さいたま地方裁判所 平成13年(ワ)156号 判決
原告
株式会社X建設工業
同代表者代表取締役
C
同訴訟代理人弁護士
元木徹
松田豊治
被告
国
同代表者法務大臣
南野知惠子
同指定代理人
石川利夫
柴野喜一郎
山畑正
柴田道
宮下隆宏
久保田透
吉野誠
本田友恵
多ケ谷茂
被告
埼玉県
同代表者知事
上田清司
同訴訟代理人弁護士
田島久嵩
佐世芳
同指定代理人
都留雅巳
荻野展二
金井正義
栃澤賢一
佐口勝利
根岸邦佳
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
基本的事実関係に加え、証拠(適宜掲記する。)及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。
(1) 昭和51年の廃川敷調査(〔証拠略〕)
昭和51年に、黒目川周辺敷地について廃川すべき土地を特定し、後に県が国から譲与を受ける範囲を明らかにすることを主目的として廃川敷調査が行われた。そして、昭和51年9月17日、当時の本件土地1の所有者D及び本件土地2の所有者a製作所は、上記各所有地と黒目川旧川敷地である県有地(本件土地3及び5に相当する土地)との境界を別紙3図面(〔証拠略〕)記載のとおり確認し、その境界に県杭を埋設した。
(2) 本件土地2の境界確認(〔証拠略〕)
本件土地2の原告の前々所有者であるa製作所は、昭和58年12月9日、埼玉県浦和土木事務所長に対し、本件土地2について境界確認申請をし、昭和59年1月14日、本件土地2の当時の所有者a製作所、本件土地1を所有していたb寺らが立会い、境界の確認が成立した。
その際に、8つの境界杭が確認又は埋設され、そのうち6つは本件土地2と河川の境界に関わるもので概ね別紙2図面のV、W、L、M、N、Oに埋設され、残る2つは本件土地1と河川との境界に関わるもので概ね別紙4図面のハに近い場所及びニ付近に埋設し確認された。
(3) 黒目川の廃川敷地一斉測量調査(〔証拠略〕)
昭和60年初頭に県有地(廃川敷)及び周辺に存在する国有地(国有水路)の範囲を特定し、官公有地と隣接する民有地との境界を確認することを目的とする黒目川廃川敷地一斉測量調査が行われることになり、本件各土地周辺地の測量についてはc測量設計が埼玉県浦和土木事務所から委託を受けた。
c測量設計のEは、本件各土地周辺地の測量調査を担当した。Eは、本件各土地の測量調査を行うに際し、公図(〔証拠略〕)、登記簿謄本(〔証拠略〕)、昭和51年の測量結果の丈量図(〔証拠略〕)、昭和59年の境界確認の際の写真や図面(〔証拠略〕)等を調査確認した上で、現地の調査を行った。
まず、Eは、上記の確認した図面と本件各土地の現況を照らして、埋設されている境界杭を捜しだしたところ、昭和59年に埋設された上述の8つの境界杭はいずれも存在することが確認された。そして、Eは、上記境界杭を図面に表し、上記丈量図(〔証拠略〕)、図面(〔証拠略〕)から寸法を導き出し、現地を確認したところ、一部水路や水路跡が残り、その両脇にはいわゆる「けば」と称する法面跡や法面も確認できた。そこで、Eは現地の状況からみて概ね5mは水路幅としてとるのが適切と判断し、水路の中心や法面跡(けば)からみて、本件土地4の国有水路の東側ラインを別紙2図面のT、U、E、B、Xを結んだ線、西側ラインをH、G、Yを結んだ線が相当として素図を作った。そうしたところ、本件土地1の形状は別紙4図面でいうと概ねU、ロ、ハ、ニ、Uを結んだ範囲に近いものとなり、それでは余りにも本件土地1の面積が登記簿上の面積と比較して少なくなるため、Eは、県の担当職員と協議して本件土地1の面積をできるだけ確保するために本件土地1と本件土地2の間にある河川敷地の幅をぎりぎりの5m幅に縮小することとして本件土地1の東側と河川の境界を別紙2図面のT、S、R、Qを結んだ線と定めることとした。このようにして本件土地1の境界を別紙2図面のF、E、U、T、S、R、Q、Fを結んだ線として仮に定め、平面図(〔証拠略〕)の案を作成した。
その上で、本件各土地周辺の地権者らにより境界の確認を行うことになり、当時本件土地1を所有していたb寺の住職D及び檀家Fの立会いを求めて説明をしたところ、住職のDも承諾し、特に異議を述べることはしなかった。
Eは、昭和51年に埋設された県杭のうち本件土地1の内側にあった県杭を一部引き抜き、改めて別紙2図面A、B、F、E、U、G、I、T、S、R、Qに4、50kgある県杭を埋設した。
(4) 本件土地1の購入経緯(〔証拠略〕)
ア Cは、b寺から本件土地1を購入することになった。
原告は、檀家総代のFと原告が建設設計及び管理業務を委託している一級建築士のAとともに本件土地1について現地に行き本件土地1の状況を確認した。そして、C及びAは、Fから参考資料として住宅地図(〔証拠略〕)、公図(〔証拠略〕)、旧公図(〔証拠略〕)、公図(〔証拠略〕)を示され、それに基づいてFから説明を受けた。
イ 原告が本件土地1をb寺から購入する以前の昭和63年7月21日に、Cは、d社を訪れ、本件土地1の土地の面積を机上で計算してほしいと依頼した。d社のBは、d社が昭和60年の黒目川廃川敷地一斉測量調査の際に保管していたc測量設計の図面(〔証拠略〕)を基にして座標値をコンピュータに入力し、地積測量図(〔証拠略〕)を作成した。そして、Bは上記地積測量図をその場でCに手渡した。上記地積測量図には、本件土地1の形状が示され、本件土地1の周囲には番地の表示のない土地が囲んでいること、本件土地1の面積が371.44m2であることが記載されていた。
その後、Cは、再度、d社のBに本件土地1の求積を依頼し、Bは、昭和63年10月12日、改めて地積測量図(〔証拠略〕)を作成し、上記地積測量図を原告宛に郵便で送付した。上記地積測量図は、甲60の地積測量図とは南北が逆になっており、本件土地1の地積が371.31m2と記載されているほかは概ね同様のものであるが、本件土地1の周囲を取り囲む無番地の土地部分には「水路」と記載されている。そして、b寺のG住職は、本件土地1を原告に売却する際に、上記〔証拠略〕の地積測量図を原告から受け取った(後にb寺はCから〔証拠略〕の測量費として17万円を請求され、これを支払った。)。
(5) 本件各土地の使用状況等の推移(〔証拠略〕)
ア 現在の黒目川改修工事が完成したのは昭和45、6年ころであるが、その後においても、旧流路である本件土地4の土地上には窪地状の水路としての形態が残っており、大雨の時などの雨水の排水路や工場排水の排水路として機能していた。
本件土地3及び5は、昭和53年3月31日廃川され、昭和54年6月8日付けで国から県に譲与され県有普通財産となった。
イ 昭和60年当時の本件各土地の現況は、別紙2図面記載のとおりである。本件土地4の北側には木橋が存在し、その下には深さ2mくらいの水路上の窪地が存在し、その窪地の一部には南から北へ水が流れていた。本件土地4の南にある1429番の西の部分は深さ1m以下の草地となっていた。本件土地1の南側部分から1429番のところにかけては竹藪となっていた。
ウ Cは、昭和62年12月3日にHより本件土地2を購入したが、当時、本件土地2の土地上は、建物が骨組みの状態で建設途中で放置され、その付近に建築資材が散乱していた状態であった。
エ 原告は、昭和63年10月3日、本件土地1の売買契約をしたが、当時は、上記土地は更地の状態であり、一部家庭菜園として使用されており、本件土地1の北西方向の土地には木橋も存在し、その付近に水路状の窪地も存在していた。
オ 原告は、平成元年8月ころ、G、Zを結んだ線付近に土留めをし、本件土地1、2、5及び6の各土地を本件各土地東側(別紙2図面A、F、Q、O、V、Wを結んだ線より東側)の官用道路より高くなるように埋め立てて、整地した。
カ そして、原告は、平成2年8月30日、本件土地2と本件土地5及び6の一部の土地上に、鉄骨造陸屋根3階建ての建物を建築した。また、本件土地1は平成3年ころまでに整地され自動車駐車場等で使用されるようになったが、本件土地3及び4の部分は更地で土が敷かれたままであった。
その後、遅くとも平成7年10月ころまでに、本件土地3及び4の土地上も整地され自動車駐車場等で使用されるようになった。また、平成7年10月ころまでに、本件土地1の南側、本件土地4の南側、本件土地5、1429番の北側部分にわたって倉庫・事務所等が建築された。
キ 原告は、本件各土地の南に位置する1429番について、平成元年8月7日に売買予約をし、平成9年8月25日に売主から購入した。
原告は、平成6年9月1日以降、本件土地1、2、1429番、1428番1の一部を車保管場所として株式会社eに賃貸しているが、平成7年中ごろまでには1429番、1428番1、1427番2の土地は、塀で囲まれ、塀の中に建築物が確てられ使用されるようになった。
その後、平成12年初頭までの間に、本件土地4の西側の土地5891番1ないし3の土地が整地され自動車駐車場等で使用されている。
ク 現在は、本件土地4の南側の土地も砂利で敷き詰められており、窪地等水路の跡地と思われる箇所は存在しない。
そして、本件各土地に現存している県杭は別紙2図面のX、Y、A、B、G、K、Wの県杭のみであり、その他の県杭は散逸又は埋没して土地上から県杭の存在を確認することはできない。
2 争点1(本件土地1及び2の範囲)について
以上の事実によれば、本件土地2の範囲は、別紙2図面のM、N、O、V、Mを直線で結んだ範囲と認定するのが相当である。すなわち、昭和51年と、昭和59年の2回にわたり、本件土地2の当時の所有者であったa製作所と被告県との間で境界の確認がされており(〔証拠略〕)、上記認定を覆すべき証拠はない。
また、本件土地1の範囲は、別紙2図面のF、E、U、T、S、R、Q、Fを直線で結んだ範囲と認定するのが相当である。すなわち、まず、昭和51年に本件土地2と河川敷地との境界確認に際し、当時の本件土地1の所有者であるb寺代表者Dと被告県との間で本件土地1東側と河川敷地境界について別紙2図面のT、S、R、Qを直線で結んだ線よりさらに西側に位置する別紙4図面のイ、ロ、ハ、ニ(別紙4図面の青線は、昭和51年に作成された丙7の図面を昭和60年に作成された丙12の図面に投影したもの)を結んだ線が境界と確認されている(〔証拠略〕)。また昭和59年の本件土地1、2と河川境界の確認に際してもほぼ同様のラインが本件土地1の東側と河川の境界と確認されている(〔証拠略〕)。
次いで、昭和60年に廃川敷地一斉測量調査を受託したc測量設計(代表取締役E)は現地付近を測量し、昭和51年、昭和59年の境界確認結果に加え、水路の流れなどから判断して、本件土地1の西側と河川の境界は別紙2図面のE、U、Tを結んだ線を相当とし、北東側は、昭和51年、59年の確認結果より更に北東側に寄せて本件土地1の所有者に有利なように別紙2図面のT、S、R、Q、F、Eで結んだ線を相当として丙12の図面を作成し、b寺の住職Dの意見を聞いたところ、それに異論が述べられなかった。
上記のような本件土地1と河川境界との確認経緯、現地の状況などを総合すると、本件土地1の範囲は、別紙2図面のF、E、U、T、S、R、Q、Fを直線で結んだ範囲であると判断するのが相当であり、上記認定を覆すに足りる証拠はない。
3 争点2(平穏、公然な自主占有の有無)について
原告は、昭和62年11月27に前所有者Hから本件土地2を買い受け(但し、名義は原告代表者名義)、また、昭和63年11月3日に前所有者b寺から本件土地1を買い受け、爾後自己使用ないし第三者に賃貸して占有してきたことが認められる。
そして、原告代表者Cは、本件土地2を買い受けたときの状況について、陳述書(〔証拠略〕)や代表者尋問において、概ね、「本件土地2を買い受けたときは、前所有者Hが建築しかけた建築物が骨組の状態で放置され、建築資材が散乱している状態であった。本件土地2を買うときに登記簿も公図も見ていない。前所有者Hから乙1の2のような図面を見せられたことはない。Hの家族を助ける目的で適当な値段でもあったので購入することとしたもので、現地のどの範囲が本件土地2の土地かの確認もしていず、隣に道路があるとか水路があるとかの確認もしていない。」と述べている。
また、本件土地1を買い受けたときの状況について、「本件土地1を買い受けたときは、その範囲についてb寺の代理人であるF氏から説明を受けた。当時別紙2図面のA、B、G、K、W、Q、Fに県杭が残っていた。本件土地1の範囲として、F氏は、まず当時別紙2図面のA、B、Gに残っていた県杭を示し、さらにZ付近にポールを立て、G、Zを結んだ線が本件土地1と河川との境界だと説明した。また、F氏は、OとMに単管パイプ(足場を組むときにつかうパイプ)を打ち込み、A、B、G、Z、K、M、O、P、Q、F、Aを順次直線で結んだ線が本件土地1の範囲だと説明した。現地には、多少の窪みなどはあったが、水路などの形跡はなかった。」と述べている。
そして、原告は、その後本件係争部分の南側の土地である1429番土地の所有権も取得した。そして、原告はこれらの土地と本件土地1、2の土地を一体的に資材置場等として用い、別紙5図面(〔証拠略〕)の青線で囲んだ北側約438m2を平成元年9月ころから株式会社eに自動車修理車置場として賃貸し、同図面の赤線で囲んだ南西側約361m2を平成2年ころから株式会社fや有限会社gに賃貸し、同図面の黄色で囲んだ部分の土地に平成2年8月に鉄骨造陸屋根3階建建物を建築し、同図面の真中部分は自動車の回転用広場などとして使用してきた。
以上によれば、原告は、本件土地1及び2土地を買い受けて以来、本件土地3、4、5、6を含めた部分を一体的に占有してきたと認められる。そして、その占有形態は、本件土地1、2を売買で取得したものである以上自主占有と認めるのが相当であり、平穏公然性についてもその認定を妨げる適切な証拠はない。なお、原告は平成2年4月に本件土地1と黒目川との境界について確認を求める境界確認申請書を埼玉県に提出していること(〔証拠略〕)、3階建建築物建築の際に、敷地等について、埼玉県浦和土木事務所建築主事から建築基準法12条3項に基づく報告を求められていること(〔証拠略〕)が認められるが、これらのことは前記判断を左右するものではない。
4 争点3(悪意又は過失の有無)について
(1) 民法186条1項の「善意・無過失」とは、自己に所有権があるものと信じ、かつ、そのように信じることにつき過失がないことをいうものである。
これを本件についてみるに、原告代表者Cは、昭和62年12月に本件土地2を買い受けたときの状況について、「前所有者Hの家族を助ける趣旨で買ったものであり、現地は建築資材が散乱している状態で、隣の土地との境などは確認していず、登記簿も公図も見ていない。」旨述べる。しかし、土地を購入するのに、登記簿や公図も見ず、隣地との境が現地では判然としていないのにそのまま購入するというのは極めて異例である。そして、一般に、土地の売買において、買主が対象土地の範囲、境界、面積について登記簿、公図等を閲覧し、これに基づいて隣地所有者等に境界について尋ねるなり実測するなりして実地に調査すれば係争地が買受地に含まれないことを容易に知り得たにもかかわらず、上記調査をしなかったときは、特段の事情のない限り、短期取得時効の要件である無過失の要件を満たすものとはいえない(最高裁昭和50年4月22日判決、民集29巻4号433頁参照)。ところで、本件の場合、公図を見れば、本件土地2とその南側の1429番の土地の間には、水路である本件土地6が存在していることは一目瞭然である。また、原告は本件土地2を購入するに当たり、その南側や北側の隣地境界線を確認することなくその一帯の占有を始めたというのであるが、もしそれが真実であるとすれば普通の土地購入者の態度としては杜撰に過ぎ、隣地との境界について必要な注意義務を尽くしたとはいえない。そこで、仮に、原告において本件土地2購入時に本件土地6の土地の存在を知らず、本件土地6の水路が本件土地2の中に含まれると信じたとしても、少なくとも、原告には必要な調査を怠った過失があることは明らかである。また、本件において上記特段の事情を窺うべき事情は認めがたい。
次に、本件土地1の購入状況について検討するに、原告は、「b寺の代理人であるF氏から、現地に残っていた県杭や現地の状況などから別紙2図面のA、B、G、Z、K、M、O、P、Q、F、Aを順次直線で結んだ線が本件土地1の範囲との説明を受けた。」と述べている。しかしながら、前記認定のとおり、原告が昭和63年11月3日に本件土地1をb寺から購入する際に、原告代表者Cはd社に本件土地1の測量を依頼し、Cは、昭和63年7月21日に甲60、同年10月12日以後に丙14をd社のBから受け取っているところ、甲60には本件土地1の面積は約370m2程度と記載され、また、本件土地1の形状及び本件土地1の周囲には無番地の細長い土地が存在することが記載されている。とすれば、原告がb寺との間で本件土地1の売買契約を行う前にはCは既に本件土地1の現況地積が登記簿上の地積779m2よりはるかに少ないことや本件土地1の周囲には無番地の細長い土地が存在することを知っていたというべきであり、b寺の代理人であるFから本件土地1の範囲と別紙2図面のA、B、G、Z、K、M、O、P、Q、F、Aを直線で結んだ範囲であるとの説明を受けたとの前記原告代表者の供述は到底信用することができない。さらに、原告はb寺代理人Fから公図(〔証拠略〕)を見せられ説明を受けたと述べているところ、公図を見れば本件土地1(5892番)の周囲はぐるりと無番地の道や水路で囲まれていたことが一目瞭然である。また、原告がb寺に交付した丙14には、それらの無番地の土地に「水路」と記載され、本件土地1と本件土地2、1429番、5891番、5893番1とは隣接せず、その間には「水路」と書かれた無番地の土地が存在すること、本件土地2と1429番との間にも無番地の土地が存在することが明記されている。そうすると、原告は本件土地1を購入する際に、本件土地1の周囲には水路である本件土地3、4、5が存在することを認識して購入したと考えるのが自然であり、仮に認識していなかったとすれば少なくとも重大な過失があったといわざるを得ない。
したがって、原告が本件土地3ないし6の占有開始するに当たって悪意であったか少なくとも過失があったものといわざるを得ず、原告には、本件土地3ないし6のいずれの土地についても短期時効取得が認められないことは明らかである。
(2) これに対して、原告は、概ね、「本件土地1売買契約の際にCがd社から甲60、丙14を受け取ったこともなく、丙14をb寺のG住職に渡したこともない。平成2年11月の境界立会の時d社と初めて会い、その時に甲60をもらった。」旨主張する。
しかし、d社のBは、甲60、丙14を昭和63年当時に原告に渡した旨明確に述べ(〔証拠略〕)、原告が本件土地1の測量をd社に依頼したことは、本件土地1を測量したデータ(〔証拠略〕)、原告本店所在地に送付された封筒(〔証拠略〕)の存在等客観的な証拠からも裏付けられるところであって、上記Bの供述の信用性は高く、上記Cの供述は上記書証及びB供述等に照らし、信用できない。
次に、原告は、概ね、「本件土地1の西側の土地(5890番、5901番の土地)について平成5年に地積更正登記、地図訂正がなされており、公図が変更になり、また、地積更正登記によって当該土地の地積が246.7m2増加しており、この面積は、本件土地4と本件土地5の一部の面積に近似していることから、上記地積更正登記によって、本件土地4は他の土地に吸収された可能性がある。」等と主張する。
原告の上記主張は明確ではないものの、平成5年の地積更正登記及び地図訂正によって、5891番、5901番の土地にっいて公図の変更があり、登記簿地積に変更があったとしても、本件土地4が5891番等に吸収されたという根拠は全くない。むしろ、甲22、23によれば、平成5年の地図訂正により、変更後公図の5891番土地の東側境界は、変更前公図のそれよりもより西側に寄せられたことが認められるが、このことは本件土地1の西側と河川の境界には何らの影響を与えるものではない。そうすると、本件土地4西側土地の地積変更、地図訂正は、本件土地1、4、5891番土地等の境界を何ら不明確にするものではなく、原告占有開始時における悪意又は過失についての前記判断を何ら左右するものではない。
5 争点4(長期時効取得の成否)について
原告は、「本件土地3ないし5を含む本件土地1については、b寺が少なくとも昭和16年4月から、平穏かつ公然に所有の意思をもって占有を開始し、原告がb寺より昭和63年11月10日に昭和63年11月3日売買を原因とする所有権移転登記を経て平穏かつ公然に所有の意思をもって占有を継続してきた。また、本件土地6を含む本件土地2については、昭和43年6月19日にIが農林省より昭和42年12月10日売払を原因とする所有権移転登記を経て、所有の意思をもって平穏かつ公然に占有を開始して以来、a製作所、H、Cと順次各所有権移転登記がなされ、原告はCより、平成2年9月20日に真正な登記名義の回復を原因として所有権移転登記をして、前各所有者らに引き続き、平穏かつ公然に所有の意思をもって占有を継続してきた。」と主張する。
しかし、昭和51年、59年の境界確認において、当時の本件土地2の所有者であるa製作所は、本件土地6の水路の存在を確認し、本件土地2の土地と本件土地6の境界が別紙2図面のM、Vを結んだ線であることを明確に認めている。また、昭和51年、59年の境界確認、昭和60年の廃川敷調査において、当時の本件土地2の所有者であるb寺は、本件土地1の周囲に水路が存在すること、本件土地1の東側境界と河川との境界は別紙2図面のT、S、R、Qを結んだ線(又は別紙4図面のイ、ロ、ハ、ニを結んだ線)であり、西北側境界と河川境界は別紙2図面のF、E、U、Tを結んだ線であることに異議を述べていない。そうすると、本件土地2の前所有者であるa製作所(それ以前の所有者であるIもa製作所から本件土地2を購入したHも同様)が本件土地2の中に本件土地6の水路を含んだものとして自主占有していたという原告の主張は前提を欠くものである。同様に本件土地1の前所有者であるb寺が本件土地1の中に本件土地3、4、5の水路を含んだものとして自主占有していたという原告の主張も前提を欠くものである。そうすると、原告が本件土地1、2を購入して以来本件土地3、4、5、6を自主占有していたとしても、20年の期間は経過していないから、長期取得時効は成立せず、この点の原告の主張は採用できないというほかはない。
6 争点5(本件土地4及び6について黙示の公用廃止が認められるかどうか)について
本件土地4及び6が公物であり、明示の公用廃止処分がなされていないことは争いがない。
もっとも、公共用財産が、〈1〉長年の間事実上公の目的に供されることなく放置され、〈2〉公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、〈3〉その物の上に他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されることもなく、〈4〉もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなった場合には、右公共用財産については黙示的に公用が廃止されたものとして、取得時効の成立を妨げないとされる(最高裁昭和51年12月24日判決、民集30巻11号1104頁参照)。
そして、上記4要件は遅くとも所得時効の起算点である自主占有開始時までに具備されていなければならないと解せられる。
そこで、以下、念のため、上記4要件が原告の本件土地4、6の各占有開始時において具備されていたといえるかどうかについて補足的に検討を加えておくこととする。
前記1(1)ないし(5)で認定した事実によれば、本件土地4は、昭和60年当時2mほどの深さの水路状の窪地が本件土地4の上に存在し、昭和63年当時も水路状の窪地が存在したこと、昭和60年の黒目川廃川敷一斉測量調査時に本件土地4と周囲の境界に境界杭(別紙2図面E、U、J)が埋設されその土地の境界が確認され公共用財産として認識されていたこと、原告が平成元年8月ころに本件土地1、2、5、6を土盛りし、さらに、平成7年10月ころまでの間に原告が本件土地4付近を埋立整形したことにより完全に水路状の窪地が存在しなくなってしまったことが認められる。このような経緯にも鑑みると、原告の本件土地4占有開始時(本件土地1をb寺から買い受けた時)において、本件土地4の水路が長い間事実上公の目的に供用されることなく放置されていたとまではいえず、原告のその後の行為によって公共用財産としての形態、機能を失ったにすぎないから、公共用財産として維持すべき理由がなくなっていたともいえない。そうすると、本件土地4が原告占有開始時に上記黙示の公用廃止が認められるべき要件が満たされていたとはいえない。
また、本件土地6についてみると、昭和60年の黒目川廃川敷地一斉測量調査の際に本件土地6の境界に境界杭(別紙2図面V、M、L、W)が埋設され、境界が確認されたこと、原告が平成元年8月に本件土地1、2、5、6を埋め立てて、整地したことによって本件土地6の境界杭もその形状も変容されてしまったこと等の経緯にも鑑みると、原告の本件土地6占有開始時(本件土地2をHから買い受けた時)、本件土地6が事実上公の目的に供用されることなく放置されていたとまではいえず、原告の行為によって公共用財産としての形態、機能を失ったにすぎないから、公共用財産として維持すべき理由がなくなったともいえない。そうすると、本件土地6についても原告占有開始時に上記黙示の公用廃止が認められるべき要件が満たされていたとはいえない。
したがって、本件土地4、6については、上記理由からも原告の取得時効の成立する余地はないというべきである。
7 結論
以上のとおりであって、原告の被告らに対する請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 豊田建夫 裁判官 松村一成 都築民枝)