京都地方裁判所 平成19年(ワ)788号 判決
主文
1 別紙遺産目録1の①ないし⑦記載の各財産が,被相続人甲(平成15年3月7日死亡)の遺産であることを確認する。
2 別紙遺産目録2の①ないし③記載の各財産が,被相続人乙(平成15年8月7日死亡)の遺産であることを確認する。
3 原告のその余の甲事件請求及び被告らの乙事件請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,甲事件及び乙事件を通じて10分し,その1を原告の負担とし,その余を被告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
1 甲事件
(1) 別紙遺産目録1の①ないし⑧記載の各財産が,被相続人甲(平成15年3月7日死亡)の遺産であることを確認する。
(2) 主文2項同旨
2 乙事件
別紙遺産目録3の①ないし④記載の各財産が,被相続人乙(平成15年8月7日死亡)の遺産であることを確認する。
第2事案の概要
原告,被告A及び被告Bは,甲(平成15年3月7日死亡)及び乙(平成15年8月7日死亡)の相続人であり,甲及び乙の相続人は,他には存在しない。
甲事件は,原告が被告両名に対し,別紙遺産目録1の①ないし⑧記載の各財産が甲の遺産であること及び同目録2の①ないし③記載の各財産が乙の遺産であることの各確認を求めた事案であり,乙事件は,被告両名が原告に対し,同目録3の①ないし④記載の各財産が乙の遺産であることの確認を求めた事案である。
1 前提事実(争いがないか,証拠及び各項末尾記載の証拠によって明らかに認められる。)
(1) 当事者
ア 甲(大正13年8月10日生)と乙(昭和3年10月8日生)は,昭和23年12月10日婚姻届出をし,C(昭和24年1月2日生),原告(昭和25年7月26日生)及び被告A(昭和27年3月26日生)の3子をもうけた。(甲18ないし21)
イ Cは,昭和52年7月23日にDと婚姻届出をし,Dとの間に,被告B(昭和53年3月6日)及びE(昭和55年9月5日生)の2子をもうけた。平成11年4月20日,Cが死亡し,平成14年3月3日,Eが死亡した。(甲25,26)
ウ よって,甲の相続人は,乙,原告,被告A及び被告B(Cの代襲相続人)の4名であり,その後の乙の死亡によって乙が有していた甲の遺産に対する相続分を,原告,被告A及び被告Bが相続したから,現在,甲の遺産に対する相続分を有しているのは,原告,被告A及び被告Bの3名である。また,乙の相続人も,原告,被告A及び被告Bの3名である。
(2) 甲及び乙の晩年の生活について
ア 甲と乙は,長年,被告Aの肩書住所(甲の遺産であるマンション,以下「本件マンション」という。)で,被告Aと3人で生活していた。原告は,平成3年7月10日,妻Fと婚姻届出をし,同年10月28日,肩書住所の土地建物を購入し,同年12月ころから今日まで,同建物(以下「原告方」という。)で居住している。(甲28ないし32,43,乙59)
イ 甲は,平成14年1月ころ,京都市伏見区内のH病院に入院し,同年6月28日に同市山科区内のI病院に転院し,平成15年3月7日,同病院で死亡した。乙は,平成14年10月18日から同年11月30日まで同市山科区内のJ病院に入院し,平成15年6月5日,同病院に再入院し,同年8月7日,同病院で死亡した。(乙45,47,49,50,59)
(3) 甲及び乙名義の各口座からの払い戻し
ア 甲名義口座からの甲の生前における払戻
(ア) 被告Aは,平成14年7月2日,甲の京都信用金庫の預金口座から1000万円の払戻を受けた(以下「甲生前払戻金①」という。)。
(イ) 被告Aは,同月8日,上記口座から1650万円の払戻を受けた(以下「甲生前払戻金②」という。)。
(ウ) 被告Aは,同月26日,甲の郵便貯金口座から295万円の払戻を受けた(以下「甲生前払戻金③」という。)。
イ 甲名義口座からの甲の死後における払戻
(ア) 被告Aは,平成15年3月13日,甲の京都信用金庫の預金口座から24万3645円の払戻を受けた(以下「甲死後払戻金①」という。)。
(イ) 被告Aは,同月24日,甲の郵便貯金口座から100万円の払戻を受けた(以下「甲死後払戻金②」という。)。
(ウ) 被告Aは,同月25日,甲の郵便貯金口座から56万5000円の払戻を受けた(以下「甲死後払戻金③」という。)。
(エ) 被告Aは,同年10月28日,甲の郵便貯金口座から39万9164円の払戻を受けた(以下「甲死後払戻金④」という。)。
ウ 乙名義口座からの乙の生前における払戻
(ア) 平成14年2月21日,乙の郵便貯金口座から50万円が引き出された(以下「乙生前払戻金①」という。)。
(イ) 原告は,平成14年12月20日,乙の郵便貯金口座から140万円の払戻を受けた(以下「乙生前払戻金②」という。)。
エ 乙名義口座からの乙の死後における払戻
(ア) 被告Aは,平成15年10月7日,乙の京都信用金庫の預金口座から1002万3189円の払戻を受けた(以下「乙死後払戻金①」という。)。
(イ) 被告Aは,同月27日,乙の郵便貯金口座から57万0964円の払戻を受けた(以下「乙死後払戻金②」という。)。
(4) 乙は,平成3年12月ころ,原告に対し,金300万円を,利息及び返済期限の定めなく貸し付けた(以下「本件300万円の貸付」という。)。
(5) 遺産分割協議に関する経緯
ア 被告Aから依頼を受けたG行政書士は,甲の相続に関し,平成16年5月9日付の遺産分割協議書案を作成した(以下「G協議書案」という。)が,原告がこれに同意せず,同案に基づく遺産分割協議は成立しなかった。同案によれば,具体的に特定掲記されている相続財産(積極財産)は,不動産以外は,預貯金のみであり,その明細は,次のとおりである。(甲3,4)
(ア) 京都信用金庫の甲名義の普通預金 1000万円
(イ) 京都信用金庫の甲名義の普通預金 4075万9454円
(ウ) 郵便局の甲名義の貯金 651万2164円
(エ) 京都信用金庫の甲名義の預金 1000万円
イ 同年10月4日,G行政書士は,原告から委任を受けた渡辺哲司弁護士に対し,甲の相続財産の一覧表を交付した(以下「G一覧表」という。)。これによれば,具体的に特定掲記されている相続財産(積極財産)は,不動産以外は,預貯金及び現金であり,その明細は,次のとおりである。(甲4,5)
(ア) 京都信用金庫(山科支店扱い)の預金2口 1026万5134円
(イ) 郵便局の貯金2口 186万4892円
(ウ) 大和銀行(京都支店扱い)の預金 6149円
(エ) 現金190万円
ウ 原告は,京都家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てた(甲について平成17年(家イ)第985号,乙について同年(家イ)第986号)が,本件訴訟で争点となっている事柄が争いとなり,これらについて民事訴訟で解決を図ることとなり,調停手続は,事実上中断している。(弁論の全趣旨)
なお,同調停において,被告らは,甲及び乙の遺産の一覧表を提出した(以下「調停段階一覧表」という。)が,これによると,不動産以外の遺産は,次のとおりである。(甲1,2)
(ア) 甲について
死亡時の遺産は,次のaないしcのとおりであるが,a及びbは既に全額が払い戻され((3)のイ(ア)ないし(エ)),cのみが残存している。
a 郵便局の貯金 157万3094円(払戻された金額の総額196万4164円)
b 京都信用金庫の預金 24万3644円
c 大和銀行の預金 6149円
(イ) 乙について
死亡時の遺産は,次のaないしcのとおりであるが,a及びbは既に全額が払い戻され((3)のエ(ア)及び(イ)),cのみが残存している。
a 郵便局の貯金 29万1768円(払戻時の金額は57万0964円)
b 京都信用金庫の預金1002万1490円(払戻時の金額は1002万3189円)
c 現金190万円
(6) 本件当事者全員は,平成20年3月6日に開かれた本訴第5回口頭弁論期日において,甲及び乙の相続について,次の各財産を遺産分割の対象とすることに合意した。
ア 相続人が被相続人の生前,被相続人の預貯金を被相続人に無断で引き出し領得したことによって被相続人がその相続人に対して取得した不法行為に基づく損害賠償請求権
イ 被相続人の預貯金債権〔相続開始後に相続人がこれを引き出し費消したことによる代償財産(その相続人に対する債権)を含む。〕
ウ 被相続人の貸付金債権
2 当事者の主張と争点
(1) 原告は,被告らに対し,次の各財産が甲の遺産に属することの確認を求めている。(甲事件請求の趣旨(1))
ア 被告Aが,甲に無断で払戻を受けた甲生前払戻金①を領得したことにより,甲が被告Aに対して取得した同額の損害賠償請求権(別紙遺産目録1①)
イ 被告Aが,甲に無断で払戻を受けた甲生前払戻金②を領得したことにより,甲が被告Aに対して取得した同額の損害賠償請求権(別紙遺産目録1②)
ウ 被告Aが,甲に無断で払戻を受けた甲生前払戻金③を領得したことにより,甲が被告Aに対して取得した同額の損害賠償請求権(別紙遺産目録1③)
エ 被告Aが,甲死後払戻金①の払戻を受け,これを領得したことにより発生した被告Aに対する損害賠償請求権(遺産である預金債権の代償財産)(別紙遺産目録1④)
オ 被告Aが,甲死後払戻金②の払戻を受け,これを領得したことにより発生した被告Aに対する損害賠償請求権(遺産である貯金債権の代償財産)(別紙遺産目録1⑤)
カ 被告Aが,甲死後払戻金③の払戻を受け,これを領得したことにより発生した被告Aに対する損害賠償請求権(遺産である貯金債権の代償財産)(別紙遺産目録1⑥)
キ 被告Aが,甲死後払戻金④の払戻を受け,これを領得したことにより発生した被告Aに対する損害賠償請求権(遺産である貯金債権の代償財産)(別紙遺産目録1⑦)
ク 被告Aが,甲の遺産である現金37万円を領得したことにより発生した被告Aに対する損害賠償請求権(遺産である現金の代償財産)(別紙遺産目録1⑧)
(2) 原告は,被告らに対し,次の各財産が乙の遺産に属することの確認を求めている。(甲事件請求の趣旨(2))
ア 被告Aが,乙死後払戻金①の払戻を受け,これを領得したことにより発生した被告Aに対する損害賠償請求権(遺産である預金債権の代償財産)(別紙遺産目録2①)
イ 被告Aが,乙死後払戻金②の払戻を受け,これを領得したことにより発生した被告Aに対する損害賠償請求権(遺産である貯金債権の代償財産)(別紙遺産目録2②)
ウ 被告Aが,乙の遺産である現金300万円を領得したことにより発生した被告Aに対する損害賠償請求権(遺産である現金の代償財産)(別紙遺産目録2③)
(3) 被告らは原告に対し,次の各財産が乙の遺産に属することの確認を求めている。(乙事件)
ア 原告が,乙に無断で払戻を受けた乙生前払戻金①を領得したことにより,乙が原告に対して取得した同額の損害賠償請求権(別紙遺産目録3①)
イ 原告が,乙に無断で払戻を受けた乙生前払戻金②を領得したことにより,乙が原告に対して取得した同額の損害賠償請求権(別紙遺産目録3②)
ウ 乙の原告に対する本件300万円の貸付金の返還請求権(別紙遺産目録3③)
エ 乙が平成12年9月5日原告に対して395万円を,利息及び返済期限の定めなく貸し付けた(以下「本件395万円の貸付」という。)ことにより乙が原告に対して取得した同額の返還請求権(別紙遺産目録3④)
(4) 本件の争点及び争点に対する当事者の主張の骨子は次のとおりである。
ア 被告Aは,甲生前払戻金①ないし③を領得したか。
【原告の主張】
被告Aは,甲生前払戻金①ないし③を領得した。
【被告らの主張】
原告の主張はいずれも否認する。被告Aが甲生前払戻金①ないし③の払戻手続をしたのは乙の依頼によるものであり,その全額を乙に引き渡した。なお,その後,内金1200万円を乙から預かったが,これは,甲及び乙の葬儀その他の法事の費用等に充てた。
イ 被告Aは,甲死後払戻金①ないし④を領得したか。
【原告の主張】
被告Aは,甲死後払戻金①ないし④を領得した。
【被告らの主張】
原告の主張はいずれも否認する。被告Aは,甲死後払戻金①ないし④を定期預金にして保管している。
ウ 甲の遺産として現金37万円が存在したか。これを被告Aが領得したか。
【原告の主張】
甲の遺産として現金37万円が存在した。これを被告Aが領得した。
【被告らの主張】
甲の遺産として現金37万円が存在したことは否認する。これを被告Aが領得したことも否認する。
エ 被告Aは,乙死後払戻金①及び②を領得したか。
【原告の主張】
被告Aは,乙死後払戻金①及び②を領得した。
【被告らの主張】
原告の主張はいずれも否認する。被告Aは,これらを保管し,乙の葬儀その他の法事の費用等として支出した。残金は定期預金として保管している。
なお,乙死後払戻金①は,乙が,甲生前払戻金①ないし③の一部を預金したものであるから,乙死後払戻金①を独立に評価すると,甲生前払戻金①ないし③と重複することになる。
オ 原告は,乙生前払戻金①及び②を領得したか。
【被告らの主張】
原告は,乙生前払戻金①及び②の払戻を受け,これらを領得した。
【原告の主張】
乙生前払戻金①の払戻を受けたのは乙であり,原告は,郵便局に同行しただけである。乙生前払戻金②の払戻を受けたのは原告であるが,この払戻金は乙に引き渡した。
カ 乙の遺産として現金300万円が存在したか。これを被告Aが領得したか。
【原告の主張】
乙の遺産として現金300万円が存在した。これを被告Aが領得した。
【被告らの主張】
乙の遺産として存在した現金は190万円である。被告Aは,これを保管し,乙の葬儀その他の法事等の費用として支出し,残金は定期預金等として保管している。
キ 本件300万円の貸付金について,原告主張にかかる弁済及び免除の事実の有無
【原告の主張】
原告は,本件300万円について,平成4年7月から平成10年7月までの間,分割で220万円を返済した。平成10年7月,乙は,Fを通じて原告に対し,残金80万円の支払義務を免除した。
【被告らの主張】
否認する。
ク 本件395万円の貸付の事実の有無
【被告らの主張】
乙は,平成12年9月5日原告に対し,395万円を,利息及び返済期限の定めなく貸し付けた。
【原告の主張】
否認する。
第3当裁判所の判断
1 はじめに
(1) 本件において,原告及び被告らが甲及び乙の遺産であることの確認を求めているのは,現金を除けば,預貯金債権,不法行為に基づく損害賠償請求権及び貸金返還請求権である。
ところで,遺産中に存する金銭債権は,相続開始とともに法律上当然に分割され,各共同相続人がその相続分に応じて権利を承継するものと解せられる(最高裁判所昭和29年4月8日判決・民集8巻4号819頁参照)。しかしながら,第2の1(6)記載のとおり,本件当事者全員は,甲及び乙の遺産である預貯金債権,不法行為に基づく損害賠償請求権及び貸金返還請求権をいずれも遺産分割の対象とすることに合意したものであるところ,これは,本来の分割債権を,相続人の間では,相続開始時に遡って不可分債権とするとともに,これを再分割する方法又は履行を受けた金銭を分配する方法を遺産分割協議に委ねる旨の意思表示であると解することができる。そうすると,原告及び被告らが本訴において甲及び乙の遺産であることの確認を求めている預貯金債権,不法行為に基づく損害賠償請求権及び貸金返還請求権についても,遺産確認の訴えの対象とすることが許されるというべきである。
(2) 次に,当事者の主張によると,一部の相続人が遺産である預貯金の払戻を受けてこれを領得し,また,現金を領得したというのである。遺産分割の対象は,遺産分割時に現存する遺産であるから,相続開始後遺産分割が成立する以前に一部の相続人がこれを処分,費消した財産は,遺産分割の対象財産から逸失することになる。しかしながら,遺産分割が成立する前に分割対象財産を管理する相続人は,他の相続人の同意なくこれを処分,費消することができないから,これをした場合,その相続人に対する損害賠償請求権が遺産の代償財産として遺産分割の対象となると解するのが相当である。
(3) 以下,争点について判断するに当たって,次のことを指摘しておかなければならない。
ア 甲及び乙の遺産を管理し,その全容を把握しているのは被告Aであった。また,甲及び乙の葬儀その他の法事の費用,墓地や仏壇等の購入費用等を支出したのは被告Aであった。(争いがない)
イ 遺産の全容について,被告Aの原告や被告Bに対する説明内容,調停や本訴における主張内容は,極端に変転している。すなわち,当初の説明内容は,G協議書案に記載された内容であり,次がG一覧表に記載された内容である。調停での主張内容は,調停段階一覧表記載のとおりであり,本訴においては,答弁書において,調停段階一覧表と同一の主張をしていたが,平成18年7月31日付準備書面(1)においては,答弁書での主張に加え,平成15年3月13日ころ乙から預かった1200万円(第2の2(4)アの【被告らの主張】欄の1200万円)があると主張するに至った。
ウ 原告は,当初,被告Aに対し,被告Aが相続財産を費消し,原告の権利を侵害したとして,損害賠償請求訴訟を提起し(京都地方裁判所平成18年(ワ)第1144号,以下「別件本訴」という。),これに対して被告Aは,反訴として,原告に対し,甲及び乙の葬儀その他の法事の費用,墓地等の購入費用は,相続人3名が相続分にしたがって3分の1ずつ負担するべきであるところ,その全部を被告Aが立替支払ったとして,要した費用856万3652円の3分の1である285万4550円の支払を求める訴えを提起した(京都地方裁判所平成19年(ワ)第723号,以下「別件反訴」という。)。別件本訴は取下によって終了し,別件反訴については,平成20年1月17日,原告が265万円の支払義務を認め,これを被告Aに対し,甲又は乙の遺産についての遺産分割調停事件又は同事件から移行した同審判事件での調停成立又は審判確定の日から1か月以内に支払う旨の和解が成立した。(以下「本件和解」という。)
2 被告Aは,甲生前払戻金①ないし③を領得したか(争点ア)
(1) 第2の1で認定した事実に証拠(各項末尾記載)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
ア 甲の通夜は平成15年3月9日に,告別式は同月10日にそれぞれ行われた。同月8日,被告Aは,本件マンションで原告に対し,紙袋を指さし,「ここに3000万円があるしな。」と告げた。(甲43,原告本人)
イ 原告は,被告Aから呼ばれて平成16年9月18日ころ本件マンションを訪ねたところ,同所にいたG行政書士からG協議書案を示され,これに押印することを求められた。G協議書案によると,原告が取得する遺産は,京都信用金庫の被相続人名義の普通預金1000万円と原告方土地建物とされ,被告Bが取得する遺産は京都信用金庫の預金1000万円とされていた。原告は,原告方土地建物は,自分の財産であって甲の遺産でないと主張してG協議書案に記載された内容で遺産分割協議を成立させることに異議を唱えた。G行政書士は,原告に対し,「印を押していただければ,すぐに1000万円を渡してあげられたのですが。」と述べた。
ウ 被告Aは,本人尋問において,甲及び乙の遺産を京都信用金庫(山科支店扱い)の額面1000万円と額面560万円の各定期預金にしたと供述したが,これを裏付ける証拠を提出するのは容易であるにもかかわらず,何らの証拠を提出しない。
(2) これに対し,被告らは,(1)アの事実を否定し,被告Aの供述中には,(1)アの事実はなかったとの部分がある。しかしながら,次の事実によると,原告の供述は信用に値する一方,被告Aの供述は,1の(3)イの事実に照らしても,直ちには信用できない。他に,上記認定を左右するに足る証拠はない。
ア G協議書案では,甲の遺産として,6700万円を超える預貯金が存在する旨記載されていた。G協議書案の内容は被告Aの説明をG行政書士が文書にまとめたものとしか考えられない。甲及び乙の遺産を管理していた被告Aが,他の相続人に遺産分割協議案を提示するに当たり,他の相続人名義の財産を遺産として扱う場合を除き,現実に存在する以上の財産を遺産として記載することは考えがたい。そうすると,G一覧表や調停段階一覧表の内容,本訴における被告らの主張内容以外に,甲の遺産として,相当多額の預貯金ないし現金が存在したと考えるのが自然である。
イ G協議書案の内容によれば,当時被告Aは,原告及び被告Bに1000万円ずつを取得させることによって甲の遺産分割協議をまとめたいと考えていたことが推測されるから,被告Aは,当時,少なくとも3000万円の預貯金ないし現金を手元に保管していたと推認するのが合理的である。
ウ 原告は,被告Aから「ここに3000万円があるしな。」と告げられた平成15年3月8日,本件マンション内に被告B及びDがいたと供述するのに対し,被告らは,当日は被告B及びDは,本件マンションを訪れていないと主張し,同旨の被告B及びDの陳述書(乙60,62)を提出する。しかしながら,原告の供述中の,このような周辺部分に記憶の混乱があったとしても,被告Aから,「ここに3000万円があるしな。」と告げられた旨の供述の核心部分についての信用性を否定することはできない。
(3) 更に,被告Aは,甲生前払戻金①ないし③は乙の依頼で払い戻したものであり,払戻金は乙に手渡したと主張するところ,甲生前払戻金③については,上記主張を裏付ける証拠はない。同①②については,被告A本人の供述中には,上記主張に沿う部分があるが,乙が,2650万円もの預金を払い戻す必要があったことについては何らの証拠がないこと,被告Aは,乙に使途を聞いたのに乙は答えなかった旨供述する(調書5頁)が,使途も分からないのにこのような多額の金銭を依頼されるまま払い戻し,高齢の乙に現金で手渡したというのは不自然であること,被告Aの供述中には,甲の死亡後は甲の預貯金を払い戻す手続が煩瑣になるので,生前に払い戻すのがよいと思っていたとの部分がある(調書17頁)ところ,仮に乙が同様の考えであったとしても,払い戻した金銭を乙名義の預貯金として預け入れるのが普通であるし,被告Aとしては,多額の現金を乙にそのまま引き渡すのではなく,そのようなアドバイスをするのが通常であると思われるが,そのような形跡がないこと等の事情に鑑みると,被告Aの上記供述部分は信用できない。
(4) 以上を総合すると,被告Aは,何らかの思惑から,別紙遺産目録1の①ないし③の預貯金を払い戻して甲生前払戻金①ないし③を入手し,約3000万円の現金を自ら管理していたが,遺産分割協議が思うように結着しなかったことから,その存在を原告に対して隠すようになった(本訴に至り,第2の2(4)アの【被告らの主張】欄記載のように,乙から,甲生前払戻金①ないし③のうち1200万円を預かったと主張するに至ったが,それが現在どのような形で残っているかは主張しない。)と認めるのが相当である。そうすると,被告Aがこれを費消したのか,隠匿しているのかは判然としないが,これを他の相続人に無断で領得したと評価するべきである。
3 被告Aは,甲死後払戻金①ないし④を領得したか。(争点イ)
被告Aは,甲死後払戻金①ないし④を定期預金にして保管していると主張するが,2(1)ウ記載のように,これを裏付ける証拠を提出しない。そうすると,被告Aがこれを費消したのか,隠匿しているのかは判然としないが,これを他の相続人に無断で領得したと評価するのが相当である。
4 甲の遺産として現金37万円が存在したか。これを被告Aが領得したか。
(争点ウ)
甲の死亡時,甲の遺産として現金37万円が存在したことを認めるに足る証拠はない。
原告本人の陳述書(甲43)中には,甲の初七日の法要が行われた後,本件マンションの甲の部屋に入ったところ,棚の引出しの中に,厚さから30万円くらいの現金が在中していると判断できる銀行の紙袋があったとの部分があり,Fの陳述書(甲46)中には,甲が平成14年6月28日にH病院からI病院に転院した際,Fが甲の財布を預かり本件マンションに持って帰ったが,その際,財布には現金7万円が入っていたとの部分がある。しかしながら,仮に上記各事実が認められるとしても,原告は,上記紙袋に入っていたものが現金であったことまでは確認していないし,上記財布在中の現金が甲の死亡時までそのまま残っていたとは認めがたい(甲は,退院することなく死亡したが,甲の意を受けた者がその現金を何らかの用途に使用することがあったと考えても不自然ではない。)から,上記各証拠だけから,甲の死亡時,甲の遺産として現金37万円が存在したと認めることはできず,他に,その事実を認めるに足る証拠はない。
5 被告Aは,乙死後払戻金①及び②を領得したか(争点エ)
(1) 被告Aは,乙死後払戻金①及び②を乙の葬儀その他の法事の費用等として支出し,残金は定期預金として保管していると主張するが,2(1)ウ記載のように,定期預金として保管していることを裏付ける証拠を提出しない。そうすると,被告Aがこれを費消したのか,隠匿しているのかは判然としないが,これを他の相続人に無断で領得したとの評価するのが相当である。
なお,1(3)ウ記載のように,被告Aは,甲及び乙の葬儀その他の法事の費用等は,相続財産が負担するのではなく,相続人が共同して負担するべきであるとの考えのもとに別件反訴を提起し,原告も,相続人が共同して負担するべきものとの考えのもとに一定の金額の支払義務を認め,訴訟上の和解が成立したのであるから,乙死後払戻金①及び②から葬儀その他の法事の費用等を支出したとの主張は,それ自体で失当である。
(2) なお,被告らは,乙死後払戻金①は,甲生前払戻金①ないし③と重複する旨主張するが,証拠(甲16)によると,乙死後払戻金①の前提となる預金は,平成11年12月27日までに形成されたことが認められ,甲生前払戻金①ないし③とは関係がないことが明らかであるから,被告らの上記主張は採用できない。
6 原告は,乙生前払戻金①及び②を領得したか(争点オ)
(1) 原告が,乙生前払戻金①及び②を領得したと認めるに足る証拠はない。
(2) かえって,証拠(甲44,45,原告本人)によると,次の事実が認められる。
ア 平成14年2月21日,原告は,乙から,乙が郵便局の貯金の払戻を受けるのに同行することを頼まれ,郵便局に同行した。原告は,払戻請求書に必要事項を記載し,乙が払戻金50万円を受取った。
イ 平成14年12月20日,原告とFが本件マンションを訪ねたところ,原告は,乙から,乙の郵便局の貯金口座から140万円の払戻を受けることを依頼され,乙名義の郵便局の貯金通帳及び取引印鑑の交付を受けた。原告は,これらを持参して郵便局に出かけ,140万円の払戻を受け,本件マンションに戻り,これを乙に引渡した。
7 乙の遺産として現金300万円が存在したか。これを被告Aが領得したか。
(争点カ)
(1) 乙の遺産として現金190万円が存在したことは被告らも認めるところである。そして,証拠(被告A本人,甲16)によると,これは,平成14年4月11日に京都信用金庫(山科支店扱)の乙名義の普通預金口座から払い戻した200万円の一部であることが認められる。
(2) 証拠(被告A本人,甲15)によると,被告Aは,乙が死亡する約1月半前である平成15年6月20日に乙名義の郵便局の口座から144万9500円を払い戻したこと,払い戻した現金を本件マンションの自分の本箱に保管していたこと,後日,これを定期預金にしたことが認められる。そうすると,乙死亡時において,上記払戻金は,現金として存在していたというべきである。
(3) よって,乙の遺産として,少なくとも300万円の現金が存在したと認めるのが相当である。
(4) 被告Aは,現金を保管し,乙の葬儀その他の法事等の費用として支出し,残金は定期預金等として保管していると主張するが,葬儀その他の法事の費用等に支出したとの主張は,それ自体で失当であることは前記のとおりである。また,被告Aは,2(1)ウ記載のように,定期預金として保管していることを裏付ける証拠を提出しないから,被告Aがこれを費消したのか,隠匿しているのかは判然としないが,これを他の相続人に無断で領得したと評価するのが相当である。
8 本件300万円の貸付金について,原告主張にかかる弁済及び免除の事実の有無(争点キ)
(1) 証拠(甲11,原告本人,証人F)によると,原告は,乙に対し,本件300万円の貸付に対する弁済として,平成4年7月ころから平成10年7月ころまでの間,分割して合計220万円を支払ったこと,乙は,この返済金を定額郵便貯金として預け入れたこと(記号54430,番号2830315),平成10年8月ころ,乙は,Fを通じて原告に対し,残金は返さなくてもよいと告げて,残金80万円の返済義務を免除するとともに,それまでの返済金を預け入れていた定額郵便貯金証書と取引印鑑を交付して,これを原告又はFに贈与したこと,以上の事実が認められる。
(2) 上記事実によると,本件300万円の貸付金は,乙の相続開始時までに消滅したというべきである。
9 本件395万円の貸付の事実の有無(争点ク)
被告らは,本件395万円の貸付の証拠として乙作成のメモ(乙51)を提出するところ,同メモには,日付の記載と金額の記載があり,「Xさんへ」との記載部分もあるが,その趣旨は明かでなく,同証拠だけから,本件395万円の貸付の事実を認めることはできず,他に,本件395万円の貸付が実行されたことを認めるに足る証拠はない。
10 結論
以上の検討の結果によれば,原告の甲事件請求は,別紙遺産目録1の①ないし⑦記載の各財産が甲の遺産であることの確認及び同遺産目録2の①ないし③記載の各財産が乙の遺産であることの確認を求める限度で正当として認容するべきであり,その余は失当として棄却するべきであり,被告らの乙事件請求は,失当として棄却するべきである。
(裁判官 井戸謙一)
file_3.jpg別紙