大判例

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さいたま地方裁判所 平成22年(ワ)3906号 判決

主文

1  被告は,原告Aに対して,1375万円及びこれに対する平成23年2月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告Bに対して,1375万円及びこれに対する平成23年2月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  被告は,原告Cに対して,1430万円及びこれに対する平成23年2月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

5  訴訟費用は,これを2分し,その1を被告の負担とし,その余を原告らの負担とする。

6  この判決は,第1項から第3項までに限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1原告らの請求

1  被告は,原告Aに対し,2475万円及びこれに対する平成23年2月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告Bに対し,2475万円及びこれに対する平成23年2月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  被告は,原告Cに対し,3850万円及びこれに対する平成23年2月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,石綿セメント管(以下「石綿管」という。)を製造していた被告の元従業員ないしその遺族らが,元従業員らが被告の工場で石綿管の製造作業に従事した際に石綿(アスベスト)粉じんに曝露したことにより,石綿肺等の石綿関連疾患に罹患し,あるいは同疾患により死亡したとして,被告に対し,債務不履行(安全配慮義務違反)又は不法行為に基づき,慰謝料等の損害賠償を求める事案である(遅延損害金の始期は,訴状送達の日の翌日)。

1  前提となる事実(証拠を摘示しない事実は,当事者間に争いがない。)

(1)  被告

被告の前身会社である「D株式会社」は,石綿管の製造,販売を主な業務として設立され,昭和8年4月に埼玉県与野町(現さいたま市)に工場(以下「大宮工場」という。)を建設して石綿管の製造,販売を実施してきた。大宮工場は,昭和57年に閉鎖され,埼玉県鷲宮町に移転された(以下,鷲宮町に建設された工場を「鷲宮工場」という。甲A4)。

D株式会社は,その後,株式譲渡等により事業内容の転換,商号の変更を経て,現在の「E株式会社」となった(以下,商号変更の前後を問わず「被告」という。)。

(2)  亡F,亡G,原告A及び原告B

亡G(以下「亡G」という。)は亡F(昭和8年3月6日生まれ。以下「亡F」という。)の妻であり,原告A及び原告Bは,亡Fと亡Gとの間の子である。

亡Fは,昭和29年8月から昭和57年12月まで被告の従業員であった。亡Fは,平成22年10月10日,悪性胸膜中皮腫により死亡した(死亡時77歳)。(甲J5)

亡Fの死亡により,亡Fの権利義務を,亡Gが2分の1,原告A及び原告Bが4分の1ずつの割合で相続した。本件提訴後の平成24年2月21日に亡Gが死亡したため,原告A及び原告Bは,亡Gの権利義務を2分の1ずつの割合で相続するとともに,原告の地位を承継した(すなわち,原告A及び原告Bは,亡Fが有していた損害賠償請求権を2分の1ずつの割合で取得したことになる。)。(記録中の戸籍謄本)

(3)  原告C

原告C(昭和11年11月30日生まれ)は,昭和39年12月から昭和57年12月まで,被告の従業員であった。

2  争点及びこれに関する当事者の主張

(1)  被告において,石綿粉じんにより従業員に健康被害が発生することを予見できた時期はいつか。

(原告らの主張)

海外においては,明治32年に最初の石綿肺についての報告がされ,明治39年ころからは,欧米各国で石綿を扱う労働者にじん肺所見がみられるとの報告が相次いだ。昭和5年には,20年以上石綿を扱う労働者の66%が石綿肺に罹患していたことが報告され,昭和6年には,けい肺を目的とする会議において,石綿の吸引によってじん肺が発生することが示された。同年には,イギリスでアスベスト(石綿)産業規制法が導入され,遅くともこのころには,石綿肺の危険性は国際的に広く認識された。

日本国内においても,明治中ごろには,石綿がじん肺の原因になりうることが広く知りうる状態となっており,昭和初期には,じん肺の一種として石綿肺の危険性が認識されていた。昭和4年には,工場法及び同法に基づく規則等により,粉じんの発散を防止すべく設備を設けること等が定められた。

したがって,被告は,遅くとも昭和6年には,従業員が石綿粉じんに曝露することにより重大な健康被害が生じる抽象的な危惧を持っており,この時点で予見可能性があった。

(被告の主張)

ア わが国において,石綿に起因する労働災害の研究が進み,その防止の具体的な手段方法及び作業現場における対策等が定められたのは,昭和46年4月28日に制定された特定化学物質等障害予防規則(以下「特化則」という。)である。もっとも,特化則によっても,石綿粉じんの取扱いについて企業が採るべき具体的対策は明らかではなく,昭和54年4月25日に,粉じん障害防止規則が制定されて初めて明らかとなった。

以上より,石綿粉じんへの曝露による健康被害について被告が予見可能となったのは,粉じん障害防止規則の制定時である昭和54年4月25日である。また,抽象的な危険を認知したのは,早くとも特化則の制定時である昭和46年4月28日である。

イ また,亡Fの死因とされている悪性胸膜中皮腫は特殊な病気であり,医学的知見は最近にいたっても確定していない部分が多く残されている。それゆえ,中皮腫に関する予見可能性は,じん肺に関する予見可能性とは別に検討する必要がある。被告は,中皮腫の発生を予見し得なかった時期においては,中皮腫に関する安全配慮義務違反の責任を負うことはない。労働基準法施行規則所定の業務上の疾病の例示として石綿に曝露する業務による中皮腫を追加する改正が行われたのは,昭和53年3月30日であるから,民間企業である被告は,少なくとも同日までに石綿曝露によって中皮腫の発生を具体的に予見することは不可能であった。

(2)  被告に求められる安全配慮義務の具体的内容及び義務違反の有無

(原告らの主張)

被告には,石綿粉じんによる健康被害の発生を防止するために以下の安全配慮義務が認められるところ,これらの義務に違反した。

ア 石綿を用いた作業自体を中止すべき義務

被告は,危険な石綿作業自体を中止し,既存の鋳鉄管に代替する等の手段を選択する義務を負うところ,他社が石綿セメント管の製造を中止した後も10年間にわたり,漫然と大宮工場,鷲宮工場の操業を継続させ,この義務に違反した。

イ 職場における石綿量の調査・測定義務

被告は,職場において,石綿量の調査,測定をする義務を負う。しかし,被告が初めて作業環境測定を行ったのは昭和40年代後半であり,それまで作業環境測定を行ったことはなかった。

ウ 石綿粉じんの発生飛散抑制義務

被告には,石綿粉じんによる健康被害を防ぐために,粉じんの発生自体を防止すべき義務があり,それができないときは,作業場内の粉じんの飛散を防止するために,粉じんの発生源を密閉,隔離し,局所排気装置を備えるなど必要な措置を講じる義務がある。

石綿を解綿する作業,原料を混合する作業,石綿管を切削する作業では大量の石綿粉じんが飛散していたが,被告は有効な措置を講じなかった。大宮工場における作業工程の一部が自動化(オートメーション化)されたのは,昭和52年以降であったし,オートメーション化によっても従業員は石綿に曝露する作業を行う必要があった。オートメーション化後には集じん機が設置された職場もあったが,こぼれてしまった石綿を余すことなく回収するために設置されたものであり,従業員が作業する場には設置されなかったので,石綿の発生や飛散を抑制するのに役立たなかった。

エ マスク配布及び着用指導,教育実施義務

作業場に粉じんが発生・浮遊している場合には,有効かつ最良の防じんマスク等の呼吸用保護具や交換部品を随時支給する必要がある。昭和26年に発出された通達等により,被告には,マスクの交付及びその着用や使用方法に関する指導義務が課せられていた。

しかし,被告は従業員に対して適切なマスクを支給していなかった。

オ じん肺や石綿関連疾患の危険性等に関する教育をすべき義務

被告は,労働者に対して,じん肺や石綿関連疾患の発生メカニズム,有害性,危険性等に関する安全衛生教育を行う義務があった。

被告の安全衛生委員会では,じん肺や石綿関連疾患の発生メカニズム,有害性,危険性等については協議されなかった。

原告Cは,昭和55年に粉じん作業特別教育を受けたが,その結果を他の従業員に話すなどの報告の機会を与えられなかったことなどから,講習の内容が過剰であるかのような印象を持たせられ,石綿の危険性を認識できなかった。

カ 健康診断実施義務及び結果通知義務

被告には,じん肺罹患者を早期に発見し,適切な治療を受けられるようにするため,従業員に対して健康診断を実施する義務がある。また,使用者が労働基準監督署から区分決定通知を受けた場合には,遅滞なくその内容を当該労働者に通知する義務がある。

昭和35年には,常時粉じん作業に従事する者に対するじん肺健康診断の実施を義務づけたじん肺法が制定されたが,このころ被告は,じん肺健康診断を実施していなかった。

また,原告Cが被告から受け取った書面(甲G2)には,昭和53年10月に行った健康診断について,被告は労働基準監督署から昭和54年10月に結果通知を受け,これを原告Cに昭和55年3月に通知したと記載されているが,健康診断から通知まで1年半を要しており,被告は,健康診断の結果を早期に通知すべき義務に違反している。

(被告の主張)

被告は,以下のとおり,注意義務を果たしていた。

ア 安全及び衛生に関する教育

被告は,昭和30年代には,被告工場の従業員に対して安全及び衛生に関する心得・諸注意事項を取り纏めた手帳(以下「安全衛生手帳」という。乙A10)を数年に一度配布し,新たに製造工程に従事することになった従業員に対しても,その都度配布していた。被告は,従業員に対し,安全衛生手帳の記載内容を遵守するように義務付けており,これは労働協約にも定められていた。

安全衛生手帳では,防じんマスク及び保護用具の着用や打ち水をすることを義務付けていたほか,職場ごとに安全及び衛生の注意及び義務内容を明記していた。

イ 労使による安全衛生委員会の定期的な開催

被告は,遅くとも昭和33年までには,各工場において定期的に自主的な安全衛生委員会を開催し,どのような規格のマスクを使用すべきか,マスク等の保護具の使用状況の確認及び改善,粉じん発生状況,測定結果の確認及び改善,じん肺健康診断の実施状況及び結果の確認等が協議された。

ウ その他安全及び衛生に関する啓発活動

被告は,その他安全及び衛生に関する労働者に対する啓発活動として,遅くとも昭和35年以降,毎年の全国安全週間及び全国労働衛生週間の際に,安全・衛生に関して,スライドの上映,職場のパトロール,各職場へのポスターの配布及び掲示,標語の募集等をして安全及び衛生に関する従業員の意識の向上及び維持に努め,啓発活動を継続的に実施してきた。

昭和55年以降は,粉じん作業特別教育を実施して,粉じんの発生防止対策,保護具の使用方法,粉じんの有害性,粉じんに関する法令等についての教育を行っていた。

エ じん肺健康診断の実施

被告は,昭和35年のじん肺法施行後,同法に基づくじん肺健康診断を実施してきた。

オ 自主的な作業環境測定の実施

粉じん測定を義務づける特化則が制定されたのは昭和46年であるが,被告は,昭和34年8月には,埼玉県衛生研究所に委託して粉じんの測定を行い,その後も,昭和46年ころまでは年1回,同年以降は年2回,粉じん測定を自主的かつ定期的に行っていた。

カ 検定品マスクの支給

被告は,昭和33年11月,大宮工場の安全衛生委員会において,スポンジのような防じんマスクであるエステルマスクを作業員全員に支給することを決定し,支給していた。その後,昭和37年1月に,国家検定に適合した防じんマスクを新たに選定し,昭和40年2月に,職場によっては,国家検定特級又は一級に適合する防じんマスクを支給し,昭和47年には,粉じん職場に従事する全従業員に対して国家検定特級に適合する防じんマスクを支給した。その後も,国家検定の規格が変更されるたびに,これに適合したマスクを支給していた。

キ 作業環境整備のためのオートメーション化等

大宮工場では,昭和40年から昭和42年にかけて,石綿の計量を自動化するなどのオートメーション化を実施した。

また,被告は,遅くとも昭和37年12月以降,各職場に吸じん装置や集じん機を設置するなど,作業環境整備のための措置を採っていた。

(3)  被告の義務違反と亡F及び原告Cの石綿関連疾患の罹患との因果関係

(原告らの主張)

長期間大宮工場で大量の石綿に曝露したことによって,亡Fは,悪性胸膜中皮腫に罹患しこれにより死亡し,原告Cは,じん肺管理区分2との決定を受け,さらに合併症である続発性気管支炎に罹患したのであり,被告の注意義務違反とこれらの疾患への罹患ないし死亡との因果関係は明らかである。

(被告の主張)

否認する。

(4)  損害及びその額

(原告らの主張)

ア 亡Fに生じた損害

現時点までの損害を包括する慰謝料   4500万円

弁護士費用   450万円

イ 原告Cに生じた損害

現時点までの損害を包括する慰謝料   3500万円

弁護士費用   350万円

(被告の主張)

争う。

第3争点に対する判断

1  証拠(各項に記載したもの)及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

(1)  石綿及び石綿関連疾患について(甲A5,A50,乙A1)

ア 石綿とは,天然にできた鉱物繊維である。丈夫で変化しにくく,耐火性,断熱性,防音性,絶縁性などの機能を有することから,建材製品等多様な製品に用いられてきた。

石綿は,肉眼では見ることができない極めて細い繊維からなっており,飛散すると空気中に浮遊しやすく,吸入されて人間の肺胞に沈着しやすい特徴を有する。吸い込まれた石綿の一部は痰の中に混ざり体外に排出されるが,体外に排出されなかった石綿は,丈夫で変化しにくい性質から,肺の組織内に長く滞留することになる。石綿を吸入することによって生じる疾患(石綿関連疾患)として,石綿肺,中皮腫等がある。また,石綿曝露の指標となる医学的所見として,胸膜肥厚斑等がある。

イ 石綿肺

じん肺は,粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいう(じん肺法2条1項1号)。

石綿肺は,石綿を大量に吸入することにより肺が線維化するじん肺の一種である。

ウ 悪性胸膜中皮腫

中皮腫とは,肺や肝臓,心臓などの臓器の表面と体壁の内側を覆い,臓器の動きをスムーズにする中皮細胞に生じる腫瘍であり,悪性胸膜中皮腫とは,中皮細胞のうち肺を取り囲む胸膜にできる悪性の腫瘍である。中皮腫のほとんどは,石綿への曝露が関係している。他の原因として,エリオナイト(天然鉱物繊維)への曝露によるものや,放射線療法(トロトラストを含む。)を受けたことによるものなどが報告されているが,いずれも報告数は少なく,また,わが国においてエリオナイトに曝露する機会は通常ない。石綿への曝露から胸膜中皮腫発症までの潜伏期間は40年前後であることが多い。

エ 胸膜肥厚斑

胸膜肥厚斑とは,壁側胸膜に生じる局所的な線維性の肥厚(盛り上がり状態)をいう。臓側胸膜との癒着はなく,通常肺機能の低下は起こらない。胸膜肥厚斑が生じる原因物質には,石綿のほか,エリオナイトがあると考えられている。

(2)  石綿管製造工程及び作業環境

被告における石綿管の製造工程の概要は,石綿を粉砕して解綿し,セメント等と混ぜた液状の混合物を作り,これを管の形になるよう固めたうえで,寸法を合わせるために切断,切削をするというものであった。また,被告においては,石綿管と石綿管とを接合するための石綿性の継ぎ手製品も製造されていた。(甲A4,G9,J12,J13,証人H(以下「H」という。),原告C)

製造工程のうち,石綿を解綿し原料を混合する作業を行う職場(以下「原料職場」という。),石綿管の切断,切削作業を行う職場(以下「石綿管仕上職場」という。)及び継ぎ手の切削作業を行う職場(以下「継ぎ手加工職場」という。)の作業内容及び作業環境は以下のとおりであった。

ア 原料職場(甲A40,G9,G10,J12,原告C)

(ア) 昭和40年ころから昭和50年ころまで

① 原料倉庫に山積みになっている石綿の入った麻袋を手作業で降ろし,フォークリフトに載せて運ぶ。麻袋を降ろす際に麻袋の破れた部分から石綿粉じんが飛散した。

② 運んできた麻袋の上部をナイフで切り,麻袋を抱え込むように持ち上げて麻袋の切り口を石綿混砕機の投入口に入れ,石綿を流し込むように投入する。この際,投入口から大量の石綿粉じんが飛散した。石綿混砕機は,石臼のように石綿をすりつぶし,さらにすりつぶされた石綿を撹拌するものであったが,粉砕時及び撹拌時にも石綿粉じんが飛散した。

③ 石綿混砕機で解綿された石綿を,デージングレーターという機械でふわふわの状態とし,これを送風機により吹き上げ,階上(2階又は3階)にある石綿ボックスにためる。石綿ボックスには布が張られ,空気を逃がしながら布に綿状の石綿をためる仕組みとなっていたが,布が石綿粉で目詰まりすると空気が逃げなくなるため,従業員が,一日に何度か布を棒で叩いて目詰まりした石綿粉を落としていた。この際従業員は大量の石綿粉じんに曝露した。

④ 石綿ボックスにたまった石綿をドラム缶に詰め込んで計量し,ドラム缶に入った石綿を原液混合機に投入していく。原液混合機は,階下(石綿ボックスが3階の場合は2階,2階の場合は2階床の下)にあったため,石綿の投入は,3階ないし2階でドラム缶を倒し,ドラム缶内の石綿を2階ないし2階床の下にある原液混合機に投入するという方法で行われた。このように高い位置から大量の石綿を落とし込むうえ,室内は狭く密閉されていたため,作業中は大量の石綿粉じんが舞っていた。

⑤ 原液混合機で,石綿やセメント粉などの原料が混合され,この混合物を製管機に流し込み,管の形に成型していく。

(イ) 昭和50年ころ以降

昭和50年ころに,原料職場の一部がオートメーション化され,石綿を石綿混砕機に投入する作業(上記(ア)②)及び綿状になった石綿をドラム缶に詰めて計量し,原液混合機に投入する作業(上記(ア)④)が自動化された。

しかし,綿状になった石綿を計量する自動計量器の中で石綿が浮いてしまいうまく計量できない場合や,石綿を吹き上げるパイプが詰まった場合には,手作業で石綿を押し込んだりかき出したりする必要があり,その際に従業員は大量の石綿粉じんに曝露した。

イ 石綿管仕上職場(甲J12,J13,証人H)

(ア) 切断作業

成型された石綿管の両端をグラインダーという機械を使って切断する。この際,大量の粉じんが舞うため,作業時には自動的に水がかけられるようになっていた。

(イ) 切削作業

両端を切断した石綿管の外形や側面の寸法を調整するため,旋盤を用いて石綿管を削る。この作業は,0.1ミリメートル単位での正確性が求められていたため,従業員は石綿管に顔を近づけて作業を行っていた。また,機械の目盛りに積もった大量の石綿粉じんを刷毛や息で飛ばしながら作業をする必要があったため,従業員は大量の石綿粉じんに曝露した。この作業は上記のとおり正確性が求められるため,切断作業とは異なり,水がかけられるようにはなっていなかった。

ウ 継ぎ手加工職場(甲J12,J13,証人H)

継ぎ手の内面の寸法を調整するため,旋盤を用いて石綿管を削る。上記イ(イ)の切削作業同様に正確性が求められるため水はかけられず,粉じんを刷毛や息で飛ばしながらの作業であったため,従業員は大量の石綿に曝露した。

(3)  大宮工場における石綿粉じん対策等

ア 粉じん量の測定

被告が初めて作業環境測定を行ったのは,昭和46年ころであり,それまで作業環境測定を行ったことはなかった(甲A41の1)。

イ 集じん機の設置

原料職場では,昭和50年ころに一部がオートメーション化されたのに伴い,初めて集じん機が設置された。(甲G9,G10,原告C)

石綿管仕上職場では,昭和45年から昭和50年ころに,初めて集じん機が設置された。(証人H)

ウ マスク(甲A41の1・2,G9,J12,J13,証人H,原告C)

被告は,昭和35年ころには,一部の従業員に対して弁付き又は弁のついていないスポンジ製のマスクを支給していた。

原告Cは,昭和40年に原料職場で業務を始めた際,被告から弁付きのマスク(息を吸うときに弁が閉まり,息を吐くときに弁が開くもの)を支給されたが,原料職場の石綿粉じんの飛散量が多かったため,すぐにマスクの弁がつまってしまった。原告Cは,昭和50年ころに,被告からフィルターのついた新しい規格のマスクを支給された。

被告は,マスクの支給をした後も,従業員に対してマスクの着用を義務づけることはなく,従業員によっては支給されたマスクを使用しない者もいた。

エ 石綿粉じんの危険性についての教育

原告Cは,昭和55年1月11日,粉じんの発散防止,保護具の使用方法,粉じんに関する疾病等の特別教育を受けた(甲G4,原告C)。

オ 健康診断の実施

被告は,昭和50年ころからは,じん肺健康診断を実施していたが,それ以前にはじん肺健康診断を実施していなかった(甲A41の1・2,A47の1,G2,J8,J12)。

カ 安全衛生委員会の開催

遅くとも昭和33年ころには,定期的に労使による安全衛生委員会が開催されていた(乙A11,証人H,原告C)。

キ 労働組合による協約締結要求

被告の従業員によって組織されていたD労働組合は,昭和48年,被告に対し,国家検定に適合する防じんマスクを従業員に使用させることやじん肺健康診断を行うことなどを内容とするじん肺協定の締結を要求した(乙A4)。被告とD労働組合は,昭和49年に,被告がじん肺法,労働基準法,労働安全衛生法等の法令を遵守するとの内容の特別協定を締結した(乙A5)。

昭和57年には,D労働組合が,被告に対し,定期的な粉じん測定,粉じんに関する教育の実施,集じん等に必要な設備の改善,国家検定に合格した粉じんマスクを使用させること,じん肺健康診断の実施などを内容とする協定の締結を要求した(乙A6)。

(4)  亡F,原告Cの業務内容等

ア 亡F

亡Fは,昭和29年8月ころから昭和54年ころまで大宮工場の石綿管仕上職場において,同年ころから昭和57年12月ころまでは鷲宮工場の継ぎ手加工職場において,石綿管や継ぎ手を切断,切削する作業に従事した。亡Fは,被告の工場の他に石綿粉じんに曝露する職場で就労したことはなかった。(甲J1,J3,J12,J13,証人H)

イ 原告C

原告Cは,昭和39年12月ころから昭和56年3月ころまで大宮工場の原料職場において,昭和57年7月ころから同年12月ころまでは鷲宮工場の原料職場において,石綿を解綿し,原料を混合する作業に従事した。なお,昭和56年4月から昭和57年7月までは,被告の他の工場で勤務した。(甲G9,原告C)

原告Cは,被告の工場の他に石綿粉じんに曝露する職場で就労したことはなかった(甲G6)。

(5)  亡F,原告Cの症状等

ア 亡Fの症状

亡Fは,昭和53年9月20日に行われたじん肺健康診断の結果,昭和54年10月18日にじん肺管理区分2(じん肺法が定める胸部エックス線写真の像,肺機能障害による区分で,管理1から4までがあり,より症状が悪化しているものが管理4とされる(じん肺法4条))と決定され,昭和55年3月17日に被告から決定についての通知を受けた(甲J8)。平成22年6月8日には,胸膜肥厚斑,小結節影,ばち状指の各症状が確認された(甲J1)。同年7月には,悪性胸膜中皮腫との診断を受け,同年10月10日に,悪性胸膜中皮腫により死亡した(甲J4の1,J5,J11)。

イ 原告Cの症状

原告Cは,昭和53年10月26日に行われたじん肺健康診断の結果,昭和54年10月18日にじん肺管理区分2と決定され,昭和55年3月17日に被告から決定についての通知を受けた(甲G2)。平成11年10月18日には,胸膜肥厚斑が認められ,平成12年以降は,せきやたんの症状が見られた(甲G1の1)。平成22年7月24日には,合併症(じん肺と密接な関係がある疾病として規定されるもの(じん肺法2条,同法施行規則1条))である続発性気管支炎に罹患していると診断された(甲G5)。

(6)  石綿による健康被害についての知見,法令等

ア 海外における主な知見

1899年(明治32年)に,イギリスのマレーにより最初の石綿肺の報告がされて以降,石綿肺についての報告が相次いだ。1930年(昭和5年)には,イギリスで大規模な疫学的調査が実施され,同年に開催されたILO(国際労働機関)の会議において石綿肺の危険性が報告された。1943年(昭和18年)には,ドイツのヴェドラーにより石綿が悪性中皮腫の原因になることが報告された。(甲A7,A8)

イ 海外における法令等による規制

イギリスでは,1931年(昭和6年)に,アスベスト(石綿)産業規制法が成立した。アメリカの公衆衛生局は,1938年(昭和13年)に,粉じん対策として,集じん装置の設置,マスク着用,粉じん濃度の定期測定等の対策をすべきであるとの勧告をし,ドイツの帝国労働省は,1940年(昭和15年)に,石綿関連企業等に対して,具体的に石綿粉じんへの対策を定めたガイドラインを発表した。(甲A7)

ウ わが国における知見

昭和15年に,保険院社会保険局支所長らによる石綿を扱う14の工場における石綿肺の発生状況に関する調査研究の結果が報告された。これによると,調査対象者のうち一定割合に石綿肺ないしその疑いが認められ,勤続年数が長いほど石綿肺の罹患率が高く,たとえば勤続年数が3年から5年では20.8パーセント,10年から15年では60パーセント,20年から25年では100パーセントの労働者が石綿肺に罹患していた。昭和32年に国立療養所近畿中央病院院長らによって行われた調査でも,勤続年数ごとの罹患率について上記調査に類似した結果が報告された。

(甲A51,乙A23)

エ わが国における法令等による規制

(ア) 工場法

昭和4年,工場法に基づき,工場危害予防及び衛生規則が公布,施行されるとともに,同年,工場危害予防及び衛生規則施行標準が発せられ,粉じんを発散し衛生上有害な場所では,排出密閉その他適当な設備を設置することや,多量又は有害な粉じんを発散する場所で作業に従事する者に適当な保護具を与えること,作業中には保護具を使用すべきであることが定められた(甲A12,A13)。

(イ) 労働基準法及び労働安全衛生規則

昭和22年に労働基準法及び労働安全衛生規則が制定され,使用者に対し,粉じんを発散し衛生上有害な作業場所について,局所における吸引や排出,機械の密閉その他適当な措置を設置することや,同作業場所で作業する労働者に使用させるために,呼吸用保護具等適当な保護具を備えることが義務付けられた。このほか,労働者に対する安全衛生教育をすること,粉じんを発散する場所で常時作業する労働者に対しては,雇い入れ時の健康診断のほか,毎年2回以上定期的に健康診断を行うことが義務付けられた。(甲A14,A15)

(ウ) 保護具についての規制

昭和24年に改正された労働安全衛生規則によって,保護具のうちマスクについては検定が義務づけられた。この検定に関して,昭和25年に定められた労働衛生保護具検定規則及び「労働衛生保護具のうち防じんマスクの規格」(労働省告示)により,ろじん効率に応じた第1種マスク及び第2種マスクが規定された。(甲A16,A17)

さらに,昭和26年に発出された「防じんマスクの規格の制定及び検定の実施について」と題する通達(各都道府県労働基準局長あて労働省労働基準局長通達。以下本通達を「昭和26年マスク通達」という。)により,第1種マスク又は第2種マスクを使用すべき作業場の具体的な粉じん量が規定された。また,同通達では,マスクを使用すべき作業の例示として,石綿の解綿作業,石綿を使用するスレート製造作業等が挙げられた。(甲A18)

その後,昭和30年に労働衛生保護具検定規則が一部改正されたことに伴い,同年に「防じんマスクの規格の制定及びそれに伴う労働衛生保護具検定規則の一部改正について」と題する通達(以下「昭和30年マスク通達」という。)が発出され,粉じんの種類,作業場における空気中の粉じん量,主作業の強度に応じて,選択すべきマスクの種類及び種別が示された(甲A21)。

(エ) 特殊健康診断についての通達

昭和31年当時,石綿を扱う作業に従事する労働者に対する健康診断を義務づける法令はなかったが,同年に発出された「特殊健康診断指導指針について」と題する通達(以下「昭和31年健康診断通達」という。)により,石綿を解綿,混合,切断,研磨等する作業に従事する労働者に対して,胸部エックス線直接撮影を含む特殊健康診断を行うことが使用者の自発的措置として推奨された(甲A2,A52)。

(オ) 労働環境改善についての通達

労働省労働基準局長は,昭和33年に,昭和31年健康診断通達等による特殊健康診断の結果から異常所見を有する労働者がかなり存在するものと推定され,対策を要する実態にあると考えられるとして,各都道府県労働基準局長あてに「職業病予防のための労働環境の改善等の促進について」と題する通達を発出した(以下「昭和33年環境改善通達」という。)。これにより石綿粉じんを発散させる作業ごとの発散有害物の抑制目標限度や粉じんの測定位置,測定方法のほか,解綿,混合,切断,研磨等の各作業については,局所排出装置を設けること,発散有害物が抑制目標限度以下にならない場合には,検定(昭和30年マスク通達に定めるもの)に合格したマスクを着用させること等の指針が定められた。(甲A25,A26)

(カ) じん肺法(甲A27,A28)

昭和35年に,じん肺に関して適正な予防及び健康管理その他の措置を講ずることで,労働者の健康の保持を図ること等を目的とするじん肺法が制定,施行された。同法では,同法が適用される粉じん作業として,石綿の解きほぐし,積みおろし,石綿製品の切断,研磨,仕上げ等をする場所における作業が挙げられた。

同法では,使用者に対して,労働基準法等の規定によるほか粉じんの発生の抑制,保護具の使用等について適切な処置を講じるよう努めること,常時粉じん作業に従事する労働者に対する必要な教育を行うことが定められた。

また,新たに常時粉じん作業に従事することになった労働者に対しては就業時,常時粉じん作業に従事する労働者のうち健康管理の区分が管理2又は管理3である者に対しては1年に1回,それ以外の者については3年に1回,それぞれじん肺法に定められた健康診断を実施すべきこと,健康管理区分又はじん肺管理区分の決定がされたときは,遅滞なくその内容を労働者に通知することが定められた。

(キ) 特化則(甲A30)

昭和46年に,労働基準法に基づき,特化則が制定,公布された。同規則では,石綿が規制の対象とされ,石綿の発散を防止するための局所排気装置の設置や稼働についての具体的な定めがされ,作業場の空気中の石綿粉じん濃度測定の定期的な実施が義務づけられた。

2  争点(1)(予見可能時期)について

(1)  労働契約上の使用者は,労働契約に付随する義務として,労働者が労務に従事するに際してその生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負うものである。この安全配慮義務の前提として使用者が認識すべき予見義務の内容は,生命,健康という被害法益の重大性に鑑み,安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り,必ずしも生命,健康に対する障害の性質,程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないというべきである。

以下,上記に認定した石綿による健康被害についての各種知見と法令等による規制に照らし,被告に上記予見可能性が認められる時期を検討する。

(2)  石綿粉じんの危険性について,海外では明治32年のイギリスでの報告を初め,各種の報告がされ,これに伴い具体的な対策が検討されてきた。

わが国においては,昭和4年に,工場法及び同法に基づく規則等により,粉じんを発散する場所での作業について,適当な設備の設置や保護具の支給が義務づけられたが,身体に有害な粉じんとして石綿粉じんを明示するものではなかった。昭和15年ころの調査研究により石綿粉じん作業と石綿関連疾患の相関性が徐々に明らかとなり,昭和26年マスク通達では,マスクを使用すべき作業の例示として,石綿の解綿作業等が挙げられた。さらに,昭和31年健康診断通達では,特殊健康診断が推奨される作業に石綿を解綿,混合,切断,研磨等する作業が挙げられ,昭和33年環境改善通達では,特殊健康診断等の結果,異常所見者が多数存在し対策を要する実態にあるとして,石綿粉じんの発散量の具体的抑制目標数値及び対策方法についての指針が定められた。

このように,石綿粉じんが身体に有害であるとの認識のもと,労働基準法に基づく規則や通達によって石綿粉じんを発散する場所での労働に関して各種の規制が定められていく中,昭和35年にじん肺法が制定され,同法が適用される粉じん作業として,石綿の解きほぐし,積みおろし,石綿製品の切断,研磨,仕上げ等をする場所における作業が挙げられ,使用者に対して,労働基準法等の規定によるほか粉じんの発散の抑制,保護具の使用その他について適切な措置を講ずるよう努めるべきことや常時粉じん作業に従事する労働者に対する教育及び定期的なじん肺健康診断を行うべきことが明らかにされた。

そうすると,じん肺法が制定された昭和35年ころには,石綿関連事業の使用者である被告において,石綿粉じんへの曝露が健康被害を発生させることについて予見可能性があったというべきである。

(3)  被告は,中皮腫の医学的知見は最近にいたっても確定していないとし,中皮腫の発生を予見し得なかった時期においては,中皮腫に関する安全配慮義務違反の責任を負わないと主張する。

しかし,上記のとおり,使用者が認識すべき予見義務の内容は,生命,健康という被害法益の重大性に鑑み,安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り,必ずしも生命,健康に対する障害の性質,程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないと解すべきであること,中皮腫の発生を防ぐための対策とその他の石綿関連疾患を防ぐための対策とは質的に異なるものではないこと(弁論の全趣旨)からして,昭和35年ころには,中皮腫の発症について予見していなかったとしても,中皮腫についての責任を問う前提としての予見可能性及び予見義務を認めることができるというべきである。

3  争点(2)(安全配慮義務の内容及び義務違反の有無)

被告には,従業員に対する安全配慮義務として,予見可能性が認められる昭和35年当時の法令等に照らし,以下に述べるとおり,①作業環境測定義務,②石綿粉じんの発生飛散抑制義務,③マスク配布及び着用指導義務,④教育義務,⑤健康診断実施義務が認められる。なお,原告らは,このほかに,石綿を用いた作業自体を中止すべき義務があったと主張する。原告らが,いつの時点で被告に同義務が発生すると主張するのかは明らかでないが,少なくとも昭和35年当時,石綿を用いた作業自体を中止すべき義務があったとは認められない。

(1)  作業環境測定義務

ア 石綿粉じんによる健康被害防止の対策を講じる前提として作業環境を測定する必要があり,上記で認定した昭和33年環境改善通達においても,石綿を取り扱う職場における測定位置,測定方法や石綿の抑制目標限度が定められていたことからすれば,被告には,定期的に職場の粉じん量の測定を行う義務があったというべきである。

イ 上記認定のとおり,被告は,昭和46年ころまでは,定期的な粉じん量の測定をしていなかった。これに対して被告は,昭和34年8月に大宮工場の粉じん量の測定を行い,その後昭和46年ころまでは年に1回,その後は年に2回,測定を行っていたと主張し,大宮関係時系列一覧表(以下「時系列一覧表」という。乙A9)を提出する。しかし,上記認定のとおり,被告は昭和48年にD労働組合から粉じん対策の推進を要求され,同年ころには,すでに被告においてじん肺問題が顕在化していたと認められるのに対して,時系列一覧表は,本件訴訟提起後であり,被告と被告の元従業員との間で石綿粉じんによる健康被害を理由とする損害賠償の紛争が起きた後である平成23年6月20日に被告により作成されたものである(乙A9)上,時系列一覧表の作成の元となる資料は何ら提出されず,その記載内容は単に測定を行っていたとするだけであって測定の具体的内容や結果も明らかでない。これらの事情からすると,本件において,時系列一覧表に記載されたとおりのことが行われたと認めることはできない。

したがって,被告が,定期的に職場の粉じん量を測定する義務に違反したことが認められる。

(2)  石綿粉じんの発生飛散抑制義務

ア 上記認定のとおり,昭和22年に制定された労働基準法及び労働安全衛生規則により,使用者には,人体に有害な粉じんを発生する場所に排出密閉その他適当な設備を設置することが義務付けられ(同規則では,石綿粉じんが有害な粉じんとして例示されるなどはされなかったが,上記認定のとおり昭和35年ころには,石綿粉じんが人体に有害であることは被告において予見可能であった。),昭和33年環境改善通達でも,石綿の抑制目標限度や局所排出措置を設けることなどが定められていたことからすれば,被告は,昭和35年以降,石綿粉じんの発生,飛散を抑制する措置を講じる義務があったというべきである。

イ 上記認定のとおり,大宮工場における原料職場,石綿管仕上職場,継ぎ手加工職場には大量の石綿粉じんが飛散していたにもかかわらず,原料職場では,昭和50年ころに工程の一部がオートメーション化されるまで石綿粉じんの飛散防止措置は採られず,オートメーション化がされた以降も,従業員は大量の石綿に被爆する作業を行う必要があり,また,石綿管仕上職場においては,昭和45年から昭和50年ころまで,集じん機が設置されなかった。

これに対し,被告は,原料職場のオートメーション化を行ったのは昭和40年ないし昭和42年にかけてであり,遅くとも昭和37年以降には,各作業場に吸じん機ないし集じん機を設置していたなどと主張し,「作業環境改善実施状況」と題する書面(以下「改善実施状況表」という。乙A13)や時系列一覧表(乙A9)を提出する。

しかし,改善実施状況表は,被告においてじん肺問題が顕在化した以降の昭和59年7月19日に被告が作成したものであり(乙A13),書面の作成の元となる資料は何ら提出されず,設置したとする設備の具体的な内容や機能,効果も明らかではない。時系列一覧表中の吸じん機等設置の記載部分は改善実施状況表を基に作成されたものと認められる。これらの事情からすると,本件において上記各書面に記載されたとおりのことが行われたと認めることはできない。

したがって,被告が,石綿粉じんの発生,飛散の抑制措置を講じる義務に違反したことが認められる。

(3)  マスク配布及び着用指導義務

ア 上記認定のとおり,昭和22年に制定された労働基準法及び労働安全衛生規則により,使用者には,粉じんを発散し衛生上有害な作業で使用するために呼吸用保護具等適当な保護具を備えるべきことが義務付けられ,昭和25年に制定された労働衛生保護具検定規則及び「労働衛生保護具のうち防じんマスクの規格」(労働省告示)において,防じんマスクの規格が定められた。これに関する昭和26年マスク通達では,防じんマスクの使用基準の例示として石綿粉じんを発生させる作業が挙げられ,昭和35年に制定されたじん肺法においても,使用者は,労働基準法等によるほか,保護具の使用等について適切な処置に努めることが定められた。

これらの規制状況に鑑みれば,被告には,法令に適合したマスクを従業員に配布し,これを着用するよう指導する義務があったというべきである。

イ 上記認定のとおり,被告は,昭和35年ころには,従業員に対してマスクを支給していたが,このとき支給されていたマスクは,被告の主張によっても労働衛生保護具検定規則が定める国家検定を満たしたものではなかった。

被告は,その後の昭和37年1月には,国家検定に適合する防じんマスクを新たに選定し,その後も国家検定の規格が変更するたびにこれに合ったマスクを支給してきたと主張し,「保護具の支給と使用状況」と題する書面(以下「保護具支給状況表」という。乙A12)や時系列一覧表(乙A9)を提出する。

しかし,保護具支給状況表は,じん肺問題が顕在化した以降の昭和59年7月19日に被告が作成したものであり,書面作成の元となる資料も何ら提出されず,支給したとするマスクがどのようなものであったかも明らかでない。時系列一覧表中のマスク支給の記載部分は,保護具支給状況表を基に作成されたものと認められる。また,D労働組合が,昭和48年に,被告に対して国家検定に合格した防じんマスクを使用させることを内容とするじん肺協定の締結を求めていることからすれば,同時点においても国家検定に合格したマスクが支給されていなかったことがうかがわれる。そうすると,被告が昭和37年1月以降に,国家検定に適合するマスクを支給していたことは認めることができない。

したがって,被告が,法令に適合したマスクを配布し着用指導を行う義務に違反したことが認められる。

(4)  教育義務

ア 昭和35年に制定されたじん肺法により,使用者には,常時粉じん作業に従事する労働者に対して必要な教育を行うことが義務づけられた。そして,石綿粉じんの曝露による人体への影響が重大であることに鑑みれば,被告は必要な教育として,少なくとも石綿粉じんの有害性やじん肺関連疾患の予防方法について従業員に教育を行う義務があったというべきである。

イ 上記認定のとおり,被告は,昭和55年ころには,原告Cに対して,粉じん作業についての特別教育を行ったが,これ以前に従業員に対して石綿粉じんの有害性や石綿関連疾患の予防方法についての教育は行わなかった。

これに対して,被告は,遅くとも昭和30年代には,被告工場の従業員に対して安全衛生手帳を配布しており,同手帳には,防じんマスク及び保護用具を着用することや,打ち水を行うことなど職場ごとに安全及び衛生の注意及び義務内容が明記されていた旨主張する。しかし,被告が提出する安全衛生手帳は,被告の高松工場で配布されたものであるところ(乙A10),証人H及び原告Cは,大宮工場においてこのような安全衛生手帳を交付されたことはない旨供述しており,大宮工場において,いつ,どのような内容の手帳等が配布されていたかは証拠上明らかではない。また,被告が提出する安全衛生手帳の内容は,一般的な労働安全や労働衛生のための注意事項のほか,じん肺については「ホコリの衛生」との章において,粉じん,特に鋳物砂は有害性が高く,肺の中に沈着するとなくならない結果,結核にかかりやすくなること,その予防のために打ち水,防じんマスクの着用,うがいが推奨されることという簡単な記載がされているにすぎず(乙A10),これにより石綿粉じんの危険性や石綿関連疾患を予防するための具体的な方策について十分な教育がなされていたと認めることはできない。

また,被告は,昭和33年ころから被告で行われていた安全衛生委員会においてマスクの使用状況や粉じんの発生状況等についての確認,改善策等の協議がされていたと主張する。しかし,上記で認定したように,昭和35年以降も従業員によっては支給されたマスクを使用しない者がいたことや,従業員が大量の石綿に曝露する作業を継続的に行っていたことからすれば,安全衛生委員会において上記事項が十分に協議されていたとは認められない。

以上のとおり,被告は,昭和55年以降には,従業員に対して粉じん作業についての特別教育を行っていたことは認められるものの,昭和35年以降昭和55年ころまでの間に,従業員に対して石綿粉じんの有害性や石綿関連疾患の予防方法についての十分な教育を行っておらず,従業員に必要な教育をする義務に違反したことが認められる。

(5)  健康診断実施義務

ア 昭和35年に制定されたじん肺法により,被告には,前記1(6)エ(カ)で認定したとおりの規制に沿った健康診断を実施し,健康管理区分又はじん肺管理区分の決定がされたときは,遅滞なくその内容を従業員に通知する義務があった。

イ しかし,上記認定のとおり,被告は,昭和50年ころからはじん肺健康診断を実施していたが,それ以前には,じん肺健康診断を実施していなかった。

これに対して,被告は,昭和35年のじん肺法の制定以降,じん肺健康診断を実施してきたとして,時系列一覧表(乙A9)を提出するが,前記(1)イと同様の理由により,時系列一覧表から被告の主張を認めることはできない。

したがって,被告が,じん肺法に基づくじん肺健康診断を行い,診断結果を遅滞なく従業員に通知する義務に違反したことが認められる。

(6)  まとめ

以上より,被告は,上記(1)ないし(5)の安全配慮義務違反により原告らが被った損害について債務不履行に基づく責任を負う(なお,被告は,上記と同じ内容の予見義務・回避義務違反の過失による不法行為に基づく責任を負うことになるが,この場合の結論も以下と同じとなるものである。)。

4  争点(3)(因果関係)

(1)  上記認定のとおり,亡Fは昭和29年8月ころから昭和54年3月ころまでの間,原告Cは昭和39年12月ころから昭和56年3月ころまでの間,大宮工場の石綿粉じんの発生する職場で業務に従事しており,被告に安全配慮義務違反が認められる昭和35年以降,亡Fは約19年,原告Cは約17年もの間,石綿粉じんに曝露していた。また,亡F及び原告Cは,いずれも大宮工場で就労中の昭和53年に行った健康診断の結果じん肺管理区分2と決定されている。

加えて,石綿の曝露から中皮腫発症までの潜伏期間は40年前後であるところ,亡Fが悪性胸膜中皮腫との診断を受けたのは平成22年7月であること,亡F及び原告Cは被告工場の他に石綿粉じんに曝露する職場で就労したことはなかったことに鑑みれば,亡F及び原告Cは,大宮工場での就労により石綿関連疾患に罹患し,あるいはこれにより死亡したことが認められる。

(2)  そして,以上判示したことに上記3で認定した被告による安全配慮義務違反の内容及び程度を総合すれば,被告による安全配慮義務違反と亡F及び原告Cの石綿関連疾患への罹患及びこれによる死亡との間に相当因果関係があると認めるのが相当である。

5  争点(4)(損害)

(1)  原告A及び原告B

ア 慰謝料   2500万円

亡Fがじん肺管理区分2と決定され,悪性胸膜中皮腫により死亡したこと,被告の安全配慮義務違反の内容その他諸般の事情を考慮すると,亡Fに生じた損害を包括する慰謝料として上記金額とするのが相当である。

イ 弁護士費用   250万円

認容額その他諸般の事情を考慮すると,上記金額が相当である。

ウ 相続

上記前提となる事実のとおり,原告A及び原告Bは,亡Fの権利を2分の1ずつの割合で取得したため,それぞれ1375万円の損害賠償請求権を有する。

(2)  原告C

ア 慰謝料   1300万円

原告Cがじん肺管理区分2と決定され,合併症として続発性気管支炎を発症したこと,被告の安全配慮義務違反の内容その他諸般の事情を考慮すると,原告Cに生じた損害を包括する慰謝料として上記金額とするのが相当である。

イ 弁護士費用   130万円

認容額その他諸般の事情を考慮すると,上記金額が相当である。

第4結論

以上によれば,原告らの被告に対する請求は,原告A及び原告Bにつき,それぞれ1375万円及びこれらに対する訴状送達の日の翌日である平成23年2月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,原告Cにつき,1430万円及び前同様の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し,その余は理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中西茂 裁判官 橋本英史 裁判官 寺内康介)

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