京都地方裁判所 平成21年(ワ)380号 判決
原告
X
被告
Y
主文
一 被告は、原告に対し、一一六万三六七六円及びこれに対する平成一九年三月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一一分し、その一〇を原告の、その余を被告の各負担とする。
四 この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、一一〇〇万円及びこれに対する平成一九年三月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告運転の普通貨物自動車が駐車場において停車中、被告運転の普通乗用自動車が前方から衝突した事故(以下「本件事故」という。)につき、原告が被告に対して、民法七〇九条に基づき、損害総額の一部である一一〇〇万円の損害賠償及び上記損害に対する上記事故日である平成一九年三月三〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
一 争いのない事実等(末尾に証拠を掲記した事実以外は当事者間に争いがない。特に断らない限り、証拠番号には枝番を含む。)
(1) 本件事故の発生
ア 発生日時 平成一九年三月三〇日午後四時三〇分ころ
イ 発生場所 京都市伏見区桃山町西尾一二番地一(以下「本件事故現場」という。)
ウ 事故車両 被告が運転する普通乗用自動車(以下「被告車」という。)
原告が運転する普通貨物自動車(以下「原告車」という。)
エ 事故態様 原告車が本件事故現場で被告車の後ろで停止中、被告車が後退し、被告車のリヤバンパー中央付近と原告車のフロントバンパー中央付近が衝突。
(2) 被告の責任原因
被告には、被告車を運転するに際し、後方を十分に注意して進行すべきであるのに、これを怠って漫然と走行した過失があり、民法七〇九条に基づき、原告が本件事故により被った損害を賠償する責任がある。
(3) 本件事故後の通院状況
ア 医療法人医仁会武田総合病院(以下「武田総合病院」という。)
頚椎捻挫、右手CM関節捻挫の傷病により、平成一九年三月三〇日から平成二〇年三月二九日まで整形外科に通院した(通院実日数一一九日)。(甲二、乙五)
パニック障害の傷病により、平成一九年三月三〇日から同年三一日まで循環器内科に通院した。(甲二、乙五)
イ 医療法人a整形外科(以下「a整形外科」という。)
頚椎捻挫の傷病により、平成二〇年四月四日から同年六月三〇日(後記の自賠責保険後遺障害診断書の症状固定日)まで通院(通院実日数六四日)し、その後も同年一一月一八日まで通院した。(甲四、乙七)
ウ 医療法人桜花会醍醐病院(以下「醍醐病院」という。)
パニック障害の傷病により、平成一九年七月二六日から平成二〇年七月一四日(後記の自賠責保険後遺障害診断書の診断日)まで通院し(通院実日数二二日)、その後も少なくとも平成二一年一月一九日まで通院を継続した。(甲三、五、乙六)
(4) 自賠責保険後遺障害診断書
ア a整形外科は、平成二〇年七月一七日、以下の内容の自賠責保険後遺障害診断書を作成した(甲四)。
傷病名 頚椎捻挫
自覚症状 項部、頚肩部痛
他覚症状 頚椎の運動時痛(後屈)、可動域制限、単純X線にて第五、六、七頚椎レベルにおいて変形性変化を認めている
症状固定日 平成二〇年六月三〇日
イ 醍醐病院は、平成二〇年八月一日に、同年七月一四日を診断日として、以下の内容の自賠責保険後遺障害診断書を作成した(甲五)。
傷病名 パニック障害
自覚症状 動悸、血圧上昇、冷感などを伴うパニック発作、予期不安
症状固定日 空白
(5) 既払金
原告は、被告から以下の合計二六五万三三七一円の支払を受けた(なお、原告はア、イ及びエ部分は本件で請求していない。)
ア 治療費 一三五万三二一七円
イ 通院交通費 三二万〇二八〇円
ウ 慰謝料 八七万四〇〇〇円
エ その他 一〇万五八七四円(通院以外交通費九九三〇円、文書料二一〇〇円、ヘルパー代八万八五九四円、車のバッテリー五二五〇円)
二 争点
(1) 原告の受傷及び後遺障害の有無、本件事故との因果関係
(原告の主張)
ア 本件事故により右手CM関節捻挫および頚椎捻挫の受傷をし、原告の頚椎部に運動障害と疼痛が残存している。これらは、少なくとも後遺障害等級一二級一三号「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当する。
イ また、原告は、本件事故によりパニック障害を発症し、強い不安感、食欲不振等があり、強い不安感のため遠方や長時間の外出は不可能で、外出する場合も必ず妻の付添が必要な状況が継続している。これらの症状は、少なくとも後遺障害等級九級一〇号「精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当する。
ウ 上記の後遺障害の程度は、併合して八級の後遺障害となる。
(被告の主張)
ア 右手CM関節捻挫及び頚椎捻挫の受傷は不知。仮にあるとしても本件事故との因果関係はない。
原告車の損傷は軽微で、事故状況として原告の診断部位に器質的損傷を生じさせるような衝撃を伴うものであったと捉えることは困難であり、画像所見、神経学的所見等、事故による他覚的異常所見は見当たらないことからすれば、本件事故に起因する傷病と認めることはできない。
イ また、パニック障害について、本件事故後四か月経過後に醍醐病院での治療を開始していること、事故直後に受診した武田総合病院では翌日にパニック障害の治療を終了していること、本件事故前から継続的にパニック障害を訴えていたことからすれば、パニック障害と本件事故との因果関係はない。
(2) 損害額
(原告の主張)
ア 原告に生じた損害は以下のとおりである。
(ア) 治療費、文書料 二万八五九五円
別表一のとおり、平成二〇年七月一日以降の分。
(イ) 将来の治療費 七八〇万一七三三円
パニック障害には、今後三年程度の加療を要するところ、原告は醍醐病院へ月二回程度通院する予定である。
月額の費用は以下のとおりであるから、以下の計算式により、総額七八〇万一七三三円が損害となる。
治療費、交通費 各三〇〇〇円
妻による付添看護料 二三万二一五〇円(後記(エ)参照)
計算式:6000円×12か月×3年=21万6000円(小計①)
23万2150円×12×2.723(3年間のライプニッツ係数)=758万5733円(小計②)
小計①+小計②=780万1733円
(ウ) 交通費 四万五八〇〇円
別表二のとおり、平成二〇年七月一日以降の通院のための交通費。武田総合病院分については、持病の不整脈の治療のための通院交通費である。
(エ) 付添看護料 三五九万八三二五円
本件事故により発症したパニック障害で、原告は在宅時も外出時も常に見守りが必要な状況となったため、本件事故時から原告の症状固定日である平成二〇年七月一四日までの間(一五・五か月間)、常時、原告の妻が原告に付き添わざるを得なかった。これにより、原告は、付添看護料として下記計算式による損害を被った。
計算式:278万5800円(平成18年賃金センサス・産業計・企業規模計・女性労働者・学歴計年齢65歳以上)×15.5か月÷12か月
(オ) 介護費用 二万三二三二円
原告の妻が外出する際に依頼した介護人に支払った費用
(カ) 休業損害 四三四万八〇〇八円
原告は、鉄工所において日給約一万五〇〇〇円の収入を年間一〇〇日程度は得られており、以下の賃金センサスの程度の収入を得ることも不可能でなかった。原告は、本件事故により少なくとも症状固定日である平成二〇年七月一四日までは全く稼働できなかったから、休業損害として、以下の計算による損害を被った。
計算式:336万6200円(平成18年賃金センサス・産業計・企業規模計・全労働者・学歴計年齢65歳以上)×15.5か月÷12
(キ) 受傷慰謝料 一八〇万円
(ク) 後遺障害逸失利益 六五五万七五二五円
計算式:336万6200円(平成18年賃金センサス・産業計・企業規模計・全労働者・学歴計年齢65歳以上)×0.45(後遺障害等級併合8級、労働能力喪失率45%)×4.329(5年間のライプニッツ係数)
(ケ) 後遺障害慰謝料 八三〇万円
原告の後遺障害は、後遺障害等級併合八級に該当するので、上記金額が相当である。
イ 上記合計 三二五〇万三二一八円
ウ 既払金 八七万四〇〇〇円
エ 既払控除後合計 三一六二万九二一八円
オ 本件の請求額 一一〇〇万円
上記エのうち一〇〇〇万円及び一部請求に係る弁護士費用部分として一〇〇万円
(被告の主張)
既払金は認め、その余は争う。
第三当裁判所の判断
一 原告の受傷及び後遺障害の有無、本件事故との因果関係(争点(1))について
(1) 前記の争いのない事実等、証拠(甲一ないし二八、乙一ないし八)及び弁論の全趣旨によれば、原告の症状及び治療経過等に関し、以下の事実が認められる。
ア 本件事故前の原告の心身の状況
(ア) 原告は、平成三年ころから動悸や血圧上昇を伴う不安発作のため、電車やエレベーターに乗れないことがあり、発作により武田総合病院に緊急搬送されたこともあった。同年五月一九日には、武田総合病院内科において、不安神経症との診断を受けた。(甲五、乙二、五、六)
(イ) 原告は、平成一一年、武田総合病院不整脈科において、発作性・心房細動に対する薬物療法を開始した。平成一四年ころからは比較的症状が安定していたが、平成一八年秋ころから不安発作で救急受診することがあり、外出も困難になってきた。(甲三の一、五、八、乙一、二、五、六)
(ウ) 原告は、平成一九年一月二九日、三月一日に血圧上昇を伴う不安感等を訴えて、武田総合病院に緊急搬送された。このころには、原告は、近医によりパニック障害の薬を処方されていた。また、原告は、同月一三日、精神的な興奮状態を訴えて同院に緊急搬送され、精神的に緊張した状態であり、原告から「カッカとして頭がおかしくなる」との訴えもなされ、血圧の上昇等の異常所見も認められたので、同院循環器内科医はパニック障害として、精神安定剤等の内服薬を投与し、同月二〇日には精神面は安定した。(乙五)
イ 本件事故時の状況
原告(昭和九年○月○日生。事故時七三歳)は、平成一九年三月三〇日、店舗の駐車場内にある本件事故現場において原告車に乗車して停車していたところ、前方から被告車が後退し、被告車のリアバンパー中央付近が原告車のフロントバンパー付近に衝突した。
この衝突により、原告車のフロントバンパー、グリル、ボンネットに損傷が生じ、センターブレースには、押し込みが発生した。(乙八)
ウ 本件事故後の右手CM関節捻挫及び頚椎捻挫の症状、治療経過
(ア) 本件事故後、武田総合病院に緊急搬送される際に原告に不穏な発言、行動等のパニック障害が認められたため、後記エのとおり、循環器内科において鎮静剤等の注射が実施された後に、原告は同院の整形外科を受診した。右手部に外傷所見はなく、レントゲン検査においても骨折、脱臼等の骨損傷の所見はなかったが、右手CM関節に疼痛の自覚症状があり、右手CM関節捻挫との診断を受けた。
原告は、同日、武田総合病院から帰宅後、頚部に痛みを自覚したとして、翌三一日に同院整形外科を受診した。頚部レントゲン検査の結果、骨折等の骨損傷の所見は認められなかったが、主訴により、本件事故による頚椎捻挫との診断を受けた。なお、同レントゲン検査の結果では、年齢相応の変形性脊椎症の所見が認められた。
その後、武田総合病院整形外科において、頚椎捻挫、右手CM関節捻挫に対し、薬物療法、温熱、電気、頚椎牽引等の理学療法が開始され、同年七月末までの間、ほぼ連日通院し、上記の治療を受けた。主治医は同月ころ、症状固定とすることを勧めたが、原告は、右手のしびれ、頚部のだるさがあると述べて同意をしなかった。その後は、主に投薬を中心とする治療が行われたが、原告は頚部痛の残存を訴えており、平成二〇年三月二九日まで(通院実日数一一九日)、武田総合病院へ通院した。(甲一、乙一ないし三、乙五)
(イ) 原告は、平成二〇年四月四日、武田総合病院整形外科の紹介により、a整形外科を受診した。原告は、頚部の運動時痛、自発痛等の残存を訴え、A医師(以下「A医師」という。)は、頚部の後屈時に痛みが増悪すること、視触診で頚部の後側の筋肉に圧痛の所見を認めたが、神経学的な検査による異常はなかった。A医師は、武田総合病院整形外科においてなされたレントゲン画像を確認したところ、加齢変化の所見はあったが、七四歳との年齢に相当した比較的に軽度の加齢変化だったので、原告の残存する症状を本件事故に起因する頚椎捻挫によるものと判断した。その後、湿布薬等の外用薬、温熱、頚椎牽引等の理学・薬物療法が開始された。
同年四月中旬ころには理学療法に効果が見られ、徐々に改善傾向が認められた。原告は、頚部痛のため、夜中に妻を起こすこともあり、夜も眠れないことがあったが、同年六月中旬ころまでにはそのようなこともなくなった。同年七月一日、原告は、a整形外科において、不安発作が軽減し、頚部痛も消失した旨述べた。その後も、原告は頚部の疼痛を訴え、同年七月中に一三日間の通院を行ったが、同年四月以降の通院と比較してその頻度は減少しており、同年九月以降は通院回数は月一、二回程度と劇的に減少した。原告は、同年一〇月一六日、頚部痛の存在を訴えて受診している。(乙三、六、七)
(ウ) A医師は、上記の経過をふまえ、平成二〇年七月一七日、以下の内容の自賠責保険後遺障害診断書を作成した(甲四)。
傷病名 頚椎捻挫
自覚症状 項部、頚肩部痛
他覚症状 頚椎の運動時痛・可動域制限(前屈二〇度、後屈一〇度、右屈一〇度、左屈二〇度、右回旋二五度、左回旋二五度)、単純X線にて第五、六、七頚椎レベルにおいて変形性変化を認めている。
傷害内容の増悪・緩解の見通し 現時点で症状固定と考えるが、症状再発の可能性はある(当事故後発症したパニック障害は現在も治療中である)
なお、A医師は、原告の頚部痛を本件事故に起因するものであると判断しつつ、パニック障害による精神的ストレス等により、本件事故による頚部痛が増悪したり、頑固に残存している可能性がある旨の指摘をしている(乙三・一二丁)。
エ 本件事故後のパニック障害の症状、治療経過
(ア) 本件事故直後、救急車により武田総合病院に搬入される際、原告に不穏な発言、行動等が認められたため、武田総合病院循環器内科においてパニック障害との診断を受けて、鎮静剤等の投与がなされた。同科による治療は翌三一日には中止された。(乙一、五)
(イ) 原告は、同年四月三日、一二日に武田総合病院神経内科を受診し、「交通事故に遭った。直ぐにカッとする。どもる」と訴えた。(乙一、五・二三丁)
(ウ) また、原告は、同年五月四日、七月七日、同月二四日、不安に伴う動悸等の症状により、武田総合病院に緊急搬送された。同院不整脈科において、同年五月二四日に、不安神経症、心房細動により、外出に不安があり、外出時に付添を要する状態であるとの診断を受けた。(乙五)
(エ) さらに、原告は、同年七月二六日、血圧上昇し、ふらつきがあると訴えて武田総合病院に緊急搬送され、入院したい旨を強く訴えたが、同院での入院が認められず、同院不整脈科医師の紹介により、醍醐病院を受診することとなった。(乙二、五)
(オ) 醍醐病院において、原告は、強い不安感、食欲低下等の症状を訴え、パニック障害の診断を受けた。武田総合病院不整脈科からの紹介状には、「平成三年ころからパニック、不安のため電車に乗れないなどの症状がありました。平成一八年末より症状が強くなり不安で救急要請が多くなりました。血圧も上昇し、セルシンの点滴で改善されていました。平成一九年三月三〇日に交通事故に合われてからはさらに不安が強く、当院でデパスの処方を行いましたが、あまり改善がなく」との記載がある(甲三、乙二、五・六三丁)。以降、精神安定剤、抗うつ剤等の内服薬の投与による薬物療法が行われた。
原告は、本件事故に関し、醍醐病院の主治医に対し、自動車に座っていると目の前にバックしてきた自動車が見えて、このまま衝突すればガソリンに引火して死亡するかと思った旨述べており、醍醐病院の主治医は、本件事故以降に強い不安が生じていることなどから、PTSDとまでの診断はできないものの、本件事故によりパニック障害が増悪したものであると判断した。(乙二、六)
(カ) 同年八月二日にも、不安で不安で仕方ないとして、救急車を呼び、武田総合病院に緊急搬送された(乙二、五)。
(キ) 同年一一月ころには、頻回に救急車を呼ぶような激しい不安発作は軽減し、不眠や食欲低下が改善し、自宅周辺のごく短時間の外出はできるようになり、同年一二月ころには、自宅周辺の三〇分程度の外出ができるようになったが、長時間一人でいることができないなどの症状は残存していた。平成二〇年一月以降は、突発的な不安感は改善したものの、予期不安が強く、遠方や長時間の外出はできない状況であった。同年六月ころからは、近所に自ら外出するなど、不安の軽減が見られた。(甲三、五、乙三、六)
なお、醍醐病院の主治医は、同年四月ころ、被告の任意保険会社の依頼による調査において、本件事故前からパニック障害が存在したが、本件の受傷の影響で症状が増悪したのは間違いのない状況と判断される旨の意見を述べている。(乙三)
(ク) 醍醐病院は、同年八月一日に、同年七月一四日を診断日として、以下の内容の自賠責保険後遺障害診断書を作成した。(甲五)
傷病名 パニック障害
症状固定日 空白
自覚症状 動悸、血圧上昇、冷感などを伴うパニック発作、予期不安
他覚症状 (これまでの経過を記載した上で)当初の激しいパニック発作は頻度が減り、食欲も改善したが、いまだに予期不安が強く、遠方や長時間の外出はできない状態である。事故との直接的な因果関係は不明であるが、元来持っていたパニック障害が今回の事故をきっかけに増悪した可能性は考えられる。
障害内容の緩解、増悪の見通し 予後の見通しについては不明であるが、生活上のストレスなどの影響により症状の消長をくり返していく可能性は高いと考えられる。
(ケ) 上記の診断書作成後も、予期不安や突発的な不安感等により、一人での長時間の外出はできず、一人で留守番をすることも困難な状況にあり、原告は少なくとも平成二一年一月一九日まで醍醐病院への通院を継続した。(乙六)
(コ) 原告は、平成二〇年五月に介護保険制度による要介護状態として、状態の維持・改善の可能性を前提に要支援二と認定されていたのが、同年一〇月には、要介護一と認定され、心身の状況により生活の一部に部分的介助が必要な状態であると認められた。(甲八、九)
(サ) 平成二一年一一月二四日、醍醐病院の診断書には、「平成一九年三月三〇日の交通事故後より症状が増悪し、強い不安のため食事もとれなくなっていたが、薬物療法によって徐々に改善し不安発作の頻度も減少傾向となってきた。しかしいまだに予期不安や回避等の症状が持続しており、症状の改善は不十分である。薬物療法に加え、行動療法的に外出時間を少しずつ長くするといった練習を進めている。完治の時期は不明であるが、年齢的な要素も考慮して数年は必要と考えられる。」との記載がある。(甲二八)
(2) 本件事故に起因する傷病、後遺障害について
ア 前記のとおり、本件事故当日に原告が右手部の痛みを訴え、医師により右手CM関節に疼痛があることが確認されて、同日に右手CM関節捻挫との診断がなされたこと、原告は本件事故当日の帰宅後から頚部痛を自覚するようになり、その翌日には武田総合病院整形外科において頚椎捻挫との診断を受けて、以降、武田総合病院及びa整形外科において本件事故に起因した傷害としての治療が継続されたことからすれば、頚椎捻挫及び右手CM関節捻挫は本件事故に起因するものと認められる。そして、前記認定のとおりの症状及び治療の経過、特に、本件事故後から頚部痛が継続し、これに対し前記のとおりの治療が継続され、A医師が平成二〇年六月三〇日をもって症状固定したものと診断し、自賠責保険後遺障害診断書を作成していること、a整形外科での治療により同日までの間に症状の改善が認められたことなどに照らせば、平成二〇年六月三〇日までの治療について、本件事故との相当因果関係が認められるものと考える。この点、被告は、本件事故状況及び損傷状況から本件事故に起因する傷病が発生するとは認めがたい旨主張する。しかし、前記に認定したとおり、武田総合病院及びa整形外科の各医師において、本件事故後から継続して治療が行われたこと、原告車のフロントバンパー、グリル、ボンネットに損傷があり、センターブレースには、押し込みが発生する程度の衝撃があり、本件の傷病と矛盾するとまではいえないこと、前記に認定した頚部に関する症状の申告状況や経過から詐病とはいえないことから、本件事故に起因するものといわざるを得ず、被告の上記主張は採用できない。
しかし、A医師作成の自賠責保険後遺障害診断書(甲四)には、他覚所見として、レントゲン上、頚椎に変形性変化があった旨の記載があるものの、これはA医師も認めるとおり加齢変化であって、本件事故に起因する所見とは認められず、他に他覚的所見の存在が認められないこと、原告が自覚的に平成二〇年七月以降、頚部痛の改善を認めていること、A医師がパニック障害による精神的ストレス等により、頚部痛が頑固に増悪又は残存している旨指摘していることなどに照らすと、頚椎捻挫後の頚部痛自体を局部における神経症状が残存したものと捉えることには躊躇を覚える。前記の受傷自体は肯定できるものの、本件事故が比較的軽微な交通事故であることも考慮すると、パニック障害による不安感が頚部痛の残存や程度に相当に影響しているものと認められる。
イ そこで、原告のパニック障害について検討する。原告は、本件事故によりパニック障害が発症したとして、少なくとも後遺障害等級九級一〇号相当の後遺障害に該当する旨主張する。しかし、前記(1)アのとおり、原告には、本件事故以前からパニック障害の既往が認められ、たびたび発作が起きていたこと、本件事故に近接した平成一九年三月一三日にもパニック発作で武田総合病院に緊急搬送されていること、原告の妻が醍醐病院において、「三月に弟が病気でなくなったが、その病気の話をきいてからまた悪くなった」(乙六・一〇丁)と述べていたことを考慮すれば、本件事故以前にパニック障害が発症し、それが継続していたものであって、本件事故に起因して発症又は再発したということはできない。
ウ もっとも、前記(1)エのとおり、本件事故後に不安が強まり、症状が相当に増悪していることや、これらが本件事故による影響であることは間違いない旨の醍醐病院の主治医の意見が示されていることからすれば、本件事故を契機としてパニック障害が増悪したという限度で本件事故との相当因果関係を認めるのが相当である。そして、前記(1)エのとおり、本件事故後、頻回に緊急搬送されるような発作や食欲不振、自宅周辺の短時間の外出にも困難が生じるなどしていたのが、平成二〇年六月にかけて徐々に症状が軽減していき、醍醐病院の主治医が平成二〇年七月一四日を診断日とする自賠責後遺障害認定診断書を作成しており、上記日までの間に強い増悪の状況があったと認められることから、同日までのパニック障害の治療について本件事故との相当因果関係を認める。
そして、原告には、前記(1)エのとおり、平成二〇年七月一四日以降も予期不安や突発的な不安感等により、一人での長時間の外出はできず、一人で留守番をすることも困難であるなどのパニック障害による症状が残存しており、本件事故前と比較して日常生活に制限が生じていることが認められ、その後の通院状況や醍醐病院の診断書の記載内容からすれば、既往症であるパニック障害が増悪した結果が現在も継続しており、数年間は改善しないものと推認される。この症状の残存についても、上記と同様、一定程度、本件事故に起因するものと考える。しかし、同日以降の本件事故による増悪と認められる症状の残存の程度については、本件全証拠によるも判然とせず、年齢的な問題や生活上のストレス、本件紛争が解決に至らないストレス等が関係する旨の醍醐病院の主治医の指摘や、既往症としてのパニック障害の進行をも考慮すれば、残存した増悪症状の全てを本件事故に起因する後遺障害と認めることはできない。そこで、以上の事情を勘案し、原告には、本件事故に起因する部分として、少なくとも、労働能力を五%喪失する程度の障害が生じたものと認めるのが相当である。
二 損害額(争点(2))について
(1) 原告に生じた損害総額
ア 治療費 一三六万六八五二円
前記のとおり、頚部痛に対する治療に関しては、平成二〇年六月三〇日までに要した治療費について相当と認めるところ、別表一の治療費のうち、「a整形外科」「ツバサ薬局」欄記載の費用については、いずれも、同日以降に生じた費用であり、これを認める特別の必要性及び相当性に関する立証はなく、相当因果関係のある損害と認めることはできない。
同表一のうち、醍醐病院に係る部分については、前記のとおり、同年七月一四日までの治療に係る費用について相当と認めるので、別紙一の治療費のうち平成二〇年七月一四日の治療費一五六〇円、及び文書料全額一万二〇七五円について本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
なお、証拠(甲二、三)及び弁論の全趣旨によれば、被告が症状固定日までの本件の傷病に関する治療費として一三五万三二一七円を支払った事実が認められるから、総額の計算上、相当因果関係のある損害としてこれを加えた数字を計上する。
イ 将来の治療費 〇円
本件事故と相当因果関係を有する部分は、上記アに記載した限度にとどまるというべきであり、将来の治療費を相当因果関係のある損害として認めることはできない。
ウ 交通費 三二万一七二〇円
前記アと同様に、平成二〇年六月三〇日以降の整形外科通院に関する通院交通費であるa整形外科、松本クリニック分につき相当因果関係のある損害と認めることはできない。
パニック障害に関する醍醐病院への通院に関しては、前記アのとおり、平成二〇年七月一四日までに要した通院交通費一四四〇円につき相当因果関係を認める。武田総合病院不整脈科への通院交通費について、これを本件事故に係る相当な損害と認めることはできない。
なお、弁論の全趣旨によれば、症状固定前の本件の傷病に関する通院交通費として、被告が三二万〇二八〇円を支払った事実が認められるから、総額の計算上、相当因果関係ある損害として、三二万〇二八〇円を加えた数字を計上する。
エ 付添看護料 六一万五〇〇〇円
前記一で述べたパニック障害の状況からすれば、常時見守りの必要性までは認められないが、平成二〇年七月一四日までの間、外出時における付添を要する状況にあったといえる。そして、証拠(甲二一、乙六等)及び弁論の全趣旨によれば、原告の妻が通院の際に原告に付き添ったと認められる。付添費用としては、通院一日あたり三〇〇〇円が相当である。
そして、通院実日数合計二〇五日間分(平成二〇年六月三〇日までの頚椎捻挫、右手CM関節捻挫に関する武田総合病院分一一九日及びa整形外科分六四日、同年七月一四日までのパニック障害に関する醍醐病院分二二日)が本件事故と相当因果関係のある通院と認められるから、以下の計算式により、付添費用合計六一万五〇〇〇円を損害と認める。
計算式:205日×3000円
オ 介護費用 一万四九六三円
前記に認定した原告の症状に照らし、証拠(甲一四の二枚目ないし四枚目、甲一五、二一)により、上記の限度で相当と認める。
カ 休業損害 〇円
原告は、月額約一二万円の収入があった旨の陳述(甲二〇)をするものの、同陳述書は反対尋問を経ない陳述である上、原告は六一歳で仕事を辞めており(乙六・六丁)、六六歳時点においても無職であった様子が窺える(乙五・三丁)から信用性に乏しく、これを採用できない。その他の実収入に関する的確な立証がない。そして、原告の事故当時のパニック障害の既往及びその程度に照らすと、原告は就労困難な状況が続いていたといえるから、本件事故による減収が生じたとは認められない。
キ 受傷慰謝料 一五〇万円
本件事故による受傷の内容、程度、及び治療期間、通院実日数、パニック障害について本件事故により増悪したものであること等を考慮すれば、一五〇万円が相当である。
ク 後遺障害逸失利益 〇円
上記カに述べた事実や原告の年齢等に照らせば、今後、収入が得られる見込みも乏しく、逸失利益が発生したと認めることはできない。
ケ 後遺障害慰謝料 一九〇万円
前記に認定した後遺障害の内容、程度に、本件において後遺障害逸失利益を損害として認めないことを一部考慮し、一九〇万円を相当な慰謝料額として認めるのが相当である。
コ 合計 五七一万八五三五円
(2) 民法七二二条類推による減額
本件受傷による治療が長期にわたり遷延化し、症状が残存したことは、原告のパニック障害の既往症の存在及び証拠(乙一ないし七)から窺える原告の性格が影響しており、本件事故の状況や原告車の損傷の程度を考慮すれば、本件の治療の長期化や症状の残存は本件事故のみによって通常発生する程度、範囲を超えているといえるから、損害の全てを被告の責任とするのは相当でない。そこで、以上の事情を総合考慮し、損害の公平な分担の見地から、民法七二二条を類推適用し、原告に生じた損害の三五%の額を控除するのが相当である。三五%を減額した損害額は、合計三七一万七〇四七円(一円未満切捨て)となる。
(3) 既払金控除後の残額
上記(2)の減額後の金額から争いのない既払額である二六五万三三七一円を控除した残額は一〇六万三六七六円となる。
(4) 弁護士費用 一〇万円が相当である。
(5) 合計 一一六万三六七六円
第四結論
よって、原告の請求は、被告に対し、一一六万三六七六円及びこれに対する不法行為日である平成一九年三月三〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却する。
(裁判官 中武由紀)
別表 略