ不可能になったとは解されないものの、本件事故は、原告の就労や日常生活に一定の支障を来すものであると考えられる。

他方、原告と同種の労働者とは、機械を用いた青果の袋詰めを行うような工場で働く女性(60歳程度)であり、労働者のグループのリーダーではあったものの、パートタイマー従業員として働いている者である。そのような者は、正社員ほど責任ある仕事を任されることは少なく、したがって、自己の業務及びその危険性に対する心構えの程度も相対的に低いと解される。

以上にみた本件事故の状況、本件左示指切断の程度、本件事故後の治療経過及び原告の症状経過、社会復帰の困難性並びに原告と同種の労働者の特質に鑑みれば、本件事故に係る心理的負荷の強度はこれを「強」と評価すべきであって、本件事故は、それ自体、原告と同種の労働者に対して、「主観的な苦悩と情緒障害の状態であり、通常社会的な機能と行為を妨げ、重大な生活の変化に対して、あるいはストレス性の多い生活上の出来事(重篤な身体の存在あるいはその可能性を含む。)の結果に対して順応が生ずる時期に発生する」適応障害を発症させるに足りる程度の心理的負荷をもたらすものであったというべきである。

(ウ) 確かに、本件左示指切断に係る入院期間及び治療期間は、それぞれ26日間及び39日間であって比較的短期ではあるが(前記1(4))、本件事故の悲惨さ等に鑑みれば、かかる事情は、前記(イ)の判断を左右するに足りるものではない。

(3)ア  そして、前記1で認定した各事実のうち本件事故以外の出来事や原告の生活状況、病歴等(前記1(1)エ、オ、(2)オ)は、いずれも原告の適応障害を発症させるに足りるものとは認められず、その他、原告の適応障害を発症させる要因は見当たらないから、本件事故と原告の適応障害発症との間の相当因果関係(原告の適応障害発症の業務起因性)を認めるのが相当である。

イ  なお、被告は、①原告が美意識が高く、繊細で怖がりという性格傾向を有していたこと及び②原告の精神障害が長期間にわたって遷延化していることをもって、原告に脆弱性がある旨主張する。

しかしながら、上記①については、E医師の意見書(証拠〈省略〉)においても、原告の適応障害発症につき特段考慮すべき個体側要因は確認されていないとされているばかりか、本件の全証拠によっても、上記性格傾向が通常人が有する性格傾向と比べて異常なものであると認めることはできず、そうである以上、このような個々人の個性ともいうべき特徴を理由に、精神障害発症に係る業務起因性(相当因果関係)を否定することは許されず、被告の上記主張は到底採用の限りでない。また、上記②についても、原告の症状が長期化している理由にはなっても、当初の適応障害発症につき業務起因性を否定する理由にはならないというべきであって、やはり理由がない。

(4)  以上より、原告の適応障害には業務起因性が認められないことを理由とする本件各処分はいずれも違法であり、取り消されるべきである(なお、前記判示のとおり、処分行政庁は、原告の患った精神障害は適応障害であると自ら判断しているのであるから、当裁判所が、原告が適応障害であることを前提としてその業務起因性を肯定しても、行政庁の第一次判断権の侵害の問題は生じない。)。

4  結論

以上のとおり、原告の請求はいずれも理由があるから認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 栂村明剛 裁判官 武田美和子 裁判官 髙津戸拓也)

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