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京都地方裁判所 平成23年(ワ)116号 判決

原告

上記訴訟代理人弁護士

森重一

岩本拓也

松岡太一郎

被告

上記訴訟代理人弁護士

湖海信成

被告補助参加人(弁護士)

上記訴訟代理人弁護士

長谷川洋平

主文

一  A1が、平成一七年一〇月三日に、京都地方法務局所属公証人A2に対し自己の遺言書である旨を申述した遺言書(平成一七年第七九二号をもって秘密遺言証書封紙が作成されたもの)による遺言は、秘密証書による遺言としても、平成一五年一二月一一日作成の自筆証書による遺言としても、無効であることを確認する。

二  参加費用は参加人の負担とし、その他の訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一事案の概要

一  原告の請求の趣旨

A1が平成一七年一〇月三日にした、次の二項掲記の秘密証書遺言は無効であることを確認する。

二  主文一項掲記の遺言の内容

主文一項掲記の遺言書(以下「本件遺言書」といい、これによる遺言を「本件遺言」という。)の記載内容は、下記のとおりであり、遺言者は、A1という高齢女性(以下「A1」という。)であった。

「 ゆい言書

私の いさんは 後のことをすべて

おかませしている弁ご士、

Yにいぞうします

ゆいごんしっこうしゃは

Zにおねがい

します 平成十五ねん十二月十一日

A1」

三  紛争の骨子

原告は、A1の相続人であり、本件遺言が無効であると主張して本件訴訟を提起した。原告が相続人かどうかは争いがある。

被告は京都弁護士会所属の弁護士である。A1は被告の依頼者であった。本件遺言により被告に遺贈されたA1の遺産は、預金だけで三億円を超える多額のものであった。

参加人は、本件遺言により遺言執行者として指定された者であり、京都弁護士会所属の弁護士である。

本件遺言書は、当初、民法九六八条所定の自筆証書であったが、後に、民法九七〇条所定の秘密遺言証書封紙が作成された結果、秘密証書となった。

第二前提事実

以下の事実は、争点摘示の前提となる事実である。証拠番号を掲記したものを含め、いずれも、当事者間に争いがないか、積極的に争うことが明らかにされない事実である。

一  身分関係等

(1)  A1は、大正五年○月○日生まれの女性であり、平成二一年二月一八日に九二歳で死亡した。

(2)  A1は、A3(文久元年生)とA4(慶応元年生)の間の嫡出子として戸籍の届出がされた。A1の兄弟として戸籍に記載があるのは、次の八名である。

A5(明治一七年○月○日生)

A6(明治一九年○月○日生)

A7(明治二三年○月○日生)

A8(明治二六年○月○日生)

A9(明治二九年○月○日生。以下「A9」という。)

A10(明治三二年○月○日生)

A11(明治三五年○月○日生)

A12(明治四〇年○月○日生。以下「A12」という。)

(3)  戸籍のとおりだと、A1は、A4が五一歳のときに出生したことになる。

(4)  原告は、A13の実子である。A13は、A6の子であるから、原告は、A6の孫であり、A12の姪の子ということになる。

(5)  原告は、昭和三四年にA12(及びその夫であるA14)との間で養子縁組をした。なお、A12は、平成四年一一月七日に死亡した。

(6)  本件でしばしば登場するA15(昭和一〇年○月○日生。以下「A15」という。)は、A7の子であり、A12の甥となる。

二  A1の婚姻

A1は、京都祇園の舞妓・芸妓であったが、昭和三七年二月二〇日、東京の呉服商であったA16(明治三三年○月生。以下「A16」という。)と婚姻した。

A16は、A1との婚姻を機に、京都で呉服商を営み、京都で生活することにし、昭和三七年九月、株式会社a(以下「訴外会社」という。)を設立し、京都祇園に店舗を構えた。

昭和三八年三月には、夫婦の自宅として、A1名義で下記の土地建物(以下「自宅不動産」という。)の購入がされた(甲一三六ないし一四一)。

(建物)

京都市〈以下省略〉所在

家屋番号 〈省略〉

木造瓦葺二階建

一階 八四・〇九平方メートル

二階 七四・七七平方メートル

(土地)

京都市〈以下省略〉

宅地 七八・五一平方メートル

京都市〈以下省略〉

宅地 七五・六六平方メートル

京都市〈以下省略〉

宅地 一二・七二平方メートル

三  訴外会社の経営

A16は、昭和五一年二月二七日に死亡した。その後、A1は、訴外会社の代表取締役として、その終営を一手に引き受けていた。また、訴外会社の発行済株式九〇〇〇株全部(以下「本件株式」という。)はすべてA1が保有していた。

A1の右腕として訴外会社の経営を支えていたのは、A17である。同人は、昭和四一年に入社した古参社員であり、A1の親戚でもある。

A17は、A1が死亡した後の平成二一年三月三日、訴外会社の代表取締役に就任している。訴外会社の経理担当者は、A18であり、訴外会社の会計顧問は、税理士のA19(以下「A19税理士」という。)であった。

原告も、長らく、訴外会社に勤務している。

四  本件遺言書の作成

A1は、平成一三年、めまいによって自宅の階段を転落したことをきっかけとして、同年一二月三日から平成一四年一月九日にかけて京都第一赤十字病院に入院した(甲二〇。当時A1は八五歳)。

A1は、低酸素血症が認められたため、退院後、在宅酸素療法を行うようになり、週一回程度の頻度で、京都第一赤十字病院から紹介を受けた竹中医院に通院し、A20医師の診察を受けることになった(乙二二)。

A1は、上記退院後、自宅でも酸素ボンベによる酸素吸入を行うことが必要となっていたし、高齢で体力も衰えており、日常生活において他人の介護・介助を必要としていたことから、介護保険の要介護認定を申請した。そのため、A1の健康状態や精神状況については、平成一四年一一月一一日及び平成一五年一一月一一日、京都市職員による訪問調査が行われている。

上記のとおり、A1は、平成一四年の退院後、体調が芳しくない状態が続いていたが、平成一五年一二月一一日(A1は八七歳)、自筆証書遺言として本件遺言書を作成した。本件遺言書は、民法九六八条の要式を充たしている。

五  委任状の作成

A1から被告に対しては、平成一六年一一月二二日(後記の西陣病院入院の直前)、下記のとおりの本文の記載がある委任状が作成されている(甲八。以下「本件委任状」という。)。

「一、私は、株式会社aの代表取締役並びに株主として、株式会社aの業務に関し、代表取締役並びに株主としての権限の行使を、当分の間同会社の顧問弁護士Yに代理人として委任します。

又、同会社の業務に差し支えがないよう、私の印鑑(実印及び銀行印)と同会社の印鑑(実印及び銀行用使用印)を同弁護士にお預けし、同弁護士が私に代って必要な印鑑の押捺などすることを委任します。

Y弁護士が受任した権限に基いて受任業務の実務を適当と認める者に、補助させることは認めます」

六  秘密証書遺言

A1は、平成一六年一一月二九日から平成一七年三月六日にかけて、西陣病院に入院し、同病院の医師からアルツハイマー病と診断された。

その後、本件遺言書は秘密証書にすることになり、平成一七年一〇月三日(A1は八九歳)、A1の自宅を訪問した公証人A2(以下「A2公証人」という。)に対し、A1が本件遺言書が自己の遺言書であるとの申述した旨の内容の秘密遺言証書封紙が作成された(乙一)。

七  A1の体調の悪化

A1は、呼吸状態が急激に悪化したことから、平成一七年一二月二六日から平成一八年一月一九日まで、再び、京都第一赤十字病院の救命病棟に入院した(甲一四)。

A1は、平成一八年一月一九日、なぎ辻病院に転院し、同病院には、平成一八年五月九日まで四か月足らずの期間入院していた(甲三六)。

八  包括委任契約書の作成

A1と被告との間には、上記なぎ辻病院入院中の平成一八年三月三日付けで「特別法律顧問並びに委任契約書」(以下「本件包括委任契約書」という。)が作成されている。

本件包括委任契約書は、A1(個人)を委任者、被告を受任者として、委任事項や委任事務の遂行方法に制限を加えず、

(1)  A1に関するあらゆる事柄について被告に代理権を授与し、

(2)  訴外会社の代表取締役及び株主としての権限の代行権限を付与する、

という内容である。

九  A1の死亡

A1は、平成一八年一二月二二日から平成一九年三月二日にかけて、再び、なぎ辻病院に入院し、一旦は退院したものの、平成一九年一二月一〇日に三たび、同病院に入院し、以後、平成二一年二月一八日に死亡するまで、一年と二か月余りの入院生活を続けた。

本件遺言書は、平成二一年三月二四日、京都家庭裁判所において検認手続がされた(乙一)。

第三争点

一  本案前の争点(訴えの利益)

原告がA1の相続人かどうかが争点となる。

遺言の有効無効は、当該遺言によって法的地位の変動が生じた当事者間で争われる必要があり、それ以外の当事者間では、判決で当該遺言の有効無効を確定しても何ら法的紛争の解決に資することがない。このような場合、判決で遺言の有効無効を確定する(訴訟上の)利益を欠くから、裁判所は、このような類の訴えが提起されても、遺言の有効無効に関する審理も判決もすべきではないことになる。

もし、原告がA1の相続人でないとすれば、本件訴えは、本件遺言の有効無効について検討を加えるまでもなく、不適法な訴え(訴えの利益を欠く訴え)として却下すべきことになる。

二  本案の争点(本件遺言の効力)

本件遺言の有効無効に関しては、次の(1)ないし(4)が争点である。

(1)  本件遺言を秘密証書とするための方式が遵守されたかどうか。

(2)  公証人に対する申述の当時(平成一七年一〇月三日)のA1の遺言能力

(3)  本件遺言書作成の当時(平成一五年一二月一一日)のA1の遺言能力

本件遺言書は、自筆証書遺言の要式を充足しているため、本件遺言が秘密証書遺言として無効であったとしても、自筆証書遺言としての本件遺言の有効性が問題となるのである。

(4)  本件遺言が公序良俗に反するものとして無効となるかどうか。

第四訴えの利益(原告が相続人かどうか)に関する当事者の主張

【原告の主張】

一  関係者の身分関係は戸籍の記載(前提事実一)のとおりであり、A1は、A4の娘であり、原告は、A4の娘であるA12の養女である。

二  A1の死亡時においてA12は既に死亡していたから、民法八八九条二項、八八七条二項の規定にしたがい、原告は、A1の代襲相続人となる。

【被告の主張】

一  A1は、戸籍上はA4の娘であり、出生後の昭和五年九月四日、A3によって認知されている。

二  しかし、A1は、実は、戸籍上の姉であるA9の子であり、A1自身も、生前から、A9が実の母であると周囲に話し、A9が埋葬されている東光寺のA3家の墓に自身も埋葬されることを希望していた。

もし、A1がA4の子だとすると、A4は五一歳でA1を産んだことになって不自然である。

三  したがって、原告は、本当は、A1の母(A9)の姉(A12)の養女であり、従兄弟ということになるから、法定相続人ではない。

第五民法九七〇条一項の手続に関する当事者の主張

【原告の主張】

一  封紙上の署名の偽造

民法九七〇条一項四号は、秘密証書遺言の手続として「公証人が、その証書を提出した日付及び遺言者の申述を封紙に記載した後、遺言者及び証人とともにこれに署名し、印を押すこと」を要求している。しかし、筆跡鑑定(甲一四二)によれば、本件の秘密遺言証書封紙上のA1の署名は、本件遺言書及び封筒上のA1の筆跡とは異なる。本件遺言書及び封筒上の筆跡は、乙第一五号証や乙第一六号証の委任状の筆跡と同じであり、A1の自筆であることは明らかであるから、これらと相違する封紙上の署名はA1の自筆ではなく、偽造されたものである。

二  申述の欠缺

民法九七〇条一項三号は、秘密遺言証書封紙作成の手続として「公証人一人及び証人二人以上の前に封書を提出して、自己の遺言書である旨並びにその筆者の氏名及び住所を申述すること」を要求しているが、後記第六の主張のとおり、その当時のA1は老人性認知症により記憶力が低下しており、意思疎通も困難であったから、上記申述を行ったとは考えられない。

三  したがって、本件遺言書については、民法九七〇条一項の手続が履践されていない。

【被告の主張】

本件遺言書については、A2公証人がA1の自宅に赴き、補助参加人及びA1と同居していたA21(以下「A21」という。)が証人となって民法九七〇条一項所定の手続が履践された。

第六A1の遺言能力に関する当事者の主張

【原告の主張】

以下の事情を考慮すれば、本件秘密証書遺言の手続を行った平成一七年一〇月三日時点はもちろん、本件遺言書を作成した平成一五年一二月一一日時点でも、A1は、遺言能力を欠いていたというべきである。

一  公証人に対する申述当時(平成一七年一〇月三日)の判断能力

A1は、平成一七年一〇月三日時点で八九歳の高齢であったが、脳梗塞やCOPD(肺気腫あるいは慢性閉塞性肺疾患)を発症しており、これらを原因とする認知症が進行していた。

すなわち、平成一七年一一月一日の看護記録(甲一〇八)によれば、A1は「アルツハイマー病」と診断され、病状として「血中酸素濃度低下による呼吸困難」「記憶力及び思考著しく低下及び減退」「意思疎通の困難さ」が見られ、「痴呆の状況」は「無」「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」「Ⅳ」「M」のうち「Ⅳ」とされる等、この当時のA1は、高度の老人性認知症であった。老人性認知症は、軽度・中等度・高度・最高度と進行し、各段階につき二、三年をかけて進行するのが一般的であるから、同年一〇月三日の時点でも、A1は高度の老人性認知症であったことは明らかである。

二  本件遺言書作成当時(平成一五年一二月一一日)の判断能力

A1は、平成一五年一二月一一日時点で八七歳の高齢であったが、上記のように、老人性認知症の各段階は二、三年をかけて進行するのが一般的であるから、A1が平成一七年一一月一日の時点で高度の老人性認知症であったとすると、平成一五年一二月一一日の時点では中等度の認知症であったといえる。実際に、京都市によって平成一五年一一月一一日に行われた要介護認定・要支援認定のための訪問調査(甲一四九)によれば、この時点におけるA1の「痴ほう性老人の日常生活自立度」は「Ⅱb」とされており、これは、中等度の認知症の症状を示すものである。

三  本件遺言書の体裁

本件遺言書において、A1は日付の記載を当初「平成十五ねん十月十一日」と誤って記載していたが、その後「十」と「月」の間に「二」という文字を挿入し、その旨「加二じ」として明記している。

上記京都市の訪問調査(甲一四九)によれば、A1は「曜日はわからない」とされており、A1が本件遺言の日付を誤ったことと符合する。また、同調査によれば、A1は「ひどい物忘れがある」とされており、このように現在の日付も分からず、物忘れもひどい状態であったA1が本件自筆証書遺言のように「いぞう」「ゆいごんしっこうしゃ」といった法律用語を使用したり「加二じ」という言葉を加えて自発的に日付の誤記を訂正することは考えられない。

また、不動産、株式、預貯金といった多岐にわたる財産を有していたA1が、自らの財産を漠然と「いさん」とだけ表記することも不自然である。

これらのことから、本件遺言書は、A1が、被告またはA21による口授を受けて作成したものと考えられる。

四  動機の欠如

A1は、京都第一赤十字病院に入院する平成一三年一二月三日まで、原告や甥であるA15とのつながりを大切にしていた。

これに対して、被告は平成一五年から訴外会社の顧問弁護士を務めるようになったが、それ以前は昭和四〇年代にA1及びA16から境界に関する紛争の解決を依頼されたほかは、昭和六〇年と平成八年に一回ずつA1から法律相談を受けたに過ぎない。このような相手に、A1が全財産を遺贈する動機はない。

五  本件遺言書作成の経緯

A21は、A1の身の回りの手伝いをしていた人物であるが、A1が病気で訴外会社の関係者や親戚と会う機会がなくなるにつれ、昼夜生活を共にするA21は、A1に対する影響力を強めていった。

被告は、平成一五年二月一三日、訴外会社の経理に関係するA18及びA19税理士の両名から、訴外会社の将来のためにA1の遺産を合理的な分け方についてA1を説得してもらおうと相談を受け(乙七の一)、それをきっかけにA1と頻繁に会うようになり、A1への影響力を強めていった。

本件遺言書は、上記のように中等度の認知症であり、判断能力が衰えていたA1が、影響力を強めていたA21と被告に迎合して、同人らに言われるままに作成したものである。

【被告の主張】

財産の処分行為を伴う遺言を行うためには遺言能力が必要であるが、その有無は具体的な遺言との関係で判断される。本件では、以下の事情を考慮すれば、平成一五年当時も平成一七年当時も、A1が遺言能力を有していたことは明らかである。

一  A1の判断能力について

A1は、平成一六年一一月二九日に西陣病院に入院した際に、初めて「アルツハイマー病」と診断された(甲八七)。

しかし、平成一四年一月からA1の主治医として診察をしてきたA20医師は、A1が平成一七年三月六日に西陣病院を退院した後、再びA1を診察し、同月七日に西陣病院の診断を受けてカルテの傷病名欄に「アルツハイマー病」と記載したものの、同月九日には転帰を「中止」としており、アルツハイマー病に対する治療を中止している。また、同医師は、アルツハイマー病の治療薬であるアリセプトを処方していない(乙三六)。これらのことからすれば、西陣病院においてA1が「アルツハイマー病」と診断されたのは、A1の性格が独善的かつわがままであったために誤解されたに過ぎず、このころ、A1はまだアルツハイマー病ないし認知症を発症していなかった。西陣病院のA22医師も、A20医師の診断のほうがより的確であることを認めている(乙二四)。

A20医師がA1について初めて「認知症」と診断したのは、平成一九年三月二六日のことであり(乙三八)、A1はこの時点まで認知症ではなかったというべきである。

二  本件遺言書作成の経緯と動機

A1は永年にわたり、自分は天涯孤独であり、戸籍上の母であるA4も実母ではないと理解していた。しかし、A1は、A19税理士の調査で戸籍上の相続人が多数いることを知り、自分が亡き後、老舗の呉服屋である訴外会社の後継者を誰にするかについて悩んでいた。

そこで、A1は、A18やA19税理士らが従前から訴外会社の法律相談などを依頼していた被告に遺言者の作成を依頼し、被告を含めて打ち合わせを重ねていたが、そのうちに被告を信頼するようになり、被告に対し、自分の遺産を全て相続して訴外会社の後継者を選定してほしいと懇願するようになった。被告は、当初これを断ったが、A1に何度も懇願されたことからこれを承諾したものである。

本件遺言書は、このような経緯から作成されたものであり、被告ないしA21がその内容について不当に影響を与えたことは全くない。また、A1には、訴外会社を信頼する被告に委ねるという合理的な動機もあった。

第七公序良俗違反に関する当事者の主張

【原告の主張】

弁護士が主導して遺言書を作成させ、遺言者の遺産を自身ないし関係者に遺贈させる旨の遺言をさせた場合には懲戒処分の理由になりうる(日本弁護士連合会「自由と正義」第四九巻第二号一九一頁)。このことに鑑みても、弁護士自らが受遺者となることは、弁護士業務の公正性という点からも慎重であるべきである。

それにもかかわらず、被告は、A1が中等度の認知症であって被告に迎合しているという状況に乗じて本件遺言書を作成させたものであり、これにより被告は三億円を超える預貯金や純資産が二億円を超える本件株式を手に入れたのである。このような行為は暴利行為にも当たる。

本件遺言は、民法九〇条により無効というべきである。

【被告の主張】

本件遺言は、遺言能力を有していたA1が自由な意思により、訴外会社の後継者の選定を被告に委ねるという趣旨で行ったものであるから、公序良俗は問題となりえない。

また、A1は、自分は天涯孤独であり、相続人はいないと考えていたのであって、本件遺言によって正当な相続人の期待を裏切るというつもりもなかったのであるから、この意味でも公序良俗に反するものではない。

理由

第一原告がA1の相続人かどうかについて

一  戸籍は、人の身分関係を公証する文書として古くから役場で保管されている公文書であり、戸籍の記載は、これと異なる身分関係が証拠から明白であるとの特段の事情がない限り、正しい身分関係を示すものと解される。

二  ところで、原告本人尋問の結果によれば、A1は、生前、自分がA9の子であるとの認識を有していたこと、原告を含む周囲の親戚も、A1がそう認識していることを知っていたことが認められる。また、戸籍の記載に従えばA1はA4が五一歳の時の子となる。

三  しかしながら、現時点では、A4はもとより、A9を含めA1の兄や姉として戸籍に記載された者がすべて死亡し、A1も死亡しているのである。したがって、裁判所が、関係者の供述や証言を吟味し、A1の出生や生育の経過を理解し、A1とA4との間に親子関係がなく、A1とA9との間にこそ真実の親子関係があることを認識する術が失われているのである。

このような状況下では、上記二の事実が認められるとしても、このことから直ちに、戸籍の記載と異なる身分関係が証拠から明白であるということはできず、本件訴訟においては、戸籍の記載(前提事実一)に基づく身分関係を前提とする判断を行うべきである。

四  そうすると、原告は、A1の姪であって、A1の死亡時において既に死亡していた養母のA12を代襲してA1の相続人となり、本件遺言によって法的地位に影響を受けていることになるから、本件訴えは訴えの利益がある。

第二本件遺言書作成の経緯等に関する認定事実について

前提事実並びに証拠〈省略〉によれば、次の事実が認められる。

一  A1は、A12とともに、京都の祇園で舞妓・芸妓をしていたが、東京都銀座の呉服商「○○」の五代目社長であったA16と知り合い、東京に転居した。

A1とA16は、昭和三七年、結婚を機に、訴外会社を設立し、京都に転居した。訴外会社は、本店である祇園店のほかに、名古屋と大阪にも出店し、A1は、昭和五一年にA16が死亡した後、訴外会社の唯一の株主兼代表取締役として訴外会社の業務を取り仕切っていた。

二  A1とA15との関係

A1は、昭和三三年七月から昭和三八年四月にかけて、A7の子であるA15から、A15とその母であるA23(戸籍上の記載は「A24」)が居住していた自宅(京都市〈以下省略〉所在)の二階を借り、関西に商用があるときに宿泊していた。

A1は、昭和三八年三月、A15の自宅のすぐ近く(徒歩一五分の距離)に自宅不動産を購入してA16とともにここに転居し、転居後も、A15の自宅を頻繁に訪ねていた。A1は、A15の結婚式やA23の葬儀等の冠婚葬祭のほとんどに出席し、東光寺にあるA3家の墓の補修費用を負担したり、A15の子にお年玉をあげるといった交流を続けた。このような交流は、A15が平成五年に滋賀県大津市に転居するまで続いた。

A15の転居後も、A1は、平成一三年一二月三日に京都第一赤十字病院に入院するころまでは、A15と毎年三回程度の頻度で一緒に食事をするなど、交流を保っていた。

三  A1と原告及びA17との関係

A1の自宅不動産は、A12の自宅とも徒歩で一〇分という距離にあったため、A1は、A12とその夫(原告の養父)A14とも交流があった。

A1は、訴外会社設立後、A12及びA14に対し、訴外会社で働く者を紹介してくれるように頼み、A14の弟の長男であるA17の紹介を受けた。

A17は、昭和四一年に訴外会社に入社し、それから長らく、訴外会社に勤め続け、A16死亡後は、A1の右腕として働いていた。なお、A12の夫のA14も、昭和四六年ころから約五年間訴外会社で働いた。

原告は、昭和五八年五月七日、A25と結婚したが、同月五日の結婚式にはA1も出席している。原告は、平成元年○月○日、次男を出産したが、その後、A1は、折に触れて原告の次男を養子に迎えたいとの希望を述べることがあった。

原告は、平成一二年から訴外会社で働くようになり、祇園店の店長を任されるようになった。

四  A21の雇用

A21は、かつて、A1の身の回りの世話のために雇われていたが、その後、A21の代わりに雇った者がA1の性格に耐えられずにお手伝いを辞めることになったため、平成一一年ころから、A1に頼み込まれて、再びA1のもとで働くことになった。

五  A1の状態の変化

A1は、従前、ほぼ毎日、訴外会社の祇園店に出社し、自ら店舗の商品の展示を変えたり、店頭での接客販売などを行っており、訴外会社が行う展示会等の催事の際には、先頭に立って催事を取り仕切っていた。

しかし、平成一三年一二月三日に京都第一赤十字病院に入院し、平成一四年一月九日に同病院を退院してからは、在宅酸素療法を続けながら自宅で介護を受けて生活するようになり、ほとんど店に顔を見せなくなったし、訴外会社の催事にかかわることもなくなった。ときどきA21に連れられて訴外会社の祇園店を訪れることはあったが、そのときのA1の様子は、原告や顧客と話をしたりすることはなく、店の様子を見るだけで帰宅するというものであった。

それでも、訴外会社からA1に対しては、A1死亡まで、毎月、現金で役員報酬が支払われていた(その金額について、原告は月額一〇〇万円と供述するが、甲第一四五号証の平成二〇年七月三一日期決算報告書では年額六〇〇万円と記載されている。)。

六  A1と被告のかかわり

(1)  A1は、自分がA9の子であると認識しており、周囲にもそう話していたが、平成一四年二月ころ、A19税理士の調査により、法律上の兄や姉が多数おり、代襲相続により多数の相続人がいることを知った。

(2)  A19税理士は、訴外会社の今後を考え、遺産の分け方についてA1にいくつかの提案をしたが、A1は、なかなか決断ができなかった。

そこで、A19税理士は、遺言書を作成して遺産の合理的な分け方を定めることについて弁護士からA1を説得してもらおうと考え、平成一五年二月一三日、訴外会社の経理担当社員のA18を連れ、被告の事務所を訪問した。

(3)  被告は、昭和五年○月○日に生まれ、昭和三四年に京都弁護士会に弁護士登録を行った弁護士であるが、上記のA19税理士及びA18の訪問以前に、昭和四〇年ころ、A1とA16から、相隣関係に関する紛争の相談を受けたことがあり、また、昭和六〇年と平成八年にも、それぞれA1から民事上の法律問題について相談を受けたことがあった。

(4)  被告は、その後、A1と面談し、平成一五年二月二六日から同年一二月五日にかけて、遺言の作成に関して十数回の打ち合わせを行ったが、そのうちほとんどにA21も出席し、また、A21と被告だけで打ち合わせがされることも何回かあった。

(5)  被告は、平成一五年五月一二日、A1から公正証書遺言作成の委任状を受領し、また、同年七月二五日には、訴外会社と法律顧問契約書を交わし、訴外会社の顧問弁護士となった。

(6)  A1は、自分がA9の子であると認識していたため、A9が埋葬されている東光寺のA3家の墓に入りたいと希望するようになった。被告は、A1の希望を受け、平成一五年一二月ころ、A3家の本家の者や東光寺の住職から、A1が死亡した場合にA3家の墓に埋葬することの了解を取り付けた。

七  本件遺言書の作成

A1は、平成一五年一二月一一日、自宅で本件遺言書を作成した。被告は、作成された本件遺言書を預かり、以後、これを秘密証書とする手続まで保管していた。

八  A17との話合い

A1は、本件遺言書の作成後、訴外会社の後継者をA17(以下においては、同人を指して「A17」という。)にすることを決め、平成一六年四月ころ、A17を自宅に招き、被告も立会のもと、自身が死んだらA17に本件株式を譲渡し、訴外会社の経営を任せることを伝えた。

しかし、A1と被告との間で、本件遺言書を破棄して新たな遺言書を作成するという話は出なかった。

九  A1の預金口座からの多額の払戻し

(1)  A1は、平成一六年一一月二二日、本件委任状を作成し、被告に対し、A1個人及び訴外会社双方の実印と銀行印を預け、平成一八年三月三日には、本件包括委任契約書を作成し、被告に対し、自分の財産に関するすべての代理権を付与した。

(2)  A1の京都銀行東山支店の預金口座からは、平成一七年二月一八日から平成二一年二月一六日にかけて合計七〇〇〇万円が、三菱東京UFJ銀行京都中央支店の預金口座からは、平成一八年四月二〇日から平成二一年二月一八日にかけて合計七六〇〇万円が、三井住友銀行堂島支店の預金口座からは、平成二〇年九月二六日から平成二一年二月一八日にかけて合計二六五〇万円が、それぞれ引き出された。払戻しの手続は、払戻しの都度、A21が被告から銀行印を受け取って行われた。

(3)  これら払戻額(合計一億七二五〇万円)を時系列的に整理すると別表のとおりとなり、年別の払戻額は次のとおりとなる。

平成一七年 三二〇〇万円

平成一八年 三三五〇万円

平成一九年 三二八〇万円

平成二〇年 五六七〇万円

平成二一年 一七五〇万円

(一月及び二月の二か月のみ)

(4)  一年二か月余りのA1の最後の入院期間(平成一九年一二月一〇日から平成二一年二月一八日)中の払戻額は、合計で七九七〇万円に及ぶ。

(5)  原告は、上記一億七二五〇万円の払戻額について、訴え(京都地方裁判所平成二四年(ワ)第六三七号事件)を提起し、原告が被告及びA21に対し、自己の法定相続分の賠償を求めている。

一〇  秘密遺言証書封紙の作成

A2公証人は、平成一七年一〇月三日、A1の自宅を訪れ、被告によって保存されていた本件遺言書につき、秘密遺言証書封紙を作成する手続をとった。この手続の際、証人としてA21及び参加人が立ち会った。

このとき、A1は既に認知症が進行していたが、秘密遺言証書封紙には自筆で署名し、本件遺書書が自己の遺言書である旨並びに自己の氏名及び住所を述べることはした。

一一  A1の遺産の額

本件遺言により、被告が得ることになったA1の全遺産とは下記のとおりであった。平成一七年二月一八日からの四年間で一億七二五〇万円もの払戻しがされたにもかかわらず、A1の預金は三億円を超えていた。また、平成二〇年七月三一日時点の訴外会社の純資産は二億〇〇六二万九七一九円に達しており、これが本件株式の価額だとすれば、本件遺言で被告に遺贈された遺産額は五億円を超える。

(1)  京都銀行東山支店

普通預金 九五〇五万三三五七円

(H21・2・18時点)

(2)  三菱東京UFJ銀行京都中央支店

普通預金 二四一〇万五三五七円

(H21・2・18時点)

(3)  三井住友銀行堂島支店

普通預金 一億二五〇六万六二五四円

(H21・2・18時点)

定期預金 七二四九万二七六五円

(H21・2・18時点)

(4)  りそな銀行京都支店

普通預金 三五一万一六〇三円

(H21・2・18時点)

(5)  ゆうちょ銀行

通常貯金 二五三万九八二二円

(H21・2・18時点)

担保定額郵便貯金 五〇〇万〇〇〇〇円

(H21・2・18時点)

(6)  自宅不動産

土地及び建物をあわせて 一七五一万一一〇〇円

(H22・1・1固定資産評価額)

(7)  本件株式(九〇〇〇株)

第三A1の心身の状態に関する認定事実について

証拠〈省略〉によれば、次の事実が認められる。

一  京都第一赤十字病院入院時及び退院後の状態

A1は、めまいによって自宅の階段から転落して全身を強打したことから、平成一三年一二月三日から平成一四年一月九日にかけて京都第一赤十字病院に入院した。同病院の診断名は、「肺気腫」「気管支喘息」「胸部打撲(右肋骨骨折の疑い)」等であったが、低酸素血症があるとされ、同病院は、退院後も、自宅で酸素吸入を行い、定期的に竹中医院で診察を受けるよう指示して、A1を退院させた。

竹中医院では、A1には脳梗塞による症状があるとし、「脳梗塞後遺症」の診断名でも診療を行っていた(乙二二)。

平成一四年一〇月八日の西陣病院でのMRI検査で、A1にはラクナ梗塞があると診断されている(甲八五)。

二  京都市による一回目の訪問調査時の状況

A1は、京都第一赤十字病院を退院した後は在宅酸素療法を続けていたが、介護保険の要介護認定のため、平成一四年一一月一一日、京都市職員がA1の自宅を訪問し、A1の生活状況を調査した。

その際の調査票では、A1は「日課の理解」が「できない」とされ、過去一か月間において「感情が不安定」「夜間不眠・昼夜逆転」「大声を出す」といった問題行動があるとされ、「痴ほう性老人の日常生活自立度」は「Ⅰ」とされ、「概況調査」欄では「コミュニケイションはほぼ出来るが若干の物忘れ」があるとされた。

生活自立度「Ⅰ」とは「何らかの痴呆を有するが、日常生活は家庭内及び社会的にほぼ自立している程度」という状態を指す。

三  京都市による二回目の訪問調査時の状況

A1は、平成一五年一一月一一日にも、京都市職員による訪問調査を受けた。

その際の調査票では、A1は「日課の理解」ができないほか「短期記憶(面接直前の行為の記憶)」が「できない」とされ、過去一か月間において「被害的」「作話」「夜間不眠・昼夜逆転」「同じ話をする」「ひどい物忘れ」といった問題行動があるとされ、また「感情が不安定」という問題行動がときどきあるとされている。

その際の調査では、「痴ほう性老人の日常生活自立度」は「Ⅱb」とされ、概況調査の欄では「物忘れ激しく、最近、夜中に、物探しをすることが多くなった」と記載され、基本調査の特記事項として「数字や、物の値段は理解できるが、計算は難しい」「すぐに忘れてしまう為、一日の予定を伝えても、何度も確認する」「曜日はわからない」「物探しをすることが多く、ないと『誰かが持って行った!』と訴える」「夜中に物探しをし、家政婦を起こす」ことがあるとされた。

生活自立度「Ⅱb」とは「日常生活に支障をきたすような症状・行動が意思疎通の困難さが家庭内・家庭外を問わず見られるが、誰かが注意していれば自立できる程度」という状態である。服薬管理や電話の応対、訪問者との対応、一人での留守番などはできないとされる。

四  西陣病院入院時の状態

A1は、平成一六年一一月二九日から平成一七年三月六日にかけて、西陣病院に入院したが、同病院で、A1は、平成一六年一一月二九日に「アルツハイマー病」と診断され、アリセプトが処方された。

西陣病院で平成一六年一一月一九日に施行されたMRI検査では「両側基底核、視床にLacunar infarctionを認めます。橋、両側大脳白質にT2WI、FLAIR/斑状高信号が認められ、lacunar infarctionもしくはischemic changeと考えます。前回と比較して、右被殼、左基底核~内包膝に梗塞が増えています。橋の信号変化も前回より目立つようになっています。全体に増悪傾向です」「Multiple lacunar infarc-tions前回より増悪しています」と記載されている。

西陣病院における平成一六年一一月二九日から同年一二月一四日にかけてのA1の様子は、徘徊や多量の失禁がみられ、「食べません」「飲まないの」などと言って食事や薬の内服を拒否し、家にしきりに帰ろうとするというものであった。また、昼夜逆転し、夜間には明け方まで「ネコがいるの?」「犬がいるの?」などと言い、寝付けなかったり、隣室のベッドの音に興奮し、「ネコが、ネコが走っている」と言ってゴソゴソするということもあった。

五  西陣病院退院後の竹中医院での治療

A20医師は、平成一七年三月七日、西陣病院から退院したA1について「アルツハイマー病」とする診断をしたが、同月二五日、アルツハイマー病の治療を中止した。

六  京都第一赤十字病院入院時(二回目)の状況

A1は、在宅酸素療法中に急激に呼吸状態が悪化し、平成一七年一二月二六日から平成一八年一月一九日まで京都第一赤十字病院に入院したが、その入院中のA1の様子は、しきりに興奮状態に陥ることから拘束具である抑制帯による行動制限がされ、夜中に「警察を吸んで」等と叫びベッドから飛び降りようとするといった行動がみられた一方、日中は入眠と覚醒を二、三時間ごとに繰り返し、覚醒時も名前を呼ぶと返事はするがそれ以外に言葉を発することはなく、体動もほとんどないという状態であった。また、抑制帯や点滴を自分で外し、看護師詰所まで来て「助けて。外におばあちゃんいるし会いにいくんや」と言うこともあった。

七  なぎ辻病院入院時(一回目)の状況

A1は、平成一八年一月一九日から同年五月九日までなぎ辻病院に入院したが、その入院時のA1の様子は、興奮状態に陥ることが多く、多量の便を排泄して不潔行為をすることもあり、自身がホテルにいるものと思い込むといったものであり、四月一七日付け看護記録には「認知症、中等度orそれ以上かも」という記載がある(甲一九の五)。

八  なぎ辻病院(二回目)の診断名

A1は、平成一八年一二月二二日から平成一九年三月二日にかけて、再び同病院に入院したが、その際の診断名は「COPD、低酸素血症、肺炎疑い、狭心症、認知症など」というものである(甲一一九)。

A20医師は、上記退院後の平成一九年三月二六日、A1が認知症であると診断し、同年五月一一日にはアルツハイマー型認知症との診断している。

第四在宅介護の報告書等にみられるA1の心身の状態について

証拠〈省略〉によれば、次の事実が認められる。

一  A1は、平成一四年一月以降、平成一七年一二月ころまで「訪問看護ステーションきよみず」による訪問看護を、平成一八年八月ころからは「康生会うままち訪問看護ステーション」による訪問看護をそれぞれ利用していた。

これら介護施設は、月に一回程度の頻度で、訪問看護従事者がA1の様子を「訪問看護報告書・計画書」(以下「報告書」という。)により、かかりつけ医に報告し、その報告を受けた医師は、「老人訪問看護・訪問看護指示書」(以下「指示書」という。)を作成して、A1に対する訪問看護の内容を訪問看護従事者に指示していた。

指示書を作成したA1のかかりつけ医は、当初、林医院(平成八年ころ以降A1が通院)のA26医師であったが、平成一七年四月からは、A20医師であった。

二  訪問看護従事者の報告書の記載は、要旨、次のとおりである。

(1)  平成一四年一二月三一日付け報告書

胸部症状が軽減し、時々お店にも顔を出している。疲労感がありいくらでも寝れると話す。時々味覚障害や尿・便の失禁がある。

(2)  平成一五年一月三一日付け報告書

胸部症状の訴えはなく、喘鳴もない。味覚障害は徐々に改善している。よく眠り、日中もうとうとすることが多い。時々尿失禁がある。

(3)  同年二月二八日付け報告書

嘔気・嘔吐がある。デパートで歩いて買い物ができ、しんどくなかったと喜ぶ。本人は意識していないが、尿失禁によるパンツ汚染がある。

(4)  同年一一月三〇日付け報告書

時々軽い喀痰等がみられるが、軽減している。尿失禁はオムツ内に時折みられる。体動時に軽度の喘鳴があるが、安静にすればほぼ消失する。

(5)  同年一二月三一日付け報告書

動作時に軽度の喘鳴があるが、安静にすれば消失する。尿失禁が頻回にみられるが、自分でパンツを交換する。以前より昼夜逆転し、昼まで寝ている。

(6)  平成一六年三月三一日付け報告書

左前腕腫脹はほぼ消失した。食欲がある。移動はまずまず安定し、友人と食事に車で出ることもあった。パンツ内に尿失禁がみられるが、トイレにも行っている。症状はまずまず安定している。

(7)  同年八月三〇日付け報告書

食欲があり、便通もよい。パンツは尿汚染があることから訪問のたびに交換している。歩行動作は速いが不安定なため、ゆっくり動作を行うように声をかけている。

(8)  同年一〇月三一日付け報告書

動作後に喘鳴出現するが、安静にし、酸素を吸入することで軽減していた。同月中句ころからよく転倒している。同月二三日には畳の上で転倒し、右目の周囲に内出血が生じた。声をかけると反応はするが、眠いと話して臥床していることが多くなる。また、ポータブルトイレまで行けないこともあり、パンツが汚染されることも多い。

(9)  同年一一月三〇日付け報告書

同年一〇月の終わりに転倒してから臥床がちで、歩行もかなり不安定である。排泄の失敗が増え、時々いない人が見えるといった幻覚がある。夜中に四つん這いで玄関の鍵を開けようとしたり、昼間と思いこんでいたといった症状がみられ、介護者であるA21の負担が増している。

(10)  平成一七年五月三一日付け報告書

動くとしんどさがあるが、食欲はあり、飯台で食事ができている。ポータブルトイレにも自力で移動するが、間に合わず尿失禁や便失禁も度々見られる。転倒は減ったが、歩行時にふらつきがある。時折酸素吸入を忘れる。

(11)  同年八月三一日付け報告書

要介護度「Ⅳ」。同年七月下旬から訴えていた側胸部痛(肋間神経痛)は徐々に訴えなくなっている。動作時の喘鳴としんどさは増強している。食欲はあり、便通もよいが、排泄が間に合わず、度々オムツやトイレを汚染してしまう。以前より息苦しさの訴えが増えている。

(12)  同年一〇月三一日付け報告書

要介護度「Ⅳ」。動作時に胸部症状がある。右側臥位で臥床している事が多く、ひとりでいると不安になり、四つん這いで酸素チューブも外れたまま他の部屋まで人を探しにくる。また、「おじいさん」や「ネコ」がいたなどの幻覚をみることもある。痴呆か低酸素によるものと思われる。トイレに行くこともあるが、失禁も多い。

(13)  同年一一月三〇日付け報告書

要介護度「Ⅳ」。時々自分で酸素チューブを切ったり、「助けてください」と叫ぶ。同月二一日には近所の土産屋に行き、「助けてー」と叫び、帰りたくないと言っていたが、タクシーで一回りして納得した。

三  医師作成の指示書の記載

指示書においては、平成一五年三月から、肺気腫の症状である体動時の息切れと喘鳴の治療のために酸素療法の指示がされていたが、平成一七年四月一日付けの指示書から傷病名は「多発性脳梗塞、本態性高血圧症、アルツハイマー病」とされ、寝たきり度は「B」、痴呆の状況は「Ⅰ」とされた(「痴呆の状況」は上記の痴ほう性老人の日常生活自立度と同じ指標であると解される。)。

また、上記指示書以降の指示書では、A1の病状として、血中酸素濃度の低下による呼吸困難や記憶力が低下していること、思考力は著しく減退していることが指摘されている。

さらに、平成一七年一一月一日付け以降の指示書では、痴呆の状況は「Ⅳ」(日常生活に支障をきたすような症状・行動や意思疎通の困難さが頻繁に見られ、常に介護を必要とする程度である。)とされ、日常生活に支障をきたすような症状及び行動、意思疎通の困難さがあり、常に介護を必要とする旨記載されている。

第五認知症等に関する医学的知見について

証拠〈省略〉によれば、認知症等について、次の医学的知見が認められる。

一  認知症について

(1)  概要

認知症とは、成人が脳の器質的障害によって広範かつ継続的に認知機能(記憶などの高次脳機能及び知能)障害が起こり、日常生活に差し障りが起きた状態を指す。

認知症の原因の代表的なものはアルツハイマー病であるが、その他にも、出血、梗塞、動脈硬化といった血管性障害を原因とすることもある。アルツハイマー型認知症と血管性認知症とでは、前者では、知的機能障害がなだらかに進行していくのに対し、後者では、ある時点で知的機能が急激に落ち、その後しばらく進行がなく、またある時点で急激に落ちるという階段状の進行をするという違いがある。

(2)  中核的な症状

認知症の症状において、脳の細胞が死ぬことが直接の原因となる中核的な症状には、次のものがある。

① 記憶障害(短期記憶が定着せず、進行すると長期記憶も失われる)

② 見当識障害(時間・場所・人物が分からない)

③ 言語障害

④ 構成障害(部分を空間に配置することができない)

⑤ 注意障害(数字の逆唱や計算ができない)

⑥ 視覚認知障害(失認等)

⑦ 行為障害(失行や実行機能障害等)

(3)  派生する症状

認知症の患者は、記憶障害や見当識障害のため、過去の経験や他人からの助言を思い出しながら目前の出来事に対応するという総合的な判断能力が衰える。そのため、判断が近視眼的となり、「目の前にいる人の言うことが全て」という状態になりやすい。

中核的な症状に加え、性格、素質、環境、心理的状況等が複合的に作用して起こる周辺症状として、認知症の患者には、不安、抑うつ、自閉、幻覚・妄想、食行動異常、迷子、徘徊、失禁、不潔行為、暴言、暴力等が現れることがある。また、多くの場合、味覚に変化が生じる。

これらのうち、失禁・不潔行為は、見当識障害や空間失認のためにトイレの位置がわからなくなったり、トイレにたどり着けても失行のためにドアを開けられない、あるいは衣服をうまく脱げないということが原因であり、認知症が進んだ段階で現れると考えられている。また、認知症によって排尿をコントロールする大脳が障害されることで、神経因性膀胱となり、これにより尿失禁をすることもある。

二  COPDについて

COPD(肺気腫あるいは慢性閉塞性肺疾患)は、近年では肺のみならず全身性の疾患であると認知されており、場合によっては中枢神経系に影響し、不安・抑うつ等の重大な合併症を生じさせることが知られている。

また、COPD患者は、加齢に伴う動脈硬化によって、脳血管障害性認知症を発症することがある。症例として、記憶能や高次認知機能の障害が報告されているほか、低酸素血症を伴うCOPDについては、高次機能だけでなく言語機能をはじめとする他の認知能が一様に悪化することが報告されている。

低酸素血症は、脳組織への酸素運搬を減少させることから、とりわけ低酸素血症の程度が中等症以上である患者については、認知能の低下が生じる傾向が顕著である。

COPDの病態としては、気道が病変して慢性気管支炎を発症する場合と、肺気腫を発症する場合とがあり、後者の場合、空気の出し入れがうまくできなくなることから、在宅酸素療法が必要となる。

三  脳梗塞及びラクナ梗塞について

脳梗塞とは、脳の血管が詰まって血が流れなくなるために、脳が障害されてしまうことをいう。脳の中を走る細い血管(穿通動脈)が詰まって起きる直径一・五cm未満の小さな脳梗塞をラクナ梗塞といい、脳血管性認知症の原因となることがある。この場合、明確な発作がないままにラクナ梗塞が脳内に多数発生し(多発性脳梗塞)、少しずつ症状が進行していき、記憶障害、判断力低下等の認知機能障害が生じる。

第六遺言能力に関する当裁判所の判断

一  遺言能力の相対性について

民法は、近代法の大原則とされる「私的自治」を採用し、個人が自分の意思により(単独の意思表示又は相手方との合致した意思表示―契約により)、法律関係の発生・変更・消滅を具体的に規律することを認めるものであるが、それは、あくまで、正常な意思活動に基づく行動(意思表示)がされたことを前提とする。

認知障害を負う者は、私的自治の理念に適った行動ができないのであるから、その者の財産が私的自治の名の下に散逸してしまう危険まで民法が容認しているとは到底解されないからである。

したがって、民法には明示的な規定を欠くものの、意思表示がその本来の効果(表示された意思のとおりに法律関係が発生・変更・消滅するとの効果)を生ずるためには、その意思表示がもたらす結果を正しく理解する精神能力を有する者によってされる必要があり、その精神能力を欠く者がした意思表示は無効であると解されている。

すなわち、二〇歳以上の者であれば誰でも有効に契約を締結することができるわけではないし、一五歳以上の者であれば誰でも有効に遺言ができるわけではない。意思表示を有効に行うための精神能力は「意思能力」と呼ばれ、遺言を行うのに要求される精神能力は特に「遺言能力」とも呼ばれる。

意思表示が、どの程度の精神能力がある者によってされなければならないかは、当然のことながら、画一的に決めることはできず、意思表示の種別や内容によって異ならざるをえない(意思能力の相対性)。

単純な権利変動しかもたらさない意思表示の場合(日常の買い物など)、小学校高学年程度の精神能力がある者が行えば有効であろうが、複雑あるいは重大な権利変動をもたらす意思表示の場合、当該意思表示がもたらす利害得失を理解するのにもう少し高度な精神能力が要求されるから、小学校高学年程度の精神能力しかない者が行った場合、意思能力の欠如を理由に意思表示が無効とされることが多いものと思われる。

二  公証人への申述(平成一七年一〇月三日)当時の遺言能力について

(1)  前記第三の四に認定の事実(西陣病院入院時のA1の状態)、第三の六に認定の事実(二回目の京都第一赤十字病院入院時のA1の状況)、前記第四の三に認定の事実(在宅介護の指示書の内容)に加え、前記第五の医学的知見を総合すれば、本件遺言書が自己の遺言書である旨をA2公証人に申述した平成一七年一〇月三日の時点までに、A1には、認知症の中核的な症状が非常に顕著に現れていたことが明らかである。

医療従事者や在宅介護従事者によって観察されたA1の認知症の症状に照らせば、A1には、小学校高学年の児童程度の精神能力があったとも到底考えられない。

(2)  実際にも、秘密証書遺言手続がされた前後二年ほど(平成一七年二月一八日から平成一八年一二月二五日)までの間、A1の預金が六〇〇〇万円以上も払戻しがされているのに、その事実に関するA1の態度(被告、A21、訴外会社の人間に預金の状況を尋ねた、あるいは定期的に報告させていた、あるいは預金が大きく減少した理由を問い質した等)がどの証拠からも伝わって来ないことは、平成一七年一〇月当時、A1が既に、財産を管理したり費消しようとする精神能力を欠いていたことをうかがわせるところである。

(3)  また、A1の認知症の症状は脳の病変に基づくものであるから、自分の立場、自分の置かれた状況、自分と周囲の者との関係性が正常に理解できないといったA1の精神状態(医療従事者や在宅介護従事者が観察していたA1の状態)は、落ち着いているように見える場合であっても変わりはないと考えざるをえない。

(4)  したがって、仮に、秘密遺言証書封紙に自署し、本件遺言書が自己の遺言書である旨並びに自己の氏名及び住所を述べることができたとしても、平成一七年一〇月三日当時、A1に遺言能力がなかったものと認めるのが相当であり、本件遺言書は、秘密証書遺言としては無効である。

三  A20医師の証言について

A20医師は、西陣病院退院後のA1の症状について、要旨「A1について認知症を疑ったことはない。西陣病院のA22医師がA1をアルツハイマー病と診察したことは誤りであり、同病院でのA1の行動はA1のわがままな性格によるものである。指示書にアルツハイマー病と記載したり、痴呆の状況を『Ⅰ』あるいは『Ⅳ』と記載したのは、訪問介護ステーションからそのような記載をしてほしいと頼まれたからである。短期記憶がなければ認知症の初期症状といえるが、京都市の訪問調査については、介護保険の介護度の関係で大げさに書かれたものであると思う」と証言する。

しかし、西陣病院でのA1の様子は、無理矢理自宅に帰ろうとしただけでなく、多量の失禁や昼夜逆転がみられ、夜間には猫や犬の幻覚をみていたというのである。前記第五の医学的知見に照らせば、これらは夜間せん妄等の認知症の症状とみるのが相当であり、単にA1のわがままな性格に起因する言動とみるのは相当ではない。また、介護保険の要介護認定に携わる自治体職員は、介護・介助の要否及び必要程度を知るための相応の訓練を経て現場に臨んでいるはずであるから、介護・介助の必要程度を大げさに表現したいため、認知症の症状がみられないのに認知症の症状があると評価するとは容易に考えがたい。

したがって、上記二の判断と矛盾するA20医師の証言は直ちに採用することができない。

四  本件遺言書作成(平成一五年一二月一一日)当時の遺言能力

(1)  前記のとおり、平成一七年一〇月当時、A1が認知症の中核的な症状が顕著であり、西陣病院のMRI検査の結果や診断結果からも明らかなとおり、A1の認知症の症状は、胸の病変に由来するのである。

そして、①低酸素血症と診断され、平成一四年一月から自宅で介護を受けながら在宅酸素療法を続けていたこと、②平成一四年一〇月八日のMRI検査でラクナ梗塞が認められること、③遅くとも平成一四年一二月ころから尿失禁や味覚障害といった認知症の初期症状がみられたこと、④介護保険の要介護認定のための訪問調査において、痴ほう性老人の日常生活自立度が、平成一四年一一月一一日時点で「Ⅰ」、平成一五年一一月一一日の時点で「Ⅱb」とされていたこと、⑤平成一五年一一月一一日時点では、短期記憶もできず、夜間不眠・昼夜逆転があり、ひどい物忘れがあるとされたことを総合すれば、A1は、本件遺言書作成の当時、既に、低酸素血症又はラクナ梗塞を原因とする血管性認知症あるいはアルツハイマー型認知症を発症しており、初期認知症の段階にあったと認めるのが相当である。

(2)  初期認知症の状態の者については、一律に意思能力・遺言能力が否定されるわけではないものと考えられる。遺言がもたらす結果が単純なものである場合(遺言の文面が単純かどうかではない。)、それほどの精神能力までは必要とされないであろうから、そのような遺言との関係では、初期認知症の状態にある者の遺言能力は直ちに否定されないものと思われる。

(3)  しかしながら、本件遺言は文面こそ単純ではあるが、数億円の財産を無償で他人に移転させるというものであり、本件遺言がもたらす結果が重大であることからすれば、本件遺言のような遺言を有効に行うためには、ある程度高度の(重大な結果に見合う程度)の精神能力を要するものと解される。

(4)  また、本件遺言は文面こそ単純であるが、本件遺言が訴外会社の経営にもたらす影響はかなり複雑である。

本件遺言をすると、①呉服業界に知識のない被告が経営を差配する可能性がある、②被告がA17と仲違いした場合、経営を良く知るA17が更迭されてしまう、③A17が経営移譲を受けようとしても、贈与税や譲渡代金の負担が発生するため、被告からA17に株式譲渡が困難となる、④被告が死亡すれば被告の相続人が訴外会社の株主になる、という様々な事態が予想される。

(5)  上記(3)及び(4)の事情を考慮するならば、小学校高学年レベルの精神能力がありさえすれば、本件遺言に関する遺言能力が肯定されるとすべきではない。そうでなければ、私的自治の理念に適った行動ができない者の思慮不足な行動を、私的自治の名の下に放置してしまう危険が大きいと思われる。

本件遺言に関する遺言能力は、もう少し高い精神能力―ここでは仮に「ごく常識的な判断力」と表現する―が必要というべきである。

(6)  ところで、A1は、被告に訴外会社の経営を委ねるつもりなどなく、本件遺言書を作成した約四か月後(平成一六年四月)、A17を呼び出し、将来の訴外会社の経営を任せる旨を伝えている。A1は、A17を後継者にする意図を有していたのであり、被告に訴外会社の経営者になって欲しくて本件遺言をしたのではないのである。

A17を後継者にしようと考えるなら、被告に全資産を遺贈するといった遺言などしないのが当たり前であり、もし、そのような遺言をしていたなら、遺言を変更するか、本件株式だけでも生前にA17に贈与するかしたはずである。

A1に「ごく常識的な判断力」さえあれば(正確な法的知識がなくとも)、本件遺言の内容を思い出し、本件株式まで被告に渡してしまうことが不都合ではないかという心配―A17への株式移転に支障が生じるのでは、あるいは被告が死んだら誰が株主になるのだろうといった程度の心配―が浮かんでくるはずであり、そうすると、A1は、その心配を、わきまえのある者(被告やA19税理士)に相談し、問題を解決しようとしたはずである。

(7)  ところが、前記第二に認定の事実経過に照らせば、A1は、A17を後継者にするには不都合な遺言をしているのに、全く心配をしていない(心配をしたなら、被告やA19税理士に本件遺言に関する相談をもちかけたはずなのにその形跡が全くうかがえないのである。)。したがって、A1は、本件遺言をした場合の利害得失を「ごく常識的な判断力」のレベルでさえ、全く理解していなかったものといわなければならない。

(8)  さらに、訴外会社は、A1の親戚であるA17が経営の片腕となっており、同じくA1の親戚である原告が中心店舗(祇園店)の店長になっていて、同族的色合いが濃い会社であるのに、なぜ、縁のある親戚に対しては、本件株式はおろか、会社経営の基盤となり得る預金さえも全く遺そうとはせず、赤の他人の被告に本件株式を含む全遺産を遺贈しようというのは、A1の生活歴からすれば、いかにも奇異なことである。

A1は、死後に入る墓の件でA3家に縁を感じていたことが明らかであり、A15や原告のように、長らく親しくしていた親戚に何も財産を遺そうとしなかったというのも、やはり、かなり奇異なことといわざるをえない。

このことは、A1が、本件遺言がもたらす利害得失を理解する能力が著しく減衰していたことを示す一つの事情となり得ると思われる。

(9)  上記(3)ないし(8)の事柄に加え、A1が、平成一五年一二月当時、既に、低酸素血症又はラクナ梗塞を原因とする血管性認知症又はアルツハイマー型認知症を発症していたことをあわせ考えるならば、本件遺言書作成当時、A1は、本件遺言がもたらす結果を理解する精神能力に欠けていたものと認めるのが相当である。

したがって、本件遺言書は、平成一五年一二月一一日作成の自筆証書遺言としても無効である。

五  よって、その余の争点について判断するまでもなく、原告の請求は理由があるから認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 橋詰均 裁判官 合田顕宏 裁判官吉岡真一は、転補のため、署名押印することができない。裁判長裁判官 橋詰均)

別表〈省略〉

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